今日は初めて第三部に知り合いが観に来てくれました。(みな第一部をみにくるので)私の男の子姿みたいと(笑)
あ、母親もきました。
本番が終わったあと、
シェイクスピア大学校講座が劇場でありまして、今日は《シェイクスピアとジャンヌダルク》でしたのでラッキーにも仕事も入ってなかったので、聴講しました。
講師の佐藤賢一さんは『フランスびいきの私としては、シェイクスピアは英雄でありアイドルのジャンヌを、なんてひどい描き方をするのだ、シェイクスピアのやつ尻尾を出しやがったな、と思ってしまいます』とおっしゃってました。
もう、大いに、それは、心痛いのを乗り越えてきた私には、誰よりも(?)わかっております。(聴講中涙でてきたよ^^;)
むしろ、稽古中一番大きかった壁と言えましょう。
どれだけ苦しんだか^^;
本番前も、『ジャンヌダルク様、許してね、これも世を正すためのひとつの表現方法なのです』と唱えてます(笑)
ただ、今日講習を聴いて思ったのが、文面、つまりセリフだけ見聞きすると、ただの《悪の魔女ジャンヌ》かもしれないが、そこに何が隠されていて、イギリス側シェイクスピアにペイントされた彼女から何がみてとれるのだろう、を表せるのは、芝居になった時なのだ、と。
単純に、イギリスの《善》トールボットとの対比のためだけではなく、やはり、ヘンリー六世に描かれたジャンヌの別の叫びがあるんだ、と改めて確信しました。
実は、こんなアプローチの役は初めてで、正直すごく難しいし精神的にも辛いのだが、誰もが英雄と認識しているものの説明ではなく、別の思考外の視方を提示して感じて頂く表現方法を勉強させてもらっている今の私は、忘れられない役所となるでしょう。
残りも、大いに、シェイクスピアの甲冑をきてジャンヌの魂を叫びたいと思います( ̄00 ̄)ρ
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FREMAGA(フリーマガジン)vol.7
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