甘えの質問箱、ブログのお題頂きました。

「私も芸人目指してます!でも、やっぱり親とかの反対が凄くて…。どうやって説得しましたか?うまくいかなくて、落ち込むときとかありましたか?」

 

 

 

分かります…分かりますよ…!
親には迷惑かけたくないし、心配したうえで止めてくれてるのは分かるから無下には出来ないけれど、お笑いをやりたい気持ちを捨てるのも苦しくて…というね。

 


ざっくりお答えすると

 
反対はもちろんされました!
僕の場合は、説得失敗から折衷案で落ち着き、その後の大きな出来事キッカケで進路変更できた形なので、説得としては全くうまくいっていません。
ずっと落ち込み続けていました!

 


~~~~~

僕はお笑いをやるつもりはなかった。



小学生の頃からお笑いは好きで、それが高じて高校生の時にハイスクールマンザイやらR-1ぐらんぷりに出たりはしたもののそれはそれ。

高2の頃に出たR-1の1回戦は通って「お?」と思ったりもしたが、2回戦でゲチョンゲチョンに滑ったし、翌年からは受験も控えていたので「楽しかった思い出」として止まった。


自分がなろうだなんて微塵も思っていない。

真似事をできて楽しかった。


なんとなく人前に出るのは嫌いではないというのは高校で分かったし、お笑いは好きなまま。

大学の新入生サークル勧誘イベントで、演劇部がコントを披露していたから「ここに入ればお笑いみたいなことできるじゃん」と思い演劇部に入った。入ってみたらゴリゴリの演劇部。


(演劇部の公演の一コマ。ちゃんとでした。)


演劇部のほうも楽しかったけれど個人で大学お笑いの大会に出てみたら、ラッキーパンチが入って3位になったのが大学1年の夏。
よく分かっていないまま満席の座・高円寺2でネタやれたのは今思えば大贅沢。
(実際、芸人になってから座・高円寺2には立てていません。)
 

MCだった門出ピーチクパーチクさんに「芸人になるの?」と聞かれたが「なりません」と答えた。
本当になる気がなかったので。現実味がなさすぎる。


自分の中で「芸人になりたい」は「ウルトラマンになりたい」と同じ位置にあった。



その年の決勝戦に出ていたピンは、僕とサツマカワRPGさんだけ。
サツマカワさんのウケ方は尋常じゃなくて、「ピンなのにコンビの人たちを薙ぎ倒してウケている姿」はずっと頭に焼き付いていた。

(この時にサツマカワさんが披露していたネタ。https://youtu.be/61RVJjPUsjQ


あと、満席の座・高円寺2でウケた感触も体に焼き付いていた。


ありがたいことに大学1年時の夏の大会がきっかけで、友達も知り合いも増えて、大学在学中の夏休み・冬休みは学生お笑いの大会に出るようになった。



(大学1年生の頃の、夏の大会の決勝のネタ中)


~~~~~

【動機が浅すぎるアナウンサー志望】

そして、大学3年の冬。
3月1日には就活解禁日を控えている。

企業説明会やら何やらも盛んになって、ぼちぼち就活に向けて動き出す人が増え始めるシーズン。

周りはインターンシップやら何やらで忙しそうにする人も増えてきたが、僕は冬の大会のことで頭がいっぱいだった。

別に将来やりたい仕事も無い。
大学生活はとうに折り返しに入っていることも、周りの人たちはその先を見据え始めていることも分かっているが、自分には何も無い。何も無い。
「自分はどうやら人前に立つのは好きっぽい」ということしか分からない。

ただ、お金を稼がなきゃ生きていけないことは分かっていたから、なんとなく就活はする。



「アナウンサーなら人前に立てるんじゃね?」と思い、アナウンサー職に応募することにした。

なんとなくでやってるから、締め切りなんざ調べていなくて応募すらできなかった会社もある。
早い段階で選考が始まるキー局のうち、まだ募集をしていた2社にエントリーシートを送る。

1月から選考が始まる在京キー局のエントリーシート選考は通過。
しかし、いざ面接を受けるとなると「もう次に進みだすんだな」という実感が湧いてきて、なんだか悲しくなった。
面接の前日、僕はお酒が弱いにもかかわらず 気付いたらワインを1瓶開けてひっくり返っていた。


アナウンススクールにも通っていない野良のアナウンサー志望。
周りは男女ともにキラキラした人ばかり。

面接では、まともなビジョンが無いからまともなことを言えるはずもなく。
ヘラヘラして帰ってきた。最悪。


選考会場では、お互いが緊張を紛らわすために知らん者同士でも結構話したりするもので。
偶然近くに座っていた6人くらいで、面接後に一緒に写真を撮ったりした。


当時は丸坊主だったのも相まって、美男美女の中にじゃがいもが混入しているみたいだった。
慶応大学の何某かの運動部のキャプテンとかがいた記憶がある。

その時の皆さんはアナウンサーになったのかな。


せっかく面接で東京に来たので、R-1ぐらんぷりでやるつもりのネタをお客さんの前でやっておきたくてフリーライブに出た。
 

テレビ局から中野ZERO視聴覚室へ移動。マジで何しに東京来てんだ。
パーパーさんやスタンダップコーギーさんがいたのは覚えている。

(この時もまだお笑いをやろうと思っていません。だから、芸歴ごにょごにょのやつではありません。アマチュアのノーカウントです。)



(証明写真。「野球部だった??」と方々で聞かれたけれど、大学の野球部はあんまり坊主にしているイメージないです。)


~~~~~

【2015年2月28日】

「3月1日に学食で合同説明会あるみたいだから一緒に行ってみようよ!」

2月の初め、友達が誘ってくれた。

「ごめん!その日は学生お笑いの大会で東京にいるから難しい。」

2月28日・3月1日は学生お笑いの大会の準決勝の日。

予選を通過した場合、どちらの日程に振り分けられるか分からないので、両日開けておきたかった。


そして、2月28日。準決勝の日。

大学お笑いの大会は予選で落ちたので、僕は岩手にいた。
当然3月1日も予定はない。

絶対に勝つつもりで就活説明会まで断ったのにカッコ悪い。


メールが来た。

「二次選考のご案内をお送りします。」

1月に受けたのとは別のテレビ局から。
キー局のアナウンサー職 2打席目。


大会で負けたのに就活では駒を進めた。

・学生お笑いの大会で準決勝に出られない僕
・二次選考に進んだ僕

別に意味なんかない。ただ2つの結果が同じ日にあるだけ。



準決勝でやりたいネタがあったのにな。

就職するんだな。

何もやりたいことなんか無いのにな。

もう人前でネタをやることはなくなるんだな。

大学1年の時に見たサツマカワさん、カッコよかったな。

座・高円寺2、本当に楽しかったな。

あれ?そう考えるとやりたいこと無いわけじゃないな。

まだお笑いやりたいな。


ここで初めて「お笑いをやりたい」が明確になる。


(昨今の感じを見ると「働きながらでも出来るじゃん。アンゴラ村長とかカニササレアヤコとかラランドとか。」とお思いかもしれませんが、それは本人らが風穴をブチ開けるパワーがあったからで、当時はイメージすらできませんでした。あと、時代が変わったというよりは、シンプルに彼女らの頑張りが凄まじいという話だと僕は思っています。)


~~~~~

【作戦】

何となく両親にお笑いをやりたいことを匂わせ始めたのもこの頃だったと思う。
もっと前からにじみ出ていたのかもしれないけれど。

「そんな甘い世界じゃないんだから、ちゃんと就職しなさい。」と言われる。当然。


僕は「就活して全部落ちて勤め先が決まらなければ、なし崩し的にお笑いができるのでは」と考えた。

アナウンサー職につければお笑いとは形が違えど人前には立てる。
全部落ちてもお笑いが出来る。

当時の自分にとっては最高の作戦。

今になって思う。社会を舐めるな。
受けた会社にも失礼だし。


~~~~~

【就活スタート】

2社目も落ちた。当然。

橋本環奈さんみたいなメイクをしている女の子がいっぱいいて、皆さん美人さんではあるけれど「同じものが沢山並んでいる感じ」が怖かった。

お笑いやりたい。



だんだんに地方のテレビ局のアナウンサー職のエントリーも始まる。
アナウンサー職志望者あるあるで「全国各地飛び回って選考受けがち」というのがあるのですが、そんなエネルギーはなく。
宮城と岩手の局に絞ってエントリー。

また、働くにしたってお笑いに携わりたいから、一社だけ芸能事務所のエントリーシートも出してみた。

2社落ちて、そこからエントリーシートを出したのは5社。



3社目:宮城のテレビ局
4社目:岩手のテレビ局
書類で落ちた。

全部落ちても結果オーライ作戦をとってはいるが、落ちるのは凹む。



5社目:東京のお笑い関係の芸能事務所

一次面接の手応え大アリ。R-1に出た話とかをした。
そこでも「せっかく東京に行くから」と、面接の翌日にネタをやれる場所に行った。何しに東京来てるんだ。

しかし、結果が来ない。
「サイレントお祈りかな?まあいいや」くらいに考えながら、久しぶりに就活サイトにログインしたら二次面接の案内が来ていた。


二次面接は既に終わっていた。

就活のやる気が無さ過ぎて、就活サイトを見てすらいなかったのが敗因。不戦敗。
本来であれば二次面接だった日は、地元の公民館で開催されていたスポーツ吹き矢教室に参加していた。

僕は気付かぬうちに、芸能事務所の面接と引き換えに、スポーツ吹き矢検定2級を手にした。


(その時の写真。既に刺さっていた矢に次の矢が刺さりました。同時刻に二次面接が行なわれているだなんて思ってもいませんでした。)



6社目:岩手のテレビ局

エントリーシート通過。面接&原稿読みまで進んだ。

「服装:あなたらしい格好で来てください。」と書いてあったので、2月28日・3月1日の準決勝でやる予定だったコントの衣装で行った。
会場は僕以外全員スーツだった。


順に名前を呼ばれて、受験者3人と面接官4人とカメラ1台の集団面接が始まる。

面接官は、幼いころからテレビで観ていたアナウンサーさんや、部活の大会で少し接点があった子のお父様などがいた。


受け答えはボチボチ。(TPOを守れていない服装の時点でアレですが)

原稿読みでバカほど噛んだ。
アナウンススクールに通ってる通ってないとかじゃなくて、もうそれ以前のレベルでバカ噛み。

当然落ちた。

しかし、原稿読みで一緒だったうちの一人と仲良くなり、今でもたまに連絡できるのは嬉しい収穫。

(その子は現在アナウンサーになっています。バイト先の休憩室のテレビをボーッと見ていたら、台風中継で雨ガッパ着ながらレポートしている姿が映って、よくないことだけど嬉しい気持ちもありました。いつか同じ現場で一緒になりたいものです。台風中継以外で。



7社目:宮城のテレビ局

此処が最後の一機。
ここで内定をいただければアナウンサー。落ちたら芸人。


エントリーシート通過。
ノウハウも無しにアナウンサー職で6社申し込んで、そのうち4社エントリーシート通ったのを誰か褒めてくれないだろうか。

2次選考は筆記試験と集団面接。
手応えは無かったけれど、なんか通った。

筆記試験で隣の席になった女の子と何かのキッカケで話していたら、その子も岩手出身で共通の知り合いもポコポコいたもんだから、選考後に一緒にファミレスに行ったのは良い思い出。

(結局その子も現在アナウンサーになっています。僕は女子アナとサシで飯を食べたことがあるということになります。いつか同じ現場で一緒になりたいものです。)


3次選考は個人面接と原稿読み。
もしここを突破すれば最終選考でカメラテストやらがあるっぽい。アナウンサー職一向聴。

この時点でも1社目と変わらず、僕だけじゃがいも混入感があった。
受かろうという気持ちはあるので勝負をかけてみた。

「どうもー!岩手大学人文社会科学部4年のミナカワと申しまーす!お願いしますぅ!頑張っていきたいと思っていますよいしょ!ねー!」

舞台の時のテンションと舞台の時の声量で行った。
なんならセルフビンタもちゃんとやった。

面接官の方は平静なままで淡々と進む面接。
博打で負けたことに気付き、だんだんに淡々としゃべりだす僕。

原稿読みのことはもう覚えてすらいない。

当然落ちた。TPOをわきまえていないんだからそりゃそうよ。


~~~~~

【問題ないはずだった全社不採用】

7社受けて7社落ちた。

どっちに転んでもいいし、むしろ全部落ちればなし崩し的にお笑いをやれると思っていたので、作戦上は全く問題ない。


改めて両親に話してみる。

「就活はしたけど、全部落ちたからお笑いやるよ。」


その日から、当時単身赴任をしていた父親による
「2時間かけて帰ってきて、僕に3時間説教して、2時間かけて単身赴任先に戻る」
というガッツの説得が毎週繰り返された。

母は泣いていた。

作戦失敗。


僕も「芸人になった場合の将来設計図」の資料を作って提出してみたりして抵抗していた。

(社会経験も無ければ、芸人の世界のことも知らない大学生が作った「ぼくのみらいよそうず」は穴まみれ。現状と比べると思い通りにはなっていません。)


折衷案として
≪3年は働く。それ以降は好きにする。また、適当に働くのではなく、営業職であれば社内トップの成績を収める。≫
というところに落ち着いた。

VS構造になりかけていたところを、父が「就職することのメリット」を説明する方向で来てくれたのも大きいし、ここで「どうしてもお笑いがやりたい」で突き通せなかった弱さもある。

父の「お笑いをやるにあたって「会社」というものがどのような場所か知っておくことは有利に働くのではないか?」というアプローチは効いた。


お笑いをやりたい気持ちはあれど、僕も納得した上で条件を飲み、9月の中旬から就活リスタート。


~~~~~

【就活リスタート】

条件を飲んだ翌日に、大学の研究室で秋採用をやっている会社を調べる。


名前を聞いたことがある人材系の会社が、翌週に仙台で説明会兼選考を開くことを知ったのでエントリー。

しかし、会社のことはよく分からないので、エントリーするなりその会社の盛岡支社(大学から自転車で15分くらいのところにある)に資料を直接もらいに行った。はた迷惑な話。

急な訪問にも関わらず、広報担当の方のみならず支社長さんまで出てきてしっかり対応していただいた。

臨時個別説明会。
聞けば聞くほど魅力的だったし、何より盛岡支社での対応が嬉しくて、この会社に入りたいと思った。

「ホントはお笑いやりたい」が根底にはあるものの、この会社に入りたいとも思っている。


仙台での一次選考、盛岡での二次選考とあれよあれよと選考は進み、東京での最終面接も手応え十二分。

最終面接の面接官はお笑い好きな方で、盛り上がった末に面接官と南海キャンディーズ山里さんのツーショット写真を見せてくれた。

その写真にカズレーザーさんが見切れていて、「メイプル超合金のカズレーザーさんも映ってますね〜」と言ったら、「君、メイプル超合金を知ってるのか!!面白いよなぁ!!」と。

面接官はドマニアだった。

(その時は2015年の秋なので、まだメイプル超合金さんがM-1決勝に行く前の話です。)


そのあとはラフターナイトの話などをした。

(だから僕はラフターナイトに出たくて仕方ないです。受かった場合のネタ前コメントはもう決まっています。)

面接後に「これは受かった。働きたい会社ではあるし、3年後好きにしていいとはいえ、お笑いはできなくなるんだ。」と思ったら、ちゃんと泣いてしまった。変な話。

そして、ありがたいことに内定をいただく。


僕は営業職として札幌支社に配属されることになった。


(研修期間。事業部の北海道東北ブロックの同期のみんなと。)


~~~~~

【ダメ社員】

札幌支社は皆さん素敵で優しい方ばかり。


しかし、まぁ~~~契約が取れない。
アポイントすら取れない。

就活時には「どうなってもいいや」と振り切れていたものの、サラリーマンになったら「ちゃんとしなきゃ」と思って、考えれば考えるほど言葉が出なくなってしまう。

そして、テレアポ時や商談時に変な感じになって、お客様と噛み合わなくて、失敗体験ばかりが積み重なる。
もう失敗のイメージしか湧かなくなるから喋るのも怖くなる。

ハイパー給料泥棒。
♪近っ頃 ちーまたで噂の ダメっ社員」の状態。
それでも見放さないでいてくださる支社の皆さんにはずっと申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

↓サラリーマン時代の思い出↓
https://www.youtube.com/watch?v=wDCw1rjxCPA



父と話した「営業職であれば社内トップの成績を収める。」は雲の向こう。

目の前のことで精いっぱい。


そして、家に帰ってSNSを見ると、吉本の養成所にいった学生お笑いの同学年の友達たちが養成所内のライブで大大大活躍している。

自分は札幌でうだつが上がらないサラリーマンをしている。

とにかく辛かった。
どんどんお笑いが遠くなっていく。

お酒の量が増える、増える、とにかく増える。
お酒弱いのに。


お笑いはやりたい。

しかし、仕事はうまく行っていない。

3年は働かなくてはならない。

そして、トップ成績を収めなければならない。

ダメ社員である僕を守り続けてくださっている支社の皆さん、特に課長さんには恩返しをしなければならない。



ある日の支社の飲み会帰り。

終電を逃して歩いて帰ろうとしていると、斜向かいに住んでいた隣の課の先輩が一緒に歩いて帰ってくれた。

そこで相談。

①3年働くと親に言ってしまった意地
②とりあえず親を安心させたい気持ち
③課長に恩返ししたい気持ち
vs
④お笑いやりたい気持ち
で板挟みなんですよね、みたいな。


先輩は「自分がやりたいことが1番だし、明日死ぬと思っててもお前が会社に居続けるのなら俺は笑っちゃう。」と。
(響きすぎて当時メモったので、まんまのやつです。)

確かに④は根底にあるやりたいことだけど、①②③も自分のやりたいことではあるから、決断はできなかった。



そんな中でも、学生お笑いの先輩である神山まるたさん(@godryorisu)が札幌に住んでいたのは幸い。
(丸太を売るお仕事をしているので神山まるたさん)

神山さんとM-1に出たり、キングオブコントに出たり、札幌吉本さんの素人も出られるライブに出たりしながら、何とか正気を保っていた。

神山さんや札幌吉本の芸人さんとお話している時間はずっと元気。

神山さんがいなかったら僕はどうなっていたことやら。完全に『札幌の兄』

(確か僕が上京したのと同じくらいのタイミングで転勤で関東にいらしたので、今でもたまに会えて嬉しいです。)

↓神山さんと一緒に出たM-1の映像↓
https://www.youtube.com/watch?v=SVxp4D7-kqw


(ナイスアマチュア賞Tシャツ、肩に「interesting」って書いてありました。興味深めのほうの「面白い」だったらしい。)

~~~~~

【第一志望】

こんな感じで過ごしていたが、なんだかんだで秋頃に信じられないくらい体調を崩した。終わりかけ。

人生で今後二度と体験したくない体調不良。
会社も休まなきゃいけないし、日常生活に支障でるようなやつ。

駆けこんだ病院のすぐ近くに札幌吉本さんのオフィスがあったのも印象的。

会社にも両親にもそれ以外の沢山の人にも大迷惑をかけた。


この爆裂体調不良がきっかけで「あれ?なんかのキッカケで急に死ぬことも普通に有り得るのでは?」と思うようになった。

隣の課の先輩の「自分がやりたいことが1番だし、明日死ぬと思っててもお前が会社に居続けるのなら俺は笑っちゃう。」という言葉が頭をよぎる。

両親との間では「3年しっかり働いてから好きにする。」ということになっていたが、その3年の間にも人は死にうるのでは???


結局、爆裂体調不良は半年くらいかけて治った。
ありがとう医学。

治りかけくらいのところで、もう会社を辞めてお笑いをやってみることは決めていた。

人、死にうるので。

爆裂体調不良でえらいことになったのもあり、3年働く話は置いておいて 両親も今度は送り出してくれた。



そして、退職して上京。

僕はお笑いを始めた。

第一志望の仕事。



2020年6月現在、北海道東北ブロックの同期はもう何人か課長になっている。

僕はこのような格好でふざけて、オーディションに落ちたりしている。



社会的には目も当てられない状況ではあるが、僕は僕で楽しくやれている。




~~~~~

以上です。


質問箱でいただいた「親とかの反対が凄くて…。どうやって説得しましたか?」については、全く説得できていません!
大失敗しています。
お力になれず申し訳ありません。


結果として今に至りますが、この選択が正解かどうか分かるのは僕が死ぬときです。

売れ切っていないとはいえ、今はやりたいことができていて登っていくだけの状況で、精神的には満ち満ちています。
いや、満ち満ちていちゃいけないんですけどね。ハングリーにいかんと。でも、それはそれです。
お笑いをやれていること自体の幸せ。

しかし、せめて親が元気がうちに「おや、正解くさいぞ…?」と思っていただけるくらいの結果は出したいところです。迷惑かけたからには。


また、自分が望む進路を曲げて就職活動を始め、札幌で勤めていましたが、結果としてその時の経験はとても大きな財産になっている感覚があります。

前職の会社の方で未だに連絡を取る方も複数人いますし、なんならライブに来てくださったりもしています。
先日は、可愛がってくださっていた先輩の課のzoom会議にビデオメッセージでお邪魔しました。
(僕が退職したのは3年以上前の話なので、それ以降に入社された方は「???」だっただろうなとは思います。)

無理矢理にでも「一旦就職」という選択肢を選ばせてくれた両親には感謝しています。
僕の場合は、サラリーマン期間は決して無駄ではありませんでした。


隣の課の先輩に相談した
①3年働くと親に言ってしまった意地
②とりあえず親を安心させたい気持ち
③課長に恩返ししたい気持ち
④お笑いやりたい気持ち
について。

④は既に動き出しています。
①はもうどうしようもないです。

②と③については
外から見ても芸人としてうまく行ったと思えるようなところまで行ければ、本来の形とは違えど叶えられるのではなかろうかと信じています。


こんなのを書いたからには頑張らなきゃいけません。
お恥ずかしい。

何卒応援のほど宜しくお願い致します。

ハイパー長文、読んでくださりありがとうございました。



ブログテーマはこちらで募集していますので、何かございましたら時間見つけて書かせていただきます。

https://peing.net/ja/son_d_min?event=0

 

 

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【今後の出演予定 簡易版】

 

6/21(日)

「remote conte」18:00~ 500円

●タイトルの通りリモートコントライブ!

https://ssl.twitcasting.tv/c:remote_conte/shopcart/9014

 

6/28(日)

「スーパーリーチ~その先へ~」@新宿ブリーカー

17:30~ 前売2000円

●久方ぶりのユニットライブ!

https://tiget.net/events/92966

 

7/3(金)

「山ねこライブ」19:00~ 1000円

●ホカホカネタライブ配信版!

https://tiget.net/events/93817


7/12(日)

「ミライビト」@新宿バッシュ

20:15~前売2000円

●未来ある若手ライブだそうです。掴もう未来!

https://tiget.net/events/93654

 

7/19(日)

「HENTAI以外強制退去」@新宿ブリーカー

20:15~前売2000円

●下ネタ限定ライブ!

 

 

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