過ぎたるは及ばざるが如し〜適度に[No.202] | 起業して不安はあるもののワクワクしている50歳・IT技術者・中小企業診断士のブログ
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やり過ぎることは、足りないことと同じくらいダメってこと。ほどほどのちょうど良いところをテッペンとして、それを過ぎると満足度は徐々に下がっていく。最初の一口から後半にさしかかるくらいまでは上手い!ラーメンだったけど、そのハンパないボリュームに最後は「ムリ・・・」ってことで、気分悪くなって、次は来ないな、みたいなこと。

僕はディズニーランドが好きで、少し前まで年間パスポートを持っていて、年に40回くらい行ったことがある。それだけ足を運んでいると、マニアックな情報も随分と頭に入ってくる。空いている曜日とか時間帯、効率的なアトラクションのまわり方、どこそこに隠れミッキーがいるとか。ある時、ディズニーランドに行く、あまり情報を持っていない人と話していて、僕は最初のうちは基本的なこと伝えていたんだけど、そのうち、もっと伝えたいって気持ちが強くなってマニアックな情報をひけらかした結果、ウザがられてしまったことがある。後々、考えたら、そらそーだって思った。消化不良。

以前、何かのテレビ番組で老人ホームが取り上げられていてバリアフリーならぬバリアフルな施設が紹介されていた。バリアフリーによって過保護にされると体力が落ちたり、注意しなくなって刺激に乏しくなるから、適度な障害があった方が老化防止にいい、みたいなことだっだと思う。実際のところの効果は分からないけど、その考え方には、なるほどなって思った。その番組を見て、息子に何でもやってあげるのでなく、出来ること、もう少しで出来そうなことを、失敗してもやらせないとなって思った。親ライオンが子ライオンを崖から落とすように。


お客さんに優しくしすぎると、お客さんに甘えられて使われてしまったりするって話をこの前、聞いた。とことん尽くした結果、お客さんの、ここまでやってくれるんだ、って水準が上がってしまって、最後には軽く使われてしまって、お客さんを恨んでしまったりする。僕も以前は自己肯定感が低かったから、相手に尽くす自己犠牲みたいなことで認められたい、といった、似たような傾向があった。結果的に60円バーガーによって自らの首を絞めたマクドナルドみたいに。少し自分を大切にすることでの反作用による相手への冷たさみたいなのもあった方が「ありがとう」を感じてもらえるのかもしれない。人は、平均気温からの相対差によって寒暖を感じるものだから。ただ、そうなるには自分にお客さんが価値を感じてもらえるだけものがないといけない。じゃないと勘違いな残念になってしまうから。

僕の父は畑で野菜を育てていて、帰省すると、野菜を貰うんだけど、その量がハンパない。いつも食べきれなくて腐らせることになる。「食べられないから、ほどほどでいい」って言うと父は不機嫌になる。きっと僕のラーメン生活を気遣ってのことだと思うようにしている。

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