冗長性〜なるべく深い必要と、なるべく広い余分[No.124] | 起業して不安はあるもののワクワクしている50歳・IT技術者・中小企業診断士のブログ
文章長すぎ!って方は赤字部分だけお読みください。
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冗長性とは必要ばかりではなく余分や重複も含まれている状態。

余分や重複なんて要らない、効率悪い!って言われてしまいそうだけど、ないよりはあった方が良い。いや、むしろ必要である。そんな例を3つ挙げてみた。

1つ目の例として、チームで協力しながらことを進めなければならない時に、情報があまりにも自分の作業に必要なものばかりに限られていると、相手の作業内容、状況が理解できないから、なかなかチームとしてまとまることができない。下手すると近くにいながらメールで会話するような工藤静香の「抱かれていながら寂しくて」状態になってしまったりする。クオリティ高い仕事するのに、相手に興味を持とうとしない人を見ると勿体ないなと思う。「どうしたらこんな凄いこと出来るの?」って一言から一気に距離が縮んだりするから。

他者への興味・関心という余分が協力関係を促進する。

2つ目としてコンピュータのシステムは通常動いているメイン系の他に、スペアタイヤみたいなサブ系が待機している重複構成をとることが多い。で、メイン系に故障などのトラブルが発生した時は自動的にサブ系に切り替わって、あたかも何もなかったかのようにシステムは動き続ける、はずたけど、この切替に失敗してシステムが停止してしまうこともたまにある。少し前に東証のシステムもこのようなことで停止してしまいエライことになっていた。不意に出番がまわってきた、待つことに疲れたピンチヒッターが二日酔いで全くボールについていけないみたいに。

3つ目として現在求められていること以外のことは無駄とか言って、狭い範囲にこだわっていると現状にロックオンされてしまい、変化に乏しい退屈な毎日を送った結果、視野の広いライバルに置いていかれてしまったりする。国内の消費者をターゲットに独自の進化を遂げつつも後に世界を席巻することになるスマホにあっという間に飲み込まれてしまったガラパゴス携帯みたいに。

様々な観点(現在の必要と余分)から今後の必要を試行錯誤する必要がある。


以上のようなことだから、なるべく深い必要と、なるべく広い余分を持っていたい。一般にT字型と言われている状態。幅を広げる時は出来れば計画的に行いたいけれど「突然炎の如く」興味を持ってしまった場合はそれに身を委ねてしまっても構わないと思う。そんな道草が人生を豊かにする。40過ぎた子持ちオヤジに恋は危険な余分だけど。何かに興味を持ち、その中でまた別の興味に繋がる「知のリンク」みたいなことになったら素敵だ。


このところ少し乱読気味なので、過去に気に入った本を改めて読み返してみるつもりだ。本が語りかけてくることって成長の度合いに応じて全く違ったりするから面白い。エッ以前、読んだ時は気付けなかったけど、こういうことだったんだって。そんなで自分の冗長性を増して一生、必要とされる人であり続けたい。

若い頃は余分な曲だったけどオヤジになって必要になったビートルズのI Am The Walrus

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