悪いなら悪いなりに[No.321] | 起業して不安はあるもののワクワクしている50歳・IT技術者・中小企業診断士のブログ

 English

 

先日、床に転がっていた犬の缶詰を踏んで足を捻挫してしまった。今はそこそこ歩けるようになったものの、丸4日をベットで過ごす羽目になった。足の甲の中に氷が入っているような冷たい鈍痛が続き、とても辛い期間を過ごした。そのような中でも仕事で与えられた役割は果たさないといけない。右膝に爆弾を抱えながら千秋楽の優勝決定戦で鬼の形相で勝利したときの貴乃花のように、と言ったら大袈裟だけれども。

 

プロ野球のエースにも悪いなら悪いなりのピッチングが要求される。いつものようなストレートの伸びがないからといって試合を壊してしまってはチームからの信用を落としかねない。何とかかわしつつ5回を2失点程度に抑え、打撃の援護を待たなければならない。パフォーマンスのバラツキのなさ、つまり安定が信用に繋がる。アイツでダメなら仕方ない、と。

 

気分もそう、だめな時もあれば、冴えている時もある。同じようなことをやるにしても、どうしても気分が乗らない、ダルい、集中出来ない、時には部屋の片付けを始めてしまう時もあれば、逆にノリノリで次から次へと出来てしまう、しかも快適に、俗に言うフローな状態の時もある。そんな波があるものだから、ダメダメな時にやることを予め決めている。比較的、心理的な負担の小さなことだ。例えば、簡単な暗記の定着、溜まっている事務的な雑事の処理、仕事に関係するかもしれない教養番組の視聴といった具合に。

 

でも、ちょっとタイトルとは逸脱するけれども、本当に、本当に、ダメな時は完全にストップしても仕方ないと思うようになった。時にはそういう時もあるから。しばらく何もしない状態を続けているうちに、捻挫した足の指が少しづつ、少しづつ、動いてくるように、動き出したい気分がわずかながら湧いてくる。そこから、少しずつ、少しずつ、現状を取り戻していけばいいのではないか?と、そんなふうに思う。

 

どん底な歌

 

さらにダメダメ時だからこそ、日常の何気ない有り難さがよく分かる。動いてくれる足。自分が動けないのをカバーしてくれる家族。さらには孤独を癒してくれる犬。普段なら絶対に気付けない、気付きだ。周囲に苛立つのではなく、もっと感謝しないといけない。怪我の功名を身を以て納得した出来事だった。

 

人間万事塞翁が馬