コンフリクト〜衝突して初めて分かることがある[No.113] | 起業して不安はあるもののワクワクしている50歳・IT技術者・中小企業診断士のブログ
文章長すぎ!って方は赤字部分だけお読みください。
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コンフリクトとは意見の違い、資源の取り合いなどによって生じる人と人の衝突、対立のこと。

家族内、職場内、国家間、友達同士とコンフリクトはいたる所で発生する。

例えば職場において営業マンはお客さんから買ってもらうことを優先する。その一方、技術者は自分の技術に対する探究心、誇りを満たすことを優先する。だから営業マンは技術者のお客目線の欠如にイラつき、技術者は営業マンの技術を軽視したお客サマサマ優先の無茶ぶりに困惑する。

別の例として仕事などの責任・分担の所在が曖昧な時にも、その線引をめぐって度々、コンフリクトが発生する。少しでも他者と領域が重なっている場合は他者に放り投げてしまう人、逆に少しでも自分が関連している場合は無理して引き受けてしまう人、また必要以上に忙しいふりをする人、逆に忙しさを隠す人と、仕事に対するスタンスも多種多様だ。だから、すれ違いも多くなり、時としてコンフリクトが発生することになる。何かバランスおかしくない?って。

Street Fighting Man(体制と若者の衝突を歌ったストーンズのナンバー)

さらに時間、人員、予算といった資源をめぐってもコンフリクトが発生する。そういったものが潤沢に与えられていたならばコンフリクトなんて起こらない、至って平和だ。ピーターラビットの田園風景みたいに。でも、そんな夢のようなことはまず無くて、いつもギリギリ、いや、不足を抱えながら、やりくりすることになる。そうなってくると貴重な資源の取り合いということになる。レアメタルをめぐる日中間の争いのように。

このように、コンフリクトというとウンザリなことだけに思われるけど組織開発とか学んでみると、事なかれな閉塞感に覆われた組織を活性化するために、むしろ歓迎すべきことだといわれている。

コンフリクトによって自らを見つめなおし、さらに相手を深く理解するように努める。そうして作られた深い人間関係によって議論に幅、奥行きが生じ、結果として意思決定の質が高まる。またコンフリクトを現状の歪みのシグナルと捉えて良い方向に変えていくためのきっかけにする。素敵な考え方だ。でも現実には往々にして面倒だったり、メンツの問題だったりで、放っておかれて問題を大きく成長させてしまった後に、渋々、重い腰をあげ莫大な労苦を払うことになってしまうことが多い気がする。

僕は自分のため、さらには組織のため問題提起は怠らないようにしていきたいと思っている。時として相手との掛け合いの弾みでカドが立つこともあるけれど、不満を押し殺して、陰口をたたくことで保たれる平穏、無責任よりは遥かにマシだ。互いが互いのいないところで人格を否定しあうような間柄の人たちが、共通の異質というターゲットを見つけた時の一糸乱れぬ団結は異様だ。慣れ合い、責任転嫁、迎合、、、嫌な言葉だ。僕は互いを認め合いながらも、ある部分では衝突している、でも別の部分では協力しあっている、そんな素敵な関係になれるように心がけている。難しい場合もある。ただ、いつもそうありたいと思っている。

2月の大雪の日、車がスリップして壁に衝突し余計な出費をしてしまった。何ももたらさない、ただ痛いだけの衝突だった。こういった衝突は避けたいものだ。運転も、国際関係も、はたまた人間関係も。

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