排斥されて家族も友人も全部失って、心身ともにボロボロだった頃、私の心を支えてくれた1人の元JWがいました。
今みたいに、簡単に元JWが繋がれる手段やコミュニティが当時どれほどあったのかはわかりません。けど、とにかくこの苦しみを分かち合える人が欲しくて、私が必死に探して繋がった唯一の人でした。
遠く離れた場所に住んでいて、年齢は私より少し上。同じ時期に排斥され、家族に忌避されるという同じような痛みを負っていた彼女。
その共通点があった私たちはすぐに心を許し、お互いの苦しみを分かち合い、共に支え合いました。
メールの他に、文通したり年賀状のやりとりしたり、たまに地元の美味しいものを送り合ったり。
会ったことはありませんが、排斥されてからできた初めての友達であり1番辛かった時に私を救ってくれた人でした。
彼女にとっての私も、たぶん同じ感じだったと思います。たぶん。
でも、時間が経ってそのバランスが崩れ始めました。
彼女が妊娠出産してしばらくした頃。
初めての育児が本当に辛くて、忌避されて会っていなかった母親に泣きついたら、しばらく実家に帰ってきなさいと言われて帰っていたと聞きました。
その時の私、言葉には出さなかったけど、激しい嫉妬に駆られたんですよね。
今まで同じ痛みを分かち合ってきたはずなのに、ちょっぴり裏切られたように感じちゃったんです。器の小さな人間です。
さらに、彼女は何も悪いことしていないのに、お母さんに助けてもらえたってすごく喜ばしいことだってほんとはわかってるはずなのに、喜んであげられなかった自分も嫌になって。
複雑な感情でぐちゃぐちゃになった私は、自然と彼女と距離を置きました。
わかってるんですよ。元JW、排斥者、いろんな共通点があっても、みんなそれぞれ状況が違うって。
そんなことを、他に元JWと関わったことがなかった当時の私はわからずに、いや、わかっていても心が受け入れられずに、勝手に比べて傷ついていました。
相手がどうこうじゃなくて、まだ自分がそれを受け入れられる心の状態になっていなかったんですよね。
関わることで苦しみを思い出したり傷ついたりするくらいだったら、深く関わらない方がいい。
そうやって、自分の心を守ってきたんです。
そんな私ですが、先日、5年ぶりくらいにその彼女に連絡をとりました。
別に深い話をしたかったわけではありませんが、あの時より、自分のことも相手のことも理解できる自分になれてる気がして。
彼女の近況も聞いて、子供ができてからの彼女は、子供を通して母親とも交流が持てている様子も聞きました。そして、今回はそのことを、「本当に良かったね」と心から言ってあげることができました。
私も少しは成長したかな。
違いを受け入れられる心の状態になって、彼女が幸せに生きていることに、あーよかったと思いました。
でも私は、彼女とこれからまた深い交流を持っていこうとは思わないんです。
大切な友達だから、時々元気にしてるかくらいは確認したいし、私にしかわかってあげられない痛みや苦しみを感じた時には、いつでも話聞いてあげたいし聞いてほしいとは思うんだけど。
苦しさを分かち合い支え合ってた頃の私たちは、合言葉のように「幸せになろうね」と言い合ってきたことを思い出しました。
そして今、新しく家族ができ、身近で支えてくれるJWとは無関係の友人にも囲まれ、それぞれが置かれた状況なりの幸せを生きている。
時々古傷は痛んでも、自分や今身近にいる人によってそれを癒せているのであれば、それに越したことはないよね。
この世で幸せになろうと決めた私たちにとって、お互いなしで幸せになれたら、それが1番喜ばしいことなんじゃないかなと思うんです。
同じ苦しみを味わったからこそわかり合えることもあるけれど、同じ経験をして気持ちがわかるからこそ、お互いのために近づきすぎちゃいけない関係もあるんだろうな。