こころのリレー 〜 人から人へ[No.150] | 起業して不安はあるもののワクワクしている50歳・IT技術者・中小企業診断士のブログ
文章長すぎ!って方は赤字部分だけお読みください。
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カムチャッカの若者がきりんの夢を見ている時
メキシコの娘は朝もやの中でバスを待っている

中略

眠る前のひととき耳をすますとどこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴っている
それはあなたの送った朝を誰かがしっかりと受け止めた証拠なのだ

谷川俊太郎 「朝のリレー」より

小学校の時に国語の教科書に載っていたお気にい入りの詩。人から人へ朝はリレーされていく。一寸も途絶することなく、ずーっと、ずーっと。



velvet undergroundの朝の歌

親の立場になってみて初めて僕に対する今は生きていない親の気持ちがわかることがある。心配してくれてたんだなとか、嫌なことあって苛ついてたんだな仕方ないよなとか、基本的には僕のことが可愛くて目に入れても痛くなかったんだろうなとか。世代から世代へ、このような愛はゆっくりではあるけど確実にリレーされていく。

仕事において、自分が管理する立場になって迷いが生じた時には過去に自分を管理した上司の判断にさかのぼって参考にする。当時は自分にとって腹立たしかったことが、今では部分は犠牲になるけど全体では素敵だったなとか、逆に当時は上手いことやるな流石だなってことが今では目先の自分を守りたいだけで結局、短絡なだけだったなとか。また当時は厳しいこと言われて、なんて冷たい人なんだ!って思っていた人が、今では僕のこと育てようとしてくれてたんだな、ありがたいなって気持ちに変わっていたり。

このように若い頃と今では同じことへの感じ方が全く異なっている場合があるから不思議だ。

物事の答えは立場、時間の範囲の広さに応じて異なる。
石原明

自分が今、人にリレーしたいこと、してはいけないことを経験によって形作られたフィルターにかけて正しく伝えていかないとなって思う。素敵が途絶えないように、ノイズをかき消すために。人は迷った時に先人のことを参考に考えまくる。だから可能な限り誠意をもって接していかないといけないなって強く思う。その場で上手いことやってチョロまかしたとしても、逆に、その場でキツイこと言って恨まれたとしても、後になって人が経験によって研ぎ澄まされた時に、バレてしまったり、はたまた感謝してしまったりするものだから。


中韓との歴史問題に関して、新聞の行き過ぎた自虐的なゴメンナサイへの誘導は事を荒立てているようにしか思えない。そんなことより大切なのは相手の素敵な文化、歴史に対して敬意を払いながら交流を促すことだと思う。自分の枠に閉じている過激なヘイトスピーチなんて聞きたくない。会社の管理者にもタマにそんなでコントロールしようとする人もいるけど。互いを認め合うといった意識なしに発展は望めない。そんな意識をリレーしながらゆっくりと進んでいったら良いと思う。

隔てるものなんかないってことを歌ったジョン・レノンのimagine

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