東栄街の喫茶店

都会で仕事をしていると、しんどくて 寒くて 肌に合わない

なんというか 雑音に悩まされて、疲れる そこで愛知県は東栄町に行ってみた

中心街から3時間、なかなか遠く高速代3千円がまあ なんとも

こういうとき頼りになるクレジットカード、来月はタクシー独り立ちデビューだというのに全く、自分のお金管理能力に嫌気がさす。

 でも 東栄街は空気がおいしく 時間が止まったように静かで風と太陽だけが動いている異空間だった、神社に行きただ近況報告、信心深い方ではないので、どこどこの神さまがいてそれの発生は?とか農業の神様でとかいう知識は自分にはあまりなく、全部ウキペディアや街にある看板が頼りになる。近くに喫茶店があった、おにぎりとコーヒーが売りらしい、いいね。入って見ることにした。

「いらっっしゃい。」

「どうも。」

店内はとてもシンプル、店の真ん中に大きな手作りの綺麗なテーブル六人座れるくらい、テーブルの真ん中にはみかんとお菓子、そこに地元民二人と店員二人がいた。

 

「いらっしやい、どこからきたの?」

「なごやから。」

「まあ、わたしね、昭和区にいたの、まだ市電が走ってたときだけど。」

 それから、そのおばちゃん、あとから目の手術をしたばかりの老人、店員さん1名と会話、それがたのしいのなんの、心の壁、TPOしきりがない、会話はすなおに甘えられる自分がいて、相手も遠慮なく話してくるわけで、そこには人と人がいるだけだから、楽しく話しかけてくれて ありがとうという感情が湧き上がり 時間を使って他人のために 共有する 損得ではなくて心をうきうきさせるためだけの時間

とっても贅沢な1時間30分はあっというまにすぎて、なにより驚いたのが

まちの縁側をつくるため 若い人たちが力を合わせて作り街を盛り上げ、ドーナツ屋さんや楽器にフルートにマルシェに奮闘する姿がとても勇ましく羨ましく、都会にない勢いで住みたいと思ってしまった。

 

 

人の数だけドラマがあって、そのなかに自分もいて 仕事での姿が全てではなくて

ありのまままこそが 全てで 生きるという意味につながっているのかなと思いました。PS 今日はありがとうございました 突然の訪問突然の文章になるので内容をあまり書かず 今日の感想だけにします。 また行きます