ハウスキーパーズグラフィックス -4ページ目

ハウスキーパーズグラフィックス

kawagoe isehara House Keepers Graphics

僕は昨年はじめからいっこうに快方へ向かわない、うつとよばれる自らの状態を、様々なコトバで描写してきた。それ自体がうつ状態への自縛を、より強化することが分かっていても、そこから抜けられない。それが僕のうつであったようだ。


描写される自分の姿が、どうしようもなく自虐に傾き、惨憺たるものになっていく。フランシスベーコンの自画像を彷彿とする、というと表現が飛躍しているかもしれないが。彼の絵にはしばしば、仮想的なホリゾン空間で、見えない力で殴られ、抉られ、捻られたような、歪んだ人物像が浮遊している。多くは肖像画であるが、ある人物のパーソナリティーをスタティックにシンボリックに集約するものとは全く異なり、変化する状態を一時的に凍結してみせるような作家の手法、または態度を表現してもいる。
いずれ、最後の切片が屠られた時、そこに何が残るだろうか。

そこに何かがあった、という、抽象的な、不在としての見えない点が残る、と云っては、いけないだろうか。

その断定が許されるのであれば、
僕自身の自己描写のプロセスの最後の最後に、何度も、何度も、頭に去来していたコトバがその「点」だった。これ以上ないほど抽象的な、この「点」というコトバは、そのときの孤立感を描き出す、最凶のニュアンスをもっていた。僕は「点」になってしまった、全ての線、絆から切り離された一つの「点」になってしまった、と、毎日のように頭を抱えながらそのコトバが頭蓋の内側を跳ね回る不快感に堪えがたく堪えていた。

それ以前、また対照的に、非常に活動的で何事にも断定的な行動をとっていた(と自分で思っていた)時期、建築家の坂口恭平さんの本で読んだ、あるフレーズを、今よく思い出す。
彼自身、躁鬱病を患っており、そのパーソナリティーを自らの表現の基盤とした立場で旺盛な著述や講演、美術、音楽、話芸など、その活動範囲はとても広い。彼が書いていたコトバは、うつの時期、どん底まで落ちる、これが底だと感じたら、さらにその面に穴を掘れ、というものだったかと記憶している。今このときに、その出典を確認する余裕は無いが、そのこと、つまりそのフレーズをだれでも図で表す事が出来るだろう、それは非常に興味深い。すべての関係性から切り離された点は、落下していき、いずれ底辺に衝突する。そこで彼は、そのどん底状態の面に反発してまた落下して来た空間への軌跡をなぞるのでなく、そのまま直進せよ、というのである。うつという状態を、まるでアドベンチャーのように見せてくれる、おもしろい表現だ、と思う。

病気は、快復する、というが、それは病気以前の状態に戻るということでは有り得ない。時間も経過しているのだし、通過してきた状態を『無かった事とする』ような快復は、実のところ、ごまかしに過ぎないと思う。運動の法則に従えばいずれまたどん底に落ちていくわけだから。それこそ無間の恐怖だ。

それに対して、衝突した地表を、坂口さんのコトバを借りて、掘っていったとする。そうするとその過程で、地表は単に抽象的な面としてあるのではなく、その下に様々な層が存在していることに気がつく事にもなるわけだが、もっともっ…と、掘り進んでいけば、その先にある物は、間違いなく、地球の中心という、点、の存在に突き当たる、であろう、たぶん。精神の世界にも万有引力の法則があるのか。そうである、とすれば、考えうるもっとも大きな視点で客観的に、その中心は、太陽である。

あなたは僕の太陽だ、などという錯乱したレトリックがあるが、客観的には、太陽は僕の太陽、なのである。地球の中心点が、何に曳かれているかといえば、それは間違いなく太陽に他ならないからだ。

やや論旨が錯綜してきたが、心の状態を地表での万有引力になぞらえて語り、悲壮に孤独を嘆いてみて、なにかこの描写にオチをつけるためにどうしたら良いのか、考え続けて、初めて、僕は太陽との関係をとうてい無視できない事に気がつくことになった。太陽だけは等しく誰も孤独にはしない存在であることは、まず、誰も否定できない。いわんや地球も、である。
太陽の運動、というより、太陽を中心とした自らの活動、すなわち、一日一日の生活を見、出来るだけのことを、その都度行う。それを基本にせず、心のカプセルの中で、なにごとかの表現が成り立つことなんか、有り得ないというのが、僕が最近痛切に感じている事でもある。

また、最近知り得たことだが、太陽から、新しい惑星が誕生したそうだ。黒点が多数観測され、それがある時期霧消し、なにごとか、となっていた後、太陽から惑星サイズの黒い球体が分離したことが観測されたらしいのである。観測者は、ロシアで研究を続けている日本人科学者、佐野千遥博士であるそうだ。

つまり、僕たちも、太陽の子、なのである。だれも孤独ではない、人類皆兄弟。

もちろんその気づきが一気に僕の心を健康にして今がある、と云うのは明らかに事実に反するし、ヒトがそんなに単純なものであれば、何の迷いも無く皆幸せに暮らせるだろう。

でもこれは宗教的やSF的な現実逃避とも違う、明らかに客観的で科学的な事実である。

かつて、スティーブジョブス氏が、スタンフォード大学の卒業式でのスピーチにおいて ”connecting dots” というコトバをテーマに述べていたことも、よく思い出される。過去に起きた点としての出来事が、現在の視点の中で見たとき、別の点と、偶然の接線を描く事の不思議。それは予定されていた事ではない。しかしながら、ある点を通過した事が、その後の新しい発見に繋がる可能性の無限について、これほど身近に感じさせるお話はそんなに多くないし、それは誰の生活の中にでも、常に起きている事なのであり、それを意識するか、無意識の闇にのまれるがままにするか、は、個人の選択の問題でもあるのだろう。

要は、モノは考え様、ということなんだろう。
実際、僕自身も、もがき苦しんでいた渦中には、こんなふうに、すかした調子でその時期を振り返り、それをアメブロに書くことなど、想像できなかったわけだし、同時に、いま僕が主夫をし、生活という事に対して、これほど緻密(当事者比)に目を向けることになるのは、うつと呼ばれる病気を通過して、具体的にはそのことにより、時間的な猶予が得られた事によってしか有り得なかったのも事実なのである。
そのことにひたすら感謝するばかりだ。


しんじまっちゃおしまいよ。
フランシスベーコンも、坂口さんも、佐野千遥博士も、ジョブス氏も、そして僕も、いつか死ぬということにおいては平等なのだ。(佐野博士はもしかしたら、、と思ったりもするが、、、)
出来る事がまだある、知るべき事、見るべき物が、あるのであれば、それをやる、そうしなければ、僕は自分が永遠に許せないだろう。


いまこの時期、二十四節季で云えば『処暑』である。すでに日も短くなり、六時を過ぎればもう薄暗い。


僕がいま主夫業をしているのは、会社の仕事を休職制度を利用する事で休んでいるという環境にあるからだ。
その制度では疾病手当の申請に病院の診断書が必要で、僕の病名はうつ病となっている。ある病院では、そううつの診断もつき、また若干ADHDの傾向も見られると云われている。
あたしうつ病なんですよ、としばしばヒトからも聞かされる事があるが、僕は一貫して、病院でうつと云われた、と説明する。
まあ、同じっちゃ同じことなのだか、僕は僕でありうつじゃない、という姿勢を示す僕自身の片意地にすぎない。

具体的に述べると、僕は昨年10月から休職し、郷里の愛媛県内子町に、単身で帰省、今年七月末までの八ヶ月にわたって、療養生活をすることになった。
いまは症状も快方に向かい、11月からは仕事に戻ろうと心づもりと準備をしつつ、会社にも復職の希望を伝えている。その途上で、七月に現住所である埼玉の川越市に戻って、自宅で療養中の身、というのが僕の社会的な現状だ。

主夫業は、病態の快方への証しとして取り組んでもいるわけだが、昼間フルで仕事に出ている嫁に代わるハウスキーパーが必要な事、また嫁が常に忙しく、あまり手の回っていなかった部分への対処、またかつて僕自身が仕事ばかりの人間だった事から見れていなかった家の実情そのものを把握する必要、など、総体としてはいろいろなモノゴトの清算の意味合いがある。なかなか希少な時間である事は確かだ。

このブログは、そういった一連のことがなければ、知り得なかった事や見えてこなかった事などについて、いろいろと頭の中をめぐる考え、よりきれいなコトバで云えば、長い休暇のなかで思う事など、あとで自分の振り返りの意味もあり、ブログにしようと思ったわけである。またそもそも文章を綴るのがわりと好きということもあるけれど、考えはいつか忘れる物だし、また、薄れつつこの印象の現在の彩度や解像度が損なわれる前に、いま、記す事は、とても理にかなっているし、文字にする事は頭の中をめぐるふわふわした雲のような微弱なパルスの集合を外に出す事で、単純に頭がスッキリするし。
それに、こうした内容はヒトに語りコトバで伝える事も、なかなか機会を選ぶ物だし、かといって僕の、この長い休暇の意味を、伝えないではいられない欲求もともなっているからでもある。
どうしてた~元気でしたか~で始まる会話には、それなりの口当たりの良さも求められるからだ。

書き記す、ということは、ある種、彫刻に似ているかもしれない。
いまはやっと彫り始めたところ。
どこまで掘り進められるだろうか、とも一方では思っている。

さて僕は僕でありうつじゃないとは言ったが、同時に、それは僕自身の中にそのような傾向があることを否定するものでもない。僕の長い文章を見るヒトの反応は様々だが、そんなになんで考えるのかなあ、と、『考え過ぎ』をみとがめられる事があるのも事実だ。

実際、昨年の春頃はうつ、としか云い様が無い症状がひどく、オフィスで椅子におとなしく座っている事も困難で『胸をえぐられるような』辛さとはこういう事か、と身体をもって理解できたほどであった。
これは、今思えば、精神不安もあるが、それを抑える効果を持つ抗不安薬の副作用も大きかったと思う。

抗不安薬は、抗うつ剤とも異なり、医師から『辛いときはどんどん飲んで下さい』と処方されたものだが、平たく云えば麻薬と同じで、服用すればするほど依存が高まる。波も高くなる。
耐性も生まれるので、服用しても効果がなくなり、離脱症状、まあ禁断症状のようなものを起こすのだが、この感覚が、先の、胸をえぐられるような、というヤツに近い。

もがき苦しみながらこれはいったいどういうことなんだろうと思った。
精神の不安というものはなにか。

そしてそれを解くために必要なもの。僕のいまの認識としては、医食同源という立場を借りた、食事の改善の他に無い、ということだし、これについては常識的なヒトであれば誰も反対するヒトはいないだろうと思う。

主夫業をしていると、生活の中で食べる事のウエイトがいかに大きいかを思い知る。
食べる、という行為も大きいが、家族にそれを用意するという行動が加算されるからだ。
そこで人間とは何かと問われれば、人間とは、朝起きて朝食をとり活動し、昼食をとりまた活動し、夕食をとり、入浴して休息するものである、と答えるだろう。

このごく自然なサイクルから遊離して、活動のみに執着したりすると、この認識からは外れていくわけで、僕もまた過去には別の認識をもっていた。

人間とは、何かを作るもの、クリエイティブとかなんとか、そういった事に存在価値の軸を置いたりする。
なんらかの幻想に自ら囚われ、食べるということを二の次に考えるようになる。
要はバランスを欠いていくのだ。実際僕もそうだった。僕は熱中する方だし、食べる事を中心とした生活感の希薄さを、正直にいうと、何かかっこいいモノと考えていた事も事実である。

主夫の人間にたいする認識からすると、ヒトではない、ということになる。

そして空腹を満たすという機能だけで食事を捉えるようになってた。
なんでもよかった、カロリーメイトでも、ウイダーインゼリーでも、コンビニメシでも、マツヤでも。
これで全力で走れる間はいいのだが、浮き世においては僕もヒトの子であった。ちょっと疲れちゃった。そしてふと気がつくと、それまで見ないようにしてきた様々な実生活における課題がかかえきれないほど膨らんでいたのである。

その課題とは、いわゆるヒトとの絆の脆弱化という、温い感情の喪失をともなうものであったり、もちろん経済的なものも含まれる、自分の成果主義的な世間における存在価値に係るものでもある。
たいてい、ヒトの課題には、それと無縁なものは無い、とも思う。平たく云うと僕って何?という大きな疑問符。それに断定的な即答ができなくなってきたのだ。

こうなると、いままで前ばかり見ているような体勢はとれなくなり、つねに背後をとられたような気配につきまとわれ、仕事は手につかず、ということになるのは当然の事だった。

いま僕は食費を中心とした生活家計簿と、納税やローンなどの全体家計簿を緻密につける事に取り組んでもいて、これらはお金の収入と支出のバランスを見るために行う記録行為だが、基本、収入があったらそのなかで貯蓄を含めてやりくりするという、収支がきちんとあっていることが基本になる、云うまでもなく当たり前な事なのだが。
この収支、というものは、あらゆる事にあてはめて考える事が出来るなぁと思ったりもする。

例えば人間感情にしても、何かを伝える、する、ということに対して、なにか自分も反応を得たい、されたい、と思う。つまり収支を合わせたいと思うモノではないかと思う。
なにも反応を期待しないという事を、無償の愛などと言ったりするのは、その反語的なレトリックでもあるし、そんなモノは別の形でどこかで大きく請求が発生する、というのが、常識的な捉え方だろうとも思う。
タダほど高い物は無いのである。

それはともかく、つまり、精神不安とは、そのような収支の均衡が破綻した顕われである、と云う事もできるだろう。

なので、そのヒトの当面の課題がそのヒト一日一日の処理範囲を超えて、活動の収支が破綻すると、他の事に逃避していくのは、致し方ないことでもある。
つまり、それが『悩む』という行動だし、それが続くと、実際悩んだところでなにも課題の解決にはならないため、また時間という貴重な支出ばかりが嵩んでいき、自縄自縛、ということになっていく。

これで気持ち穏やかでいられるわけが無い。食事も乱れているために、正常な現実把握も、解決に知恵を絞るということも選択できない状態になるのである。

これが精神不安というものの実際の姿ではないかと思う。

その針の筵でまんじりとも出来ない状態で、心身ともに安らぐということがないと、救いを求めるように、また、寺院や教会の門を叩く代償行為として病院へはしり、薬によって、また情況を複雑にしてしまう、というまさしく蟻地獄の世界だ。

実際、薬も商品であり、買えるうちは良くても、買えなくなったらどうにもならず、これも大きく収支を不安定にさせる要因を増やすばかりである。

今年のはじめ頃、こういった向精神薬の処方は三種類までに限られる、という条例だか法律ができたとおもう。僕のような薬への依存がいろんなところで弊害を生んでいるという事の現れと思ったものだ。

ともかくそんな時期がかれこれ半年ほど続き、いよいよ堪えがたくなり、とうとう会社に泣きを入れる事になったわけだ。そして家族とも距離をとるために、愛媛県内子町に赴いた。

前置きが長くなってしまったが、一つの記事としては、これくらいが限度だろう。

いままではフェイスブックに、突発的にこれらの長い文書をポストしていたのだが、ブログではそのつど、オチをつけることもないだろう。

次の機会から、内子で出会ったモノゴトについて、断片断片で、書いていこうと思う。
いや、彫り込んで、いくね。

ちなみに、今日は燃えるゴミの日であった。先の記事でも触れたが、今回はまた一歩踏み込むように、徹底した分別を行った。ゴミの量は、ざっと見積もって、30Lほどに圧縮された。作業時間は15分ほど。何事においても、それがゴミの分別であっても、徹底した行動は、結果、とても清々しい気分になるものだし、より純度の高い、可燃ゴミの袋は、まるで自分のアートワークであるような感慨を得られるものだった。

わっかるかなあ、わっかんねえだろうなあ。



8/22可燃ゴミ
主夫としての僕の当面の課題は、一家五人の食費を、健全さを保つ範囲で六万円で賄う事にある。
その過程で、食材に対する視線の解像度を上げていく事の歓びをさいさい知ることになった。そのことは自然に、行動を几帳面に行う、ということも属性として発生させつつある。自分が変わっていくのである。

しばしばヒト固有の性質と血液型が結びつけられて、あの人は何型だからね、というが、その定説にはまったく科学的根拠は無いわけだし、まあ基本どうでもかまわない話しではある。
僕はAB型で、日本人の中ではたしか2割り弱と少数派だったか、A+B=ABなどという解釈もまかりとおるほどであるため、二面性があるなどと言われたり、芸術家タイプだねといわれたり、自分でもそうなのかなとおもう事はあっても、基本、どうでもかまわない話しである事に変わりはない。

ただ、風土として、民族国家間には、それぞれの国民の気質に差異があることは確かで、それが血液型の比率に結びつけられて語られているに過ぎない、というのが、実際的な見方であろう。

ともかく血液型と几帳面さは、基本無関係だ。なぜなら几帳面さとは、単なる習慣のひとつに過ぎないからである。

スーパーの商品がパッケージされたプラスティックトレイとラッピングフィルムを洗うのも習慣であり、ペットボトルのラベルフィルムとキャップを分別するのも、牛乳パックを飲み終わったらすぐ洗い、乾いたらハサミで切って展開するのも、また、単なる習慣でしかない。

それらの一切を行わないでそのまま行政のゴミ回収に出すというのが一つの無意識な習慣であるのと全く同じ事だ。そして片方が几帳面といい、もう片方が(見方にも依るが)だらしないというのも、単なる様式の差異に過ぎない。どちらも無意識化すればヒトとして行動の選択様式が異なるだけの話しで、エコロジーとか地球に優しいとかいう話しとは別次元のものである。

ただただ、そのことが劇的なゴミのダウンサイジングに繋がり、そこには実生活において、細やかではあっても、目の覚める感動がともなうということなのだ。ゴミ袋も少なくて済む。

感動とは、モノゴトに対する解像度が一気に高まる、という体験だと僕などは考える。

そして几帳面な行動様式における状況下では確実に、行動に対する解像度が高まる、自然、感動の機会も増加してゆく。

だらしのない行動においては、逆に、闇が生まれる。意識の支配領域が狭まる。いったん闇にのまれると、いくらそこにゴミが積み上がっていても、埃にまみれていても、臭いを発していても、ヒトはそれを見ない、感じない、ということで意識にボカシをかけることができる。感覚をモザイク化することが出来てしまう生き物でなのある。あまいドット絵の世界で生きている自分を想像できるだろうか。

この差異は、良い悪いではない、ブラウン管モニターと、レッティーナディスプレイのようなもの、に過ぎないとも云える。

食材にしても同じで、その都度調理し、食べ残しは、そのまま棄てる、という選択をするか、一気に作り溜めた物を、冷凍保存して、食べる分だけ解凍してテーブルに出すということをするか。ぼくの3週間弱の経験上、後者の方は、まず、食べ物に対するもったいなさが減少するし、調理の手間が短くて済む。仮に揚げ物であれば、油とガスの節約にもなる。

一例であるが、例えばタマネギやキャベツは、一気にざく切り、千切り、キャベツの芯の部分はみじん切りにして冷凍保存する。調理の際はそのまま鍋やフライパンにかけることができる。
それから、僕の調理はニンニクと生姜と鷹の爪と胡麻を多用する。これらは、塩や砂糖とことなり、限界まで加えても、食することに抵抗は生まれないからだが、ニンニク、生姜はそのまま冷凍保存しておく事にしている。ニンニクは使用する際に、解凍も兼ねてお湯で洗うと皮が劇的に剝きやすくなる。そして剝いた身をパックに入れて、スリゴギなどでたたく事で、速やかに磨り下ろし状態になる。
この手間の短縮は衝撃的である。
新生姜はしなしなして磨り下ろしニクいものだが、冷凍する事でスムージーのような状態になる。

こうした発見の歓びは、翻って実生活に対する意識を目覚めさせ、大きく変えることになるし、ライフスタイルと呼ばれる物が、インテリアの趣味や聴いている音楽や身にまとうファッションによって表現されるものではないことを、真面目な顔で教えてくれるのである。
今日は行政に依る可燃ゴミの回収日だった。

朝六時ころ起きて、食事をとり、一服した後に、ゴミ出し作業にとりかかる。寝覚めはいつものように悪く、まだ半分寝ている状態であるがまた寝たいとは思わない。

僕は早く起きたいのだ。

それでも、庭においてある生ゴミを入れたボックスを取り出し、ベランダで大袋に詰め、他の可燃ゴミと合わせる間、僕は執拗な蚊の攻撃を払いのけながら、生ゴミの悪臭とともに軽い悪夢のような感覚を覚えてもいた。
僕は、ごく最近、可燃ゴミと紙ゴミの違いをようやく意識し始めた。我が家のゴミ箱は基本二つで、紙類のゴミとプラごみで分けている。キッチンはそれに加えて、アルミ缶、ビンとその他スチールとペット、などがこまこまとある。『可燃』というカテゴリは、そういえば無い。実際、紙は燃えるのだから可燃であると無意識に判断していたわけだが、菓子箱の裏を見たら確かに、包装は『プラ』箱は『紙』というリサイクルアイコンらしき物が印刷されている事に気がつく。僕はひとつかみひとつかみのゴミをみて、これは可燃か、紙ゴミか、ジャッジしながら、出来る限り納得のいく分別を試みた。結果、四日間の可燃ゴミは、90Lのゴミ袋の八分目くらいにまとまった。 …が、まだちょっと多いな。。。

ゴミを出し終えた後も、なかなかその先ほどの感覚が、虫さされのかゆみ同様、去ってくれないので、少し横になることにしたが、案の定、意味深すぎていらだつような夢をみることになり、三十分ほどして起き上がり、数分ぼんやりした後、iTunesのスガシカオをタップ。僕の中でスガシカオは、家事になかなか取りかかれないときや、自転車で思いっきり、疾走したいときのブースターのような効果を持つからだ。狙い通り。予定していた、キッチン奥の『ミセスコーナー』と呼ばれる物置の整理の詰めの作業にとりかかる事が出来た。

愛とはコトバでうまく定義はできなくて、悲しいときは涙が流れるというのは事実で、自分の偽装感情に敏感なのは先ず自分自身だという、彼の詩は、レトリックに嘘が無く感じられ、音もファンクで、ノリがいい。村上春樹氏も、彼の歌を愛聴するのであるそうだ。なんとなく分かるような気がする。レトリックに嘘が無いという点で、似た感性の持ち主かもという気も、しないこともない。そもそもレトリックとはどういう意味なのか、ググル先生に聞いてみることにしよう。

本来の意味でのレトリックとは,古代ギリシアに始まり,19世紀後半まで2000年以上,絶えることなくヨーロッパに継承されてきた〈効果的な言語表現の技術〉であった。
もともとは文法学,論理学(弁証術)などと並ぶ重要な基礎教養のひとつの科目であったが,その伝統的な技術学としての形態が消滅した現代では,この用語は,言語表現の(しばしば悪い意味での)技巧や効果をあいまいにする非専門的なことばとしても用いられることが多い(たとえば,〈それは単なるレトリックにすぎない……〉などということばづかいとして)。

なるほど。ググル先生によれば、レトリックとは、『失われた技術』であるとされているようだ。
あっという間にお昼のご飯の時間である。僕は作業を一区切りさせた。そして家にいる長女と三男と自分の食事を済ませた昼過ぎ、長女が出かけた後に、お盆あけの、炭酸の抜けかけたような暑さの中、日本国への納税の為に銀行まで徒歩で足を運ばなくてはならなかったのだが、これも予定の行動である。

僕はその道中、愛媛のシュフトモさんとラインで通話していた。その話題は、ある共通の知人の『心の悩み』についてであった。その人物の『心の悩み』を、双方二つづつの目で見て、それぞれのコトバでの描写や推論や断定をしながら、本当の解決を求めるにはどうしたら良いか、という、基本的にはどうでも良い、というより、他人にはどうにも出来ない話しをしていたわけだが。散歩中にも回転し続ける思考がただただ声紋を通過するにまかせることは、おしゃべりの醍醐味でもある。
いずれ銀行には着くのだから。
そこで僕が何度か使った表現は、『それは何かを隠蔽するためのレトリックに過ぎない』であった。先ず以て、『心の悩み』というコトバが既にある種のレトリックのように、僕などは感じるし、実際そうである。コトバそのものがレトリックの最小単位であるというと身も蓋もない、情緒にかける話しになってしまうのだが。とはいえ僕自身も、ヒトから聴いたそのテの話しを『だれそれは、詳しくは知り得ないが、どうやら心の悩みを抱えているようですね』などととりあえず簡単に、ヒトに説明していたりするものである。状態を表すに適当なコトバではあるからだ。また例えば『メンタルトラブル』というコトバ一つとっても、それは単なるタグに過ぎず、実際は、解決するべき課題があり、それにヒトがどのように向き合っているか、という、極めて個人的で緻密な事情の錯綜した世界がただただ広がっているのみである。
まさに、その人固有の世界だといえる。

僕自身はこの文章そのものをとってみても、これは自分の現実を構成するための、なんというか、スケッチのようなものとして書いているつもり。そしてそこには、出来る限り嘘を書きたくないと思ってもいる。なぜなら後で読む時にシラヶたくないと思うからである。自分の現実というのは、それが事実としてあるということも重要だが、それ以上に、自分がどう感じ、どう思ったか、が、核になっているものである。

その件に関し、僕は今年の冬に起きた事件のことをよく思い出す。

『アンネの日記破損事件』である。

その事件に関するニュースを、愛媛県の内子町で見ていた時、横で甥の諒が言った『これって、誰がやったのかは分からないけど、アンネの日記そのものの存在価値もあやふやなんですよね』とたらっと。えっそうなんだなにそれ、というやりとりがあり、その後、またもググル先生に教えを乞うたわけだが、そこで知り得た事は、『それどころかアウシュビッツの事実さえあやふや』ということであった。第二次大戦と、日本、ドイツを双璧とした枢軸国の決定的な敗戦は、戦勝連合国の巧妙なレトリックに依って、様々な虚構をも生み出した、というのは、事実としか云い様が無い、であろう。それを指摘する事全体を称して、陰謀論などといったりもする。陰謀論という論議には各種の話題に各種バージョンが存在していて、それらを拾い読みしていけばいくほど、真実とはなんなのだ、という気持ちが湧き出てきて、あっちなのかこっちなのかどっちなの!と、どまる事が無い。現実ってもののあやふやさに、うつといわれる気分が重なって、自ら掘った砂の穴に埋もれていくような感覚があったものである。だが一方でそもそも、そのキッカケが無ければ知り得なかった事も多くあり、これもまあ、ヒマのなせる態であった。
その心境を、熊本にいる友人に伝えたところ、彼が教えてくれたのが、リチャードコシミズさんという、ネットライターの存在だ。
彼の言説の根底にあるのも、(乱暴に断定すると)いわゆる『ユダヤ国際金融資本』に対する反骨であったが、その言説の荒唐無稽さには驚愕を覚えた。詳細は、ググル先生にってとこなのだが、彼に云わせれば、あの東日本大震災までも、小型原爆による人工地震であり、『ユダ金』の陰謀だ、と。意識に一種の哄笑が起き、そこである発見の手応えがあった。『現実とは創作する物』という閃きだ。

ぼくはその後、俄に歴史に対する興味が涌いたし、それは『メンタル』にも良い作用を果たしたことも結果としては事実だ。例えば、郷土、内子という土地の歴史にたいする知識欲がうまれた。そして、細やかながら、歴史的古文書などにも触れる事になったのだが、そもそも、古文書にしたところで、それが創作でないと言い切るだけの根拠を定めるのは難しい物でもある。確かな事は、その記録者が、文書の結びにしばしば『…聞及故記ス』と書いた事から、『そのように私は聞いたのだ』、ということはたぶん事実だ、ということだけだ。この認識に立っちしてこっち、僕は、モノゴトの真実とは、様々な言説に紛れてどこかに隠されている本当という宝もの、と考えるのでなく、そのような言説があるという『事実』をもとに、その時々で自分が自分のコトバで断定を下す事に、重きを置く考え方へとシフトした。

この転換は自分にとって大きな収穫だったし、それ以降の僕の話し方や文章に大きく影響を与えたのは『事実』である。

常にある課題は、ただひとつ、自分が見たものと、感じた事を、出来るだけ簡潔に言い表し、書き記す、という描写力だけだ。僕は多摩美術大学を卒業し、受験期からその卒業にいたる間、そして今日このときに至る間、何かを描写したり、観察したり、目撃したりする事を行ってきた。もちろんそればかりでないことは当然だがこれも紛れも無い『事実』写実を目的として対象物を見つめたり、絵の表面に起きる反応現象そのものを観察したり、目の前で起きてる、何を目的として行われているか俄には判読しがたいパフォーマンス、コンテンポラリーアート、映画、音楽、文学、芝居、ダンス、ゲーム、エトセトラ、エトセトラ、、、
またそれらを契機にわき起こる、印象、感情、衝動、衝撃、愉悦、尊敬、侮蔑、軽蔑、など、など、など、、、そしてそれは常に進行中なものでもある。それらは、貴重な経験でもあり、僕固有のものである。これらは誰彼とお互いに披露し合って、話しに興がのることもあるだろうし、共感し合うポイントも、多く見つけられるかもしれないが、結局のところ、どんなに語り合っても、意気投合しても、そのもともとの経験は僕固有の物であるから、それ自体の性質を一言で云うならば、孤独、というコトバでしか言い表せない。

まあ、それが大げさに響くのであれば、オリジナル、と言い換えても良いだろう。

僕の文章を書く上での一つの欲求は、オリジナルで孤独なそれらの体験を、それに見合うだけのコトバで記さなければ気が済まない、というものだ。それは対象を主夫業としても、同じなのである。なぜならそれもまた僕固有の体験である事に変わりはないのだから。だから出来うる限り仔細に、自分の見ている物、感じた事を、描写する『レトリック』を追求することになる。追求と書くとまた大げさなのだが、つまり平たく云えば、気が済むまでやる、というだけの事なのだ。
とはいえ人間は有限な存在だし、いくらググル先生に聞いても、いくら本をめくっても、この世にある全ての『ページ』をめくりめぐることなど、先ず不可能なのと同様、自分の心の全ての襞に、指をはわす事は絶対に不可能で、そこにまだ知らない感覚が残されているのは、厳然たる『事実』である。

でも、あまりにも簡単に、適当な流行のレッテルをはって、知ったような事を書く行為には、虫唾がはしる思いがすることも、自分が一番良く知っている『事実』なのである。

ともかく、そうして僕は汗だくになりながらも、一部の納税を終え、帆を逆に向けた。


半月前に主夫宣言をして毎日徒歩5分のメガスーパーに買い物に歩く。僕の買い物スタイルは極めて実戦的だといえる。美大生が持つコロコロに100均で買ったカゴを載せて惹いていく。行きは、そのカゴの中に、日々のペットボトルや牛乳パック、プラスティックトレイ、アルミ缶などを入れて行き、スーパーの回収ボックスに投入する。そうすることで家の中のゴミの滞在時間を極力短くする事が出来る。そのまま、コロコロで店内を廻る。買い物リストはエバーノートでメモしてチェックボックス。コロコロの機動性を活かして広い店内をクルージングしていると、自然、他の買い物客を観察することになる。自分が他にいないスタイルだから、スーパーのカゴをうでに下げたヒトの動きに自然と意識的になるからである。なぜ、わざわざ腕に負担をかけながら動かなくてはならないのか?そして、その買い物かごを持った匿名的な主婦の付属物のような匿名的な檀那の存在にも観察の目は向けられる。なぜみんな『うしろうで』ポーズなのか?また、飼い主からつかの間解放された犬のように、あるいは、現代アートを見入るように一人で『うしろうで』になり、商品棚を見て回っている檀那も幾人も見かける。このヒトにとり、この時間はどういう意味を持っているのだろう。何を仔細に見て取ろうとしているのか。なにか夢でもみているのか。どんな夢だ。そんな刹那の疑問の驟雨。
意識的に、かつ実戦的に、ヒトと違う方法をとるというのは、そのように、ヒトの行動における無意識を観察する行為でもある。
ともかく自分のコロコロ+マイカゴに商品をぼんぼん放り込んでいくが、100均で入手したカゴは、スーパーのカゴに比べ、サイズが一回り小さい。そのため、放り込む、でなく、収納する、という意識も生まれてくることになる。これは、主婦が会計後、袋に商品を詰める際に使うノウハウに近いものだ。しばしば檀那にはないそのノウハウをかざして、重いモノと軽いモノは別々にするのよ!などと『家事ハラ』が行われることがあるようだが、僕に言わせればカゴから袋に詰め替えるという作業そのものが非合理的だと感じられる。完璧に収納されたカゴの内部構成は、レジでまた店員の手によって再度構成が吟味されて、さらに完璧度を増す。そこでの発見もなかなか興味深いし、同じマイカゴに収納した状態でレジを抜け、再びこれをコロコロにバンドで固定すれば良いのだから、これほどの時間と手間の短縮、合理的なアウトソーシングはない。ノーレジ袋で2円引きの得もある。
過去、僕のスーパーの体感イメージとは、帰り道で手に食い込むレジ袋の痛みそしてその重みであったが、現在の装備ではその二つとも完璧に決別できた。仮にカゴをオーバーする量であれば、それを近くにご自由にとおいてある小振りの段ボールに詰めてカゴの上に置きまとめてバンドで固定すれば良いのだ。帰宅して、疲労はほぼ無い、余計な加重が極力避けられているからだ。そして冷蔵庫や各ポジションに買ってきたモノを移動する作業も、非常にスムーズに行える。袋に入れた状態から平面に置いたとき発生する荷崩れとも全く無縁だからである。
最近ではレジの女性店員とも目で会話できる。お客様、やりますね、と目線で送られる賞賛は、ちょっとした愉悦でもある。
ともあれ、無意識から突出した意識は、新しい常識を作る。僕のスタイルも、かつて、マイバックが商品化したように、スーパーマイコロコロ、というものが登場する日もそんなに遠くないであろうが、そんな時が来ても、無意識な檀那は、主婦が買い物を終えるまでのスーパーで、哲学者のように『うしろで』で徘徊し続けるであろう。

眠れない夜故記す。スーパーマイコロコロ