泣いて馬謖を斬る | ONもOFFもあらゆるものに興味を持つ欲張りな人のブログ

ONもOFFもあらゆるものに興味を持つ欲張りな人のブログ

人材紹介会社の事業企画・マーケティング担当。しごと・キャリア・マーケティング・雑誌・ネット・スポーツ・デザインなど関心分野は際限ありませんが「これは」と思った情報を自由奔放に発信してゆきます!新たな気づきや共感・笑いを感じていただければと思います。

愛してやまない中国の「三国志」ですが、
現代にも語り継がれる故事成語が数多く生まれました。

「泣いて馬謖を斬る」

中でもこの言葉を目にして胸の詰まる想いになる三国志ファンは沢山いらっしゃることでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
泣いて馬謖を斬る(Wikipediaより抜粋)

蜀(蜀漢)の武将・馬謖が、街亭の戦いで諸葛亮の指示に背いて敗戦を招いた。この責任をとり馬謖は処刑されることになるが、馬謖は諸葛亮の愛弟子であり、他の武将の一部からも「馬謖ほどの有能な将を」と慰留の声があがった。しかし諸葛亮は「軍律の遵守が最優先」と涙を流しながらも処刑に踏み切った。

…ちなみに現在の日本では、「どんなに優秀な者であっても、私怨私情で法や規律を曲げて責任を不問にすることがあってはいけない」という意味で使用されることが多く、『正史』の記述に則したものであると言える。マスメディアでは、何か不祥事などを起こし仕方なく処分された人物などがいた場合に「泣いて○○を斬る」などと引用して利用されることがある…
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

主君劉備に加え、関羽・張飛をはじめとして長年にわたり活躍してきた勇将や知将が次々と世を去り、深刻な人材難に陥りつつあった中、街亭の戦いは起きました。魏を攻めるために北伐と銘打ち蜀の大軍を率いた諸葛亮は、連戦連勝を重ね、ついに長安や洛陽の目前まで進軍します。そして武器・食糧補給のための喉仏ともいえる最重要拠点、街亭の守備を、馬謖に託すことに。

ところが期待に応えようと功を焦った馬謖は、諸葛亮の命に背き、副将王平の諌めにも耳を貸さず安易にも水路を捨てて山上に陣を構えてしまいます。この一報を聞いた魏の奇才・司馬懿は電光石火のごとく山の四方を大軍で取り囲み、兵糧攻めに。わずか数日間で北伐の要所を失い、全軍撤退を余儀なくされた責任を問われた馬謖は周りが自分のことを必死にかばうのをさえぎり、父のように慕ってきた諸葛亮に涙を流しながらこれまでの感謝の意を伝え、自ら処刑場へ足を運んだのでした。

この美談は、
●組織の規律やルールを守ることの大切さ
●自分の知識・能力に慢心し冷静さを失ってはならない


という教訓を僕たちに示してくれています。

ガチガチすぎる規律はそれはそれで窮屈になってしまいますが、なあなあな決まり事も皆の士気が下がる原因になります。また、自信なさそうに縮こまっているのも閉口しますが、「自分はこのやり方で成功してきたんだ」「絶対にうまくいくはず」という自信過剰も良くありません。常に冷静さを失ってはいけないんだと思います。

超大作の三国志DVD(全48巻)もついに残り4巻というところまで来ました。
今月中に観終えられるはず!自転車(自信過剰気味)