玉虫色〜ないよりあった方がいい[No.168] | 起業して不安はあるもののワクワクしている50歳・IT技術者・中小企業診断士のブログ
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見る角度によって玉虫の色が変化することにちなんで、同じことでも各々が都合よく解釈できる曖昧さを玉虫色という。


最近、冷えきっていた日中関係にほんの微かに友好のきざしが見えてきた。先日開かれた日中外相会談の報道は双方のメンツが立つように多少、両国各々で都合の良いように伝えられていた。

対話が進み始めたことは、とても素敵なことだ。両者が互いにメンツを譲ることなく、完全な相互理解を前提にとか潔癖なこと言ってたら、いつまでたっても距離は縮まらなかっただろう。

以前、僕は本音をぶつけ合って机たたき合いながらも最終的には相互の共通認識作って食い違いなんてない、そうなんないなら意味ない、だから玉虫色なんてごまかしだ!って思ってた。

でも、多様な価値観、過去のイザコザによる憎しみ悲しみといった相互理解に向けたどうにもならない障害が前方をふさぐ一方、協力しないことには他を利するばかりで自分たちは失われるような時、部分での一致をもって手を握ることって素敵すぎるって思うようになった。政治にも政党を超えた部分で連携するパーシャル連合ってあるけど、そういう動きがもっと活発であっていいと思う。小さなメンツによって多くが失われるなんて悲惨だ。

0か100でなくて50がもっとあっていい。


人の相談を聞く時に、アドバイスを求めているのか?ただ、話を聞いて欲しいのか、上手く判断しないとすれ違ってしまうことがある。後者の場合、相談者は自分にとって都合の良いことばかり話す。違和感を覚えつつ、受け止めることを最優先で、「でも、こんな見方もある」は控えめに伝えるようにする。感じたことをそのままストレートに表現してソッポを向かれてしまったことも少なくないから。

僕も話を聞いて受け止めて欲しい時がある。とんでもなく、孤独、不安が大きくなってしまった時だ。そんな時、ハナから突き放されたら残念だけど、一担受け止めてくれて、その上で、その人なりの思いを伝えてくれると素直に耳を傾けることが出来て、傷みが緩和され、修正しようと思える。

レディオヘッドの孤独を感じる歌

人間および国際間係は理屈だけではギスギスしてきしみが生じてしまう。感情面をクリアするために自分にとって些細なことは妥協、棚上げでよくて、それは心の片隅にそーっとしておけばいい。状況が好転してからひょっとしたらでいい。相互の思惑、価値感がビシッと一致するなんて惑星直列のように、そんなにあることじゃないから。

大局観にのっとって主張すべきは主張し妥協することは妥協する。

吉田茂


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