1995年3月20日の朝。 | 曽爾村民による曽爾村の日常

曽爾村民による曽爾村の日常

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オウム真理教の幹部らが猛毒の神経ガス「サリン」を都内の地下鉄・日比谷線、丸ノ内線、千代田線の車内で散布し、死者14名、負傷者6000名以上を出した戦後最大にして最悪の無差別テロ事件、通称「地下鉄サリン事件」が起こった。被害者のほとんどは、いつもの駅からいつものように地下鉄で通勤・通学するごく普通の市民だった。また、被害者の救助にあたった人々にも死者を含む多数の被害者が出た。1995年当時としては、平時の大都市において無差別に化学兵器が使用されるという世界にも類例のないテロであったため、世界的に大きな衝撃を与えた。日本国外では「Tokyo Sarin Attack」と呼ばれることがある世界でも稀に見る大都市圏における化学兵器を利用した無差別っテロ事件であった。
宗教団体「オウム真理教」の多くの信者をマインドコントロールで洗脳し、大都市の中枢で化学兵器を使う手口は世界に衝撃を与え、20世紀末の日本社会を大きく揺るがした。
 
あれから28年。いまだに苦しむ方々がたくさんおられる。
医者からは治ったといわれたサリン被害者の多くが、その後も心身に様々な問題を抱えながら生活している。
自宅や勤め先で凄惨な事件現場がフラッシュバックする、通勤に出ようとすると足がふらついて踏み出せない、などのいわゆるPTSDといわれる症状をはじめとして、被曝を境に、視力が落ちた、目がチカチカする時がある、臭いや煙に過敏になった、殺虫剤や線香の臭いを嗅ぐと気持ちが悪くなる、疲れやすくなった、集中力が衰えた、記憶力が衰えた、ときには記憶の一部がボコッと脱落してしまうことがある。こうしたことが、高齢者だけではなく事件当時20代30代の人にも起こっていたことが重要である。

東京・新宿のNPO法人「リカバリー・サポート・センター」が2002年から年1回行っている無料の健康診断には、後遺症を訴える100人前後が訪れているという。事務局の山城洋子さんによると、当初は教団に対する恨みや憎しみを抱えたり、生き残った罪責感に悩んだりする人も多かったが、カウンセリングを受け「乗り越えられた」と話せるようになったケースもあった。12年ごろから用意した交流スペースでは、被害者同士が悩みや近況を語り合う。山城さんは「被害者が事件で抱えたものを全て吐露できる唯一の場所。継続的に支援を続けていきたい」と話す。

 

ちなみに、サリンは自然界にはありません。完全に人間が作り出したものです。 強い神経毒で、呼吸中枢などを停止させる。症状としては嘔吐、めまいなどだそうです。 地下鉄の事件で後遺症で苦しむ人が多く出ています。 青酸カリよりも危ない物質です