お母さんが喜びそうなことは?

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今年はなぜかセンチな気分が強い私。
 
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2015年6月。母は二度と私の目の前に戻らない存在に
なってしまった。
脳出血で急死。当日私は母の家へ遊びに行く予定だった。
その日は今日みたいに大粒の雨が急に降りだして、傘を取りに
家まで戻ったあの日。
 
私が母宅を開けたとき・・・母は玄関近くで倒れた状態で
息を引取っていた。
 
完全にパニックになり、警察へ連絡を入れ、その後主人へ電話。
そして父に連絡し、会社にも連絡を入れた。
最初に警察の方が手配してくださった救急車が電話連絡後10分
位で到着した時は、私はもう精神崩壊状態。救急車が到着し、
係員の方に物凄く温かい言葉をかけてもらい、手を握ってもらい、
私は子供の様にひたすらただただ泣き続けた。
そのあと葬儀が終わるまでは、よくは覚えていない。
ただただ無の時間が重く、暗く私にのしかかってきた感じ。
葬儀の際に僧侶の方から本当に優しく温かい声をかけて
頂き、また号泣したのは覚えている。
 
葬儀を終えるまで、私は母の遺体に触ることができなかった。
「母はもういない」ということを悟りたくなかった私。
今となっては冷たい行動だったかと悔やまれるが、当時の私は
母の死を悟るのが怖い臆病者だった。
 
その日から私は2年くらい引きこもりの日々が続いた。
会社には出社するし、普通に働くけれど、一人になったら
涙が止まらない。母と同じ年齢の女性客を接客した後も
明らかに様子がおかしくなった。
 
休みの日は誰にも会いたくなく、家で部屋のカーテンを閉めた
状態でずっと泣いたり、いろいろ考えたりしていた。
主人が帰宅すれば、明るくは振る舞うけれど、一人になったときの
落差があまりにもひどく、精神科にも一度通院し、話を聞いて
もらった。
 
人は物凄く悲しい出来事があると、鬱っぽくなるそうだ。
実際私はそうだった。何年も。
 
最初の年は後悔ばかり。
翌年はなぜ急に旅立ったのかと母を責める状態に。
翌々年は、母は実際幸せな時間があったのかと考える・・。
4年たってやっと母の死を心の底から理解ができた気がした。
そんなことを続けた4年。
長く暗いトンネルを通過出来たような気がしていた。
 
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母は生前、結構父の事で苦労が絶えなった。もちろん晩年まで。
亡くなる半年くらいから「死にたい」という言葉を口にするようになり、
母の死後の事を幾度となく口にするようになった。
彼女は何となく「死期が近づいていること」がわかっていたのだろうか。
今思うとそんな気がしてならない。
 
父に関しては詳しく説明することは、我が家のプライバシーにかかわること
なので割愛するが、私は父が許せない時期が結構長い。
今でも完全に和解したとはいいがたい。
やはり私の心の中では、私なりに思うことがいくつかの染みとなって残っている。
その染みは父が亡くなるまでに消えることがあるかはわからないが。
 
世間一般ではどのような家族が素晴らしいと賛辞を送られるのかは
わからないが、明らかに我が家は「問題を抱えている家族」であった。
いろいろ鑑みて、私は「子供なし」という道を選択した。
主人に謝るべきことがあるとしたら、その点である。
私は主人の夢をかなえてあげることができなかったのだから。
 
どんなに人から後ろ指をさされようが、母の愛情は常に感じていた。
私が学校でいじめられようが、家に帰れば私を思ってくれる母がいる。
人に裏切られても、母は私のことを大事に思ってくれていた。
学校で一人だったとしても、苦痛の何時間を過ぎれば、家に帰って
話ができる。。
私という人間の存在価値を認めてくれていたのは、母だった。
 
他人から見たら「マザコン」と言われようが、「キツイ母親」「美人ではない母親」といわれようが、母といる時間が私が唯一本当の自分をさらけ出せる時間であった。
喧嘩もしたし、たくさん傷つけあったこともあるが、それでも何を言われても
いっても許しあうことができた存在。そして私は母がこの世で一番かわいい女性
だと思っていたので、人から何言われようが、まったく気にしなかった。
 
そんな彼女は、最期の言葉も私に言うこともなく、去っていた。
 
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悪夢の4年が過ぎ、母の死をきちんと受け止めたはずなのに、
なぜか今年は異常に寂しさが募る。
どうしようもない悲しさが襲ってくる。
まあ・・生きていればそんなときもあるだろう。
大切な人を亡くす・・ってそんなことなんだろう。
 
私はあと何年生きるかわからないけれど、これからも、さまざまな
想いを秘めて・・母の日や母の命日を迎えるだろう。
 
そんな思いを抱いた今年の母の日。
 
きっと母が喜ぶのは・・・私が元気で病気をせずに生きること。
時折涙は見せても、しっかり前を向いて自分の道を歩むこと。
泣くだけ泣いたら・・元気な姿で毎日を過ごすこと。
それがきっと・・母が喜びそうなこと。