ミュージカル《モーツァルト!》の全公演が終わって、そろそろ二週間が経とうとします。
それでもまだあの思いは消える事無く、熱いまま身体中を火照らせ続けている。
毎舞台が終わるごとに行っているこの一問一答も、こんなに選出に答えに時間と繊細さをかけたことは今まで無かったように思えます。

今回、以前のM!まめ知識的な内容をブログ記事にした時も書きましたが、
こういう意図で演じてた、こういう風に思って感じて演じてた、と説明のような事は書きません。
皆様があの日、あの時、あの場所で感じたものが全てです。
すべてあなた方のものであなた方の中で生きている。
それが舞台というものですし、芸術だと思うのです。
なので皆様の思いを崩さぬよう(と同時に皆様が聞きたいことも精一杯)、なるべくそこを配慮して質問選出と答えを書きましたが、各質問に対して熱く長く語ってはいるので(笑)あまりそこまで知りたくないとか、自分だけの余韻を楽しみたい方は、お避けください(笑)
基本、まめ知識の延長みたいな感じなのですが、軽めのものから裏話的なものも含め15問選出しました。選出されなかった質問でも共通している事が書かれているものが多いので、ぜひじっくり読んでみて下さい。(Twitterでも以前公演中に色々話をしているので、よかったらそちらの方もチェックしてみてください。無料登録もできるししなくても見れますよーtwetter)
皆様、お茶とお菓子など手元に、ゆっくり御読みくださいませ。
楽しんで頂ける事を願いつつ、最後の旅に出ましょう!!

ミュージカル《モーツァルト!》一問一答

Q1:
モーツアルトのような長丁場の舞台では、作品の仕上がりが徐々に進化して、後半の舞台ほど成熟度が増してる感じがしますが、あえて前半の舞台を見に行く良さを教えてください。(私自身は、今回はじめて2回見に来ましたが、2回とも楽しめました。)

A:
まず、最初の頃の方が大体みな体力が残ってるので、エネルギーはあるかと(笑) あとは、稽古場で作ってきた"元々作ろうとしていたもの"というのに近いと思います。後半はやはりステージにあがって稽古とは違い衣装やメイク証明音楽なども加わりお客様の前でやることの意識によって自然とどんどん変わっていきます。役者間の関係で稽古では見えなかったところも深まっていくので、その進化もみれるのが後半でしょうね。どっちも見る価値はあると思います。

Q2:
コンスタンツェは「ヴォルフガングの死後残ったのは借金だけよ」と言いますが、コンスタンツェは本当に悪妻だったのでしょうか?ソニンコンスを見ていると、あずま家を去った時も、ヴォルフを愛し続けていたように思えました。

A:
どうだったのでしょうね。これは本当にわかりません。悪妻説派と擁護派がいて、相当研究した上で理論を立てているので、どっちかと言えば本音は擁護派に立ちたい私ですが、私の中で、"悪妻でも、悪妻でないでもない"という位置づけにしました。"仕立て上げられた悪妻"感は否めない。かといって良妻でもなかったと思う。実際家事をちゃんとしてたわけでもないらしいし。家事も家計も出来て、彼を全力でサポートするのが良妻か悪妻で分けられるならば。その他、悪妻と言われる理由はあげられていますが、なんでも表裏一体で、それには彼女なりの理由もあったと思う。この作品ではあまりコンスタンツェ像に対して丁寧にわかりやすく筋通して描かれていなく、事実だけを散りばめて、あとはオリジナルのドラマを最低限繋げるために盛り込んだという印象なので、一体彼女は何者なのかがわかりにくい。ただこの作品でそうなっているのは、この作品のせいではなく、実際もぼやけている部分が非常に多い。モーツァルトがなぜコンスタンツェに惹かれのか、に始まり。だから私は、歴史上紐解かれきれてないように、悪妻とも違うともの説のように、観るお客様によって、どっちにも見えたらいいなと思って実は構築しました。「悪妻っぽい!」と感じる人もいれば「悪妻じゃないんだよね」と感じる人も。歴史上にもそれぞれいたように。それはモーツァルトに関してもそう。私は彼らについて調べるうえで、真実は色々あるからこその魅力が彼らの色なんだと。


Q3:
舞台では、歴史上の人物が美化されることが多々ありますが、ソニンさん的に「歴史」とは、どのようにお考えですか?また、歴史を学んで舞台に臨み、舞台と史実にギャップがあった場合、どのようなことに配慮して、役を演じてますか?

A:
上記にも散々書いていましたが、歴史って、真実がどこなのかわからない部分もあります。人の噂と同じで、色々上乗せされたり変わっていったりしてしまう。ただ様々な人が研究してきた上での事柄なので、近いだろうしそれを歴史として人は学ぶ。だから私も作品の背景は必ず調べはします。ただ、じゃぁ言い伝えられている歴史と作品のストーリーが違う時に、歴史はこうだからと無理強いして作っていくことはしません。だったら歴史ドキュメンタリーショウをやればいい。作品を通して芸術化することによって現在の時代の私たちが感じて共感してそこから学ぶことができます。ただ、全く無視するとその題材を使う意味がないので、知った上で、この作品の中のストーリーや伝えようとしているものと、うまくブレンドしていく。これが大切なことだと私はいつも意識しています。作品の流れに活きないと歴史なんて調べる意味がないし、知らないでやると腑に落ちないことがたくさん出てくる。身体の中に歴史上事実を流しながら、その作品の中で生きるという感じでしょうか。

Q4:
以前ミミの時に色気を出すため香水をつけていたとおっしゃっていましたが、今回コンスタンツェを演じるにあたり、密かにやっていた役作りのようなものはありますか?

A:
コンスタンツェは美人でなかったと言い伝えがあります。なので外見的に可愛いくならないよう作って、もちろん香水みたいなオシャレ気分なども排除。以前の記事にも書きましたが、眉毛を太くへの字に(肖像画すべて特徴的なので)、付けまつげも目尻がつり上がったキツめのものをチョイス。

(わかり辛くてすみません)
外見で惚れらるようなビジュアルにはしたくなかったです。それは私にとってとても大切なことだと思ってました。だってモーツァルトが美人で才能ある魅力たっぷりの子と結婚してたとしたら、これ、また全然違う物語(この作品だけではなく)になってましたぜ!?笑 やっぱりモーツァルトは変わってたんだと思う。コンスタンツェの何かに惹かれたのか、それとも、"ある一説: セシリア(母)とコンスタンツェの策略" に引っかかっちゃうモーツァルトの抜け加減、いやお人好し?からだったのかはわかりませんが。とにかく、母セシリアは本当にとんでもない女性だったのは確かだとか。その娘ですからね。ま、真実の愛にせよないにせよ、コンスタンツェも変わった(ある意味魅力的な?)人だったと思いますよ。




Q5:
1幕と2幕の間の25分休憩はどのように過ごされているのでしょうか?ソニンさんにとって25分は長いですか?短いですか?

A:
実は一時も時間余らないんです。むしろ足りない。笑 1幕終わる前から化粧チェンジを開始します。1幕はプラター公園で人形みたいなピンクのチークを盛り盛りでしてるので、それを落としてやり直し。幕間で次の衣装の下地に着替え、カツラも変える。楽屋に戻ったら、化粧チェンジの続きと、二幕用の袖幕に必要なもののスタンバイ。すぐ衣装さんが来ます。衣装をコンプリートしてまた舞台袖へ。二幕は衣装早替えと化粧早変えも多いので、すぐ使えるよう、諸々をプリセットします。するともう5分前。ヘアメイクさんがフードをかぶせにきます。袖スタンバイ。
とこんな感じ。この間にウガイしたり飴なめたり水分補給したり喉ケアも挟みます。
意外に役者さんにとって休憩時間は休憩じゃないんですよ。


Q6:
2幕で、ヴォルフガングの処に転がり込んで来ますが、やはり、あれはワナと知りつつ協力してたのでしょうか。でも、「結婚」の言葉には、心底びっくりされていましたし、ヴォルフガングに「自分の意思で来たの」と、弁解っぽい事も仰ってます。描かれていない展開がどうあって、そして、どう気持ちが動かれたのでしょうか?出来れば、その当時の気持ちも含めてお聞かせ願えればと思います。

A:
ふふふ。どうでしょうね。これ、おそらく、上演されている国や演出家によって違っているのではないのでしょうか。ここの部分はオリジナルの演出家に一番聞きたい箇所かもしれません。それで、コンスタンツェの立ち位置が全て変わるので。他の国の映像を少し見ましたが、そこでは、コンスもまんまとグルの設定のようでした。実は我々の稽古の時もそんな話が出てきました。が、しかし、演出家からは、そこに関してはこのようにという指定はなかったのです。ですが、このシーンの中での演出家の意向にそわせつつ、私なりに落としました。みなさんにはどう見えましたか?


Q7:
アマデの箱と赤と白の羽ペンなどが象徴するもの。感じたことなどありましたら、教えてください。 コンスタンツェにとってのアマデの存在についても、お聞きできると嬉しいです。 「ダンスはやめられない」で最後、赤い羽根ペンにキスをするのも、ソニンツェならではでとても印象的でした。

A:
とにかく、コンスタンツェにとって存在するのは、赤い羽根ペンのみなので、アマデも箱も白ペンも理解もとい意識すらする事もできません。見える、認識できる、赤い羽根ペンが、モーツァルトを何か影響してたり彼の中にあるもの(アマデや箱、白いペンに繋がっている)に通じているツールで、とても彼女にとって不思議で大切でライバルで愛おしい存在なのかと。彼がいつも羽根ペンを持っている時は、夢中になったり相方のようであったりイキイキしたり、でも羽根ペンに触れている時の彼には近づけない。だから赤羽根ペンに触れていると、自分に理解できない彼の事が理解できるのかもしれない見えて来るかもしれないって問いかけるよう。彼の前で素直になれなくても、赤羽根ペンには話しかけたり素直な顔を見せたりもしてたのかなと。


Q8:
M! の公演中ソニンさん自身や他のキャストさんとの間で今だから言えるハプニング的なこと(消えた羽根ペン的な…)がありましたら教えてほしいです。

A:
毎回舞台ではハプニングだらけの私ですが、実は今作品ではそんなになかったのです。その、羽根ペン事件くらいではないでしょうか。
上に続きますが、その羽根ペンを投げ捨てる(もしくは叩き付ける(笑)あのシーンのあの行為は私コンスの中で、全てのピークで、全ての思いがその行動に詰まっているので、どうもね(笑)もちろん気をつけていましたよ、最大限に(笑) でもね、羽根って結構方向読めないんですよ(笑)再演があったとしたら、まず真っ先に、立ち位置や投げる方向や照明やらの変更の申請をしますね!(笑) いやいや、でもヴォルフ2人には誠意を持って謝罪をしたいです。しました!(笑)


Q9:
M!公演中、何か差し入れをしましたか?皆さんもされるものですか?

A:
みなさんされますね。お弁当だったり、おやつだったり。私は今回は大してしていませんが、ハロウィーンの日に、手作りでパンプキンプリンを作って行きました。ファーマーズマーケットで買った美味しいかぼちゃをふんだんに使って。当時まだマンスリーマンションだったので、オーブンもなかったのですが、試行錯誤して、卵も乳製品も精製砂糖なども使わず、なんとかうまくいき、みんなさんに。


小池先生はじめ、みなさんに好評で、東京千秋楽打ち上げでも『あれは美味しかったよねー』と言ってもらえて、よかったです。それくらいです。(^^;)



Q10:
ソロの曲ダンスはやめられないについて聞きたいです。目に鱗感が強く初めて見た時は鳥肌と震えが止まらなかったです。毎回涙なくしては見れませんでした。こんな歌だったんだとはじめて納得できたというか。あの歌に何を盛り込んだのでしょうか!?

A:
とにかくこの歌との付き合いが一番自分の中で深く、この歌で始まり、この歌がコンス像を作り、この歌を歌っている時が一番自分(コンス)という人間の複雑さを表しているようでした。最初に、この作品の作曲家リーヴァイさんに送る際に自分なりに理解した風に歌い、小池さんの前で歌い、振り付けられた通りにやり、公園で練習し、家では夜中朝方まで考え込んでは急に歌ったり、稽古場で何度も何度も鏡みてやったりスタッフやキャストの方に見てもらって意見もらったり、と様々な段階をふみ、この曲にアプローチをしましたが、最終的に役立ったのは、やはり歌詞の意味とこの曲調の表している表情が私の最大のヒントでした。以前ブログでこの曲のトリビア話をしましたが、日本語歌詞とオリジナル歌詞の意味合いが少し違うのです。でも、この曲は元々オリジナル歌詞の世界の曲調であるはず。言葉は日本語歌詞ワールド。それのブレンドですかね(何度この言葉言ってるんでしょう笑) 歌詞は、歌うのではなく、セリフとして喋ってみました。コンスタンツェの境遇で。それから、なんとなく自分がやりたい方向が決まり、振り付けの清美先生に、『ここ、こういう風に変えても良いですか』『こういう意向でこういう風にしたいのですが、そう見えますか』などと相談しながら振りも変えて行き、小池先生に見てもらう。意見をもらってはまた少し工夫する。という風に結構ギリギリまで自分の中で試行錯誤していました。正直、コンスタンツェという人物像が、今まで見て来た日本のお客様の中で、どういった風なイメージだったのか、私はわからなかったので、不安ではありましたが、私なりのコンスタンツェ像がもし伝わって何かしら良い影響を与える事が出来てたならば、とても嬉しいです。不安で不安で眠れなかった稽古時の私に『大丈夫だよ頑張って』と伝えてあげたいですね(笑)


Q11:
ニッセンとしてのラスト。ドクトルからお金をもらう時はどのような気持ちだったのですか?ウェーバー夫人とほぼ同じ時に舞台上でお金をもらうのを観ると何かゾッとするというか、ハッとするというか、そんなものを感じました。

マダムニッセンのパート。この物語を振り返るにここを避けるわけにはいかないですね。実は、マダムニッセンのシーンは、一番最初に立ち稽古をつけたパートでもあります。(正確には”ダンス~”や”愛して~”の振り付けは先にありましたが)演出家の小池先生ワールドの入り口でした。演出側のやりたい事が第一印象に入って来たパート。まず、ここはミステリー映画のように。とにかく、ゾゾッとするような怖さや何かホラーでも始まるかのような。そこから、あの、モーツァルトのピアノ演奏への変化の差。世間の”悪妻” というイメージをここでというオーダーをされたのを覚えています。というわけで、まずは、雰囲気というか、声色を色々研究しました。実は年取った役(パート)って初めてで。作り込んだものではなく、現実味ある、自分のものにしたかったんです。難しかったけど、自分のチャレンジ精神を刺激され、常に研究し続けていたので、楽しかったです。そして、ラストのパートだけではなく、コンスタンツェのしている行為。マダムニッセンのシーンってプロローグだったりエピローグとして説明セリフが多いので、ある意味、効果的なシーンとして、でもあるのですが、なぜ、現在(時空間的にいま)のシーンをコンスタンツェに演じさせたのか。やっぱりモーツァルトの側にいたコンスが彼の全てを見てたんだと思うのです。とても謎めいたシーンではあるのは、やはり、2人の事は真実が明かされていない部分が多いように、その象徴でもあると思います、語り継がれている事実だけをセリフで述べている。彼女だけ知っている、彼女が見て来たモーツァルトに思いを馳せ、でも行動は”世間イメージの悪妻”。そして、ラストには、母親のセシリアとシンクロするようになっている。思いはあっても、やっぱり女って現実をみていて強いのだと思うのです。実際モーツァルトが残した借金で大変だったみたいですし。でもそこに冷酷さだけではなく、思いや愛は本物であったという、”昔のシーン”とのブレンド。思いが飛んだり、現実に戻されたり。色んな意味でもすごくすごく深いシーンだと思います。


Q12:
舞台では、ヴォルフはコンスに誤解されたまま亡くなりますが、実際、亡くなるときの、仲はどうだったと思われますか?ソニンちゃんのお考えをお願いします

もちろん真実は二人に聞いてみないとわかりません。ただ、私が今回この作品に臨むうえで、ふたりの仲は本当はどうだったのかというのは資料本などを読んだりしているうちに定めなくてはいけない重要なところだと思いました。色々な説があると思います。そもそもこの作品では、アロイジアとの恋にあまりフォーカスを当てないでいます。それは作品として恋物語を深く書いたら収拾つかなくなるのと、この作品でそこを引き出しすぎたらぼやけるからではないでしょうか。最初台本読んだイメージだと、夫婦ふたりの愛し具合が一体どうだったのかクエスチョンだらけでした。最後は別れ(本当のところは"心の"ですけど。彼が死ぬまで物理的に別れてはいませんから)のシーンもあるし。でもやっぱり色々調べてると、手紙の内容を見ても、どうやらふたりは最後まで愛し合ってたようで。ちゃんと愛し合っていたと思うんだけどという提示をふたりのヴォルフには相談しました。もう一度言いますが、本当はどうかはわかりません。手紙がすべて本音とも限りませんし。愛自体がお互い本物だったかさえわからない。ただその設定が私にとってこの作品でのコンスタンツェに筋を通した最大のキッカケだと言えます。

Q13:
今回ソニンさんのコンスで特に印象に残っているのが、レオポルトが亡くなってしまい意気消沈しているヴォルフを後ろからアマデが首を絞めようとしてヴォルフがおかしくなってしまうシーンでいつも口を抑えながら涙されていましたがあの時はいつもどんなお気持ちなんですか?

A:
最初に、このシーン、自分が愛する人がこうなったら自分ならどうするか、という事に置きかえて考えてみたんです。それで自分の中ですべて腑に落ちました。稽古でそれを実施した所、ある方々にそのシーンの全体の意図が通じたようで、これでいこうと思いました。どんな気持ちだったかというのは、観ている方によって違う風に見えたと思うので、あえてここではその説明はしませんね。ただ、このシーンわたし、大好きです。混乱し始めた彼の元に駆寄る時、役者として、何もプランなど考えず、その日のヴォルフで自分の芝居が自然と反応するので、毎回未知の世界の入り口に突入するような気分で役者心としてはドキドキワクワクでした。


Q14:
帝国劇場と梅田芸術劇場では、演じていて違いなどはありましたか?わたしは、両劇場で観劇しましたが音の響き方が違うように感じました(素人感想ですみません)。同じ作品なのに違った見方ができて楽しかったです!

A:
音響はもちろん違ったと思います。劇場が違うので響きが違って聞こえたでしょう。劇場変わると必ずあることで、私たちもそれを感じています。そもそも、劇場が同じでも、気候や湿度、昼と夜でも違うんですよ。私はわずかながらも、毎朝舞台にたって今日の劇場の状態をうかがいます(笑)今日は乾いているから包むように、今日は低音が響きそうだから埋もらせないようにしようとか。大阪公演では、劇場が変わったからか、期間が少し空いたからか、色々変化はありました。特にふたつ。ヴォルフガングとの関係の深化。相手も関係することなので、当たり前なことかもしれませんが、東京を終えて、更に、2人ののやりたい事と、自分のそれぞれのコンスの調和を試み実践できたのではないかと思います。あと、ひとつは、歌唱。実は年末行ってた韓国はヴォイトレを受けに行ってたのですが、それを試みる場でもあったので、自分の中では、少し変えて歌いました。そんなすぐ変わるものでもないので、わずかではあると思いますが、自分では、東京公演と大阪公演の録音音源を聞き比べるとは明らかに違っていました。


Q15:
Twitterで「今日は育さまモード」などとおっしゃっていましたが、山崎ヴォルフとの時と井上ヴォルフの時とでそれぞれどのように変えていらしたのですか?

A:
今回、何度も上演されているこの作品に初めて参加する上で、再演状態である稽古場がどんどん進んで行く上で、私はこの短期間で何をすればこの作品の芯(意図)が掴めるのだろうか、と考えていた所、やはり、この作品は、”ヴォルフガング”なんだ、と自分の中で答えを見つけました。とにかくこの人たちがやっている事を、やろうとしている事を見よう、汲み取ろうと稽古場で、穴があくほど、自分の稽古がない時も彼らをずっとみてきました。ご覧になった方はご存知の通り、このふたりは全く違い、一緒に芝居をしていると、よりそれを感じます。これは、それぞれに合うコンスで芝居をしなくては、と感じました。まだ稽古段階での取材でも(月刊ミュージカルだったかな)出来るかわからないので自信なさげだけど(笑)そのような発言をしています。それが、今回の作品の上で私の役者としてのテーマでもあったと思います。稽古ではお互いの役がダブルなので、一人のヴォルフとの稽古は単純計算で1/4。なので本番中に、それぞれが変化していくと同時に、関係もたくさんの発見と深化の連続でした。ダブルの相手によって自分の役像を変える。最後までずっと課題でもあったし、とても勉強にもなりました。
歌声含む声から、年齢、間の取り方、歌い方、強弱、表情、物理的にも関係的にも立ち位置、心の流れ。。様々な事を。
彼らのために演じよう。
全て彼らのために。
私にとって彼らが全てでした。
そして、そんな彼らが表現者としても、人間としてもとても素敵だった事に私はとても感謝をしています。ヴォルフガング同様、純粋に相手を見て受け止めニュートラルに接してくれる二人にこの公演中たくさん助けられ、コンス同様、彼らは私のヒーローであり最大の味方でした。
この2人の事、本の一章分の思いをつらづら語ると私も前に進められなくなるので(笑)これくらいのまとめにしておきます。お二人のファンの方達にもやさしくして頂いて(だけでなく今回はお客様みなさまたくさんの声援とても嬉しかったですありがとうございました)、私は本当に幸せものだなとしみじみ感じていました。



舞台は同じものを繰り返し見る事も巻き戻しもできなくて儚く、そして心の中に生きるからこそ尊い。

でも、今回はDVDの発売が決定しています!!これまた生の舞台とは全く違うものではありますが、こうやって記録として手元にあるというのはとても貴重な事ですね!予約しましたか?忘れずにね♥

私も前に進まなくては行けません。今年は、出演舞台3本が発表されています。

最後のサムライ
2015年3月4日(水)~3月15日(日)天王洲 銀河劇場(東京)
http://samurai13.exblog.jp/

嵐が丘
2015年5月6日(水・祝)~26日(火)日生劇場(東京)

http://www.shochiku.co.jp/play/others/schedule/2015/5/post_203.php

トロイラスとクレシダ
2015年7月~8月 世田谷パブリックシアター(東京)、兵庫県立芸術文化センター(兵庫)
http://setagaya-pt.jp/news/2014/12/201578_1.html

どれもストレートプレイですが、皆様に色んな私を見て楽しんでいただけるよう、がんばりますので、
ぜひ劇場に会いにきてくださいね!!


ミュージカル《モーツァルト!》を観劇なさった皆様、応援してくださった皆様、関わった皆様方、
本当にありがとうございました!
皆様と共有できたことを本当に幸せに思います。
またお会いする事があります事をすこし胸に秘めながら、ソニンコンスタンツェに幕を閉じたいと思います。
愛をありがとう。
I love you, Wolfgang Amadeus Mozart.
from Sonimze.