異 ~ 1 + 1 > 2[No.317] | 起業して不安はあるもののワクワクしている50歳・IT技術者・中小企業診断士のブログ

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生まれ育った環境、生まれつき備わっている性格や体力、経験によって得られた、または損なわれた自信、保有している資産の多寡などなどにより、全く同じ刺激に対しても、その反応は三者三様である。例えば、知人に挨拶したにもかかわらずムスッとした態度を返された場合、ある人は体調でも悪いのかな?と相手の状態に気を留めるものの、そのことによって気持ちを掻き乱されることはない。またある人は昨日の自分の言動が彼の気に障ったのかな、まいったな・・・と塞ぎ込んでしまうかもしれない。

 

このような多様な個性が交錯する中、「異」同士が上手く組み合わさり補完し合うことで、各々が持っている可能性を足し合わせたもの以上が成し遂げられる多様性の大切さが、画一性により停滞(衰退?)している日本の現状を変える機会として取り上げられることが、このところ多い。その一方、相互に疲弊するだけの「異」の残念な組み合わせもある。相互の欠点を指摘し合い、傷つけあう、足を引っ張りあう、最悪な関係だ。過去に成果を出し、今後の成長は見込めないばかりか徐々に先細っているものの今なお企業の業績の柱となっている「保守」が幅を利かせているような環境では今後を新たに支える「革新」は育ちにくいと言われている。「保守」が「革新」を叩いて潰してしまうから。おまえら稼げてないのに、何をのほほんと遊んでるんだ?と。

 

 

江戸時代の貿易が禁止されていた頃、長崎の出島に限定し、特異を許すスペースが確保されていた。これと同様に現在の企業において保守によって革新が潰されることのないように設けられた独立した保全エリアは「出島」と例えられている。とっぴで斬新なアイデアを持った者が「常識」でがんじがらめな古風な社内「エリート」から守られた出島で革新を起こし、将来の成長の柱を打ち立てる仕組みである。

 

妙に失敗を恐れ守りに徹する人、その一方、失うことより自分の想いを全うすることに妙にバランスが傾いている人、色々なタイプの人がいるが、今の日本にはどちらかというと後者が求められている。でも勇気を出して思い切ってやってみたものの、モノになるのはごく僅かだ。だからダメでももう一回やってみるしぶとさ(レジリエンス)、お金が途切れないためのその使い方のメリハリ、自分の想いを上手く伝え人をワクワクさせることで支援を集める魅力、そんなことを強く意識していたい。

 

異と異を組み合わせ、変わってしまった環境に柔軟に適応する、素敵な考え方だ。しかしながら、表立った成果に乏しい時期が長く続いたりすると相互に内向きな批判を繰り返し、疲弊し合うような関係に陥ってしまうこともある。相手を尊敬し、受け止め、許す、そんなことにより、1 + 1 > 2 になるような成果を上げれたら素敵だ。何をやるか?はさる事ながら、誰とやるか?は、それに劣らず大切だ

 

1 + 1 > 2 なBeatles