0ボール・2ストライク~背水の陣[No.318] | 起業して不安はあるもののワクワクしている50歳・IT技術者・中小企業診断士のブログ

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WBC メキシコ戦。序盤に3点を先制され打って返すしかない。なんとか塁に出て欲しいけれども、0ボール・2ストライクと追い込まれ、相手投手には空振りを誘うストライクゾーンから逃げていくアウトコースのスライダーとか、インコース高めのストーレートなど、幅広い選択肢が残されている圧倒的に、圧倒的に不利な状況だった。そんなふうに追い込まれている打者を応援しながら、かつて自分が追い込まれ、何とか事態の好転にむけ悪戦苦闘していた、あまり思い出したくない胃液が逆流しそうな、過去が思い出された。

 

ITシステムのリリース直前での致命的なプログラムミスの発見。今なら働き方改革の流れの中、残業規制を理由にリリースの延期など、可能性として考えられるが、当時の気合いで何とかすべき!な空気が充満する体育会系気質により、それは許されるはずもない選択だった。48時間ぶっ通しでの勤務の中、あと夜明けまでの2時間でなんとかしないといけない、でも望ましい結果は得られない。極限。このようなことを経験すると、良い悪いは別として、多少の事では動じない、妙な鈍感力が身につくとともに、異常な集中力が発揮される場合がある。

 

私は以上のような修羅場を幾度か経験し、追い込まれた時は可能な限り冷静に適切な判断をできるタフな自分でありたい、そう強く思うようになった。ヘミングウエイの小説「誰が為に鐘は鳴る」での死と隣り合わせの危ない戦場において自らの任務を淡々と遂行する主人公ロベルトジョーダンみたいに。そういう時の適切さが自分の価値だと。しかしながら、私は実際に厳しい状況に追い込まれると、上手くいかなかったらどうしよう?どうにか上手く批判をかわせないかな?といった、問題解決とは関係の薄い残念な邪念が時として付きまとうことがある。イチローが守備について語っていた、事前の適切な守備位置、バットに当たった瞬間の第一歩の反応の良さによりファインプレーを必要としない確実さが素敵だ、そんな言葉が痛く自分に突き刺ささる思いだった。

 

一方、終身(永代)雇用が保障されていたりすると、所属している組織の縦の序列に従順に従っていれば長期の安定が保障される。そんなだから、ルールを守ることだけが妙に優先されるサービスの受け手を無視した独りよがりな対応が批判の的になることがある。可能な限り自らの責任を回避することに工夫が、エネルギーが、時間が、最大限に向くものだから、サービスの受け手の不満は時として強烈なものとなる。

 

日本はバブル崩壊後の失われた30年の間、少しづつ、少しづつ世界における影響力を失ってきた。遂にここ数年の間に、平均年収額でお隣の韓国に抜き去られた。そんな状況にあるにも関わらず、切迫感に乏しいと感じるのは考えすぎだろうか?イマイチではあるけれども、まだまだ何とかはなっている、だから自分の担っている間だけは過去の踏襲による安全運転、茹で蛙。0ボール・2ストライクな切迫した状況に追い込まれない限り、挑戦には至らない。

中国の古語である「背水の陣」はジリジリと追い込まれて仕方なく逃げ場なのない状況に陥るわけではない。指揮官が敢えて逃げ場を排することで兵士の必死の覚悟による火事場のクソ力を促す戦術である。申し分のない環境が与えられているにも関わらず、ちょっとした不都合を現状の停滞の言い訳にしているようなチームに今後の多くは望めない。また今まである程度、実績を残すことができていたとしても、Amazonの創業者ジェフベゾスが述べていたように、day one、つまり毎日が最初の一日の連続として、新鮮な、傲慢になることのない謙虚な気持ちで、かつ切迫感を伴いながら毎日を始めていたい

 

日に新たに、日々新たに、また日に新たなり

中国戦国時代の古典:大学より

 

切迫感のある演奏