僕の戦争も、活動を限定したかたちで
哨戒活動のみのゆっくりとした流れである。
昨日は外交活動、
義理の両親との懇談の日であった。

僕にとっては、天皇陛下ご夫妻との謁見に近い出来事でもあるが、
いつものマチョッパーズ履きで赴いたのではあったが、
内政の報告、所見の交換、今後のフォロー関係の確認、などが行われた。
また、陛下のお車で都幾川へと足を伸ばしての昼食と、
中山間部川沿いにあるKuma’s Cafe にて、
とても美味しい水だしのアイスコーヒーを御馳走になった。
写真がないのが残念だが、写真を撮る体勢というのは、
ある種僕の視覚的飢餓感のあらわれでもあり、常に臨戦状態はとれない、
それが僕にとっての天皇夫妻と同行となればなおさらである。
また、写真に撮る余裕が無いほど、
僕は「目で視る」「味に耳をすます」ということに集中してもいた。
そのカフェは、一筋縄ではないことが一見してわかる、オープンエアーの店構えで、
店内は、間口が一間、奥行きは二間半程度で、中央には絵本などの平積み台があり、
客席はカウンターの数席のみである。
自然、店主と対面して、対話するスタイルの店だ。
両親の注文で最初にいただいたのは、
ミルクのかかったコーヒーゼリーのような爽やかな酸味苦みに濃厚な甘さが冠る、
たぶん定番メニューなのだろう、氷はロックアイスで、
口当たりが心地よいアイスコーヒーだった。
大容量のカクテルグラスで400円。お値段以上である。
訊けば水出しには8時間をかけるそうだ。
まさに絶品、これぞ逸品!などという、これも定番コメントが頭をよぎりつつ、
ひたすら味に耳をすます。本当に美味しい。
その後、同席した義母から菓子工房MOGのロールケーキ、
もう一杯のコーヒーを勧められたので、メニューを見て、
僕は「コスタリカサンセット」の名に惹かれ、それをありがたく注文した。
じゃああたし達もそれにしようかしら、と三つをオーダー。
Kuma’s Cafeの店主「おやじ」さんは、
例えるならば、ジブリの映画「耳をすませば」に登場する
地球屋の西老人を長身にしたような雰囲気の人物で、
かつ、西老人より少し屈折したユーモアの持ち主にも感じられる、
とても話しの分かる初老のおやじさんだった。
ほどなくブルーベリージャムのかかったロールケーキと、
琥珀色のコスタリカサンセットが3セットカウンターに並んだ。
コスタリカとは、ググル先生に依ると
…中央アメリカ南部に位置する共和制国家である。北にニカラグア、南東にパナマと国境を接しており、南は太平洋にに、北はカリブ海に面している。首都はサン・ホセ。
1949年に、常備群を廃止する憲法を成立させ常備軍を持たない国となったが、同じく憲法によって非常時徴兵を規定している。
チリやウルグアイと共にラテンアメリカで最も長い民主主義の伝統を持つ国であり、中央アメリカでは例外的に政治的に安定が続き、かつ経済状態も良好な国家であったが、1990年代以降は麻薬の横行により治安の悪化と社会の不安定化が進行している。
…となっている。
過去親しかった友人のコスタリカ旅行談が頭をよぎる、
陽気で安定した国、そんなイメージを印象として持った。
麻薬の横行と云うが、
これはすなわちアメリカのなんらかの関与に依り醸成された、
なにごとかであろうが、
ともかく、そんなことは、いまここで、どうでも良い話しだ。
おやじさんの説明によると、
コスタリカはコーヒーの生産によって経済的な基盤を築いているが、
そこにアメリカの資本に頼る事をせず、独立に際しても同様であったそうだ。
コーヒーの味は、先ほどのゼリーのような甘美な旨味の奔流とは対照的に、
甘味も酸味も薄く、渚の如く、爽やかさのさざ波が、限りなく微妙なグラデーションを描く、
そんな印象だ、つまりはコスタリカのサンセットとはこんな感じなんだな、
と想像力を刺激するタイプの味だ。
そして、おやじさんの隣で菓子工房を営む娘さんの作ったロールケーキも、
まさしく世界無敵の味わいであった。至福とはこういうお菓子の形もとるモノでもある。
僕は、この店が、いわゆる、サードウエーブコーヒーショップなんだな、と察して、
その話題を出したところ、おやじさんの顔に『うむ』という表情が浮かび、
話しがそこをキッカケに乱反射して、四人の会話に花が咲いた。
サードウエーブコーヒーショップについては、
livedoorニュースに概要を見つけたので、それを引用する。
曰く
“現在、アメリカでは「サードウェイブコーヒー(第3の波コーヒー)」と呼ばれる新しいトレンドが出現している。第1の波は60年代、アメリカに一気にコーヒーが定着した時代を指している。この時、アメリカに普及したのが一般的にアメリカンコーヒーと呼ばれる、焙煎の浅いコーヒーだった(日本ではアメリカンと言えばお湯を足して薄めたコーヒーのことを指すが、実は本家のアメリカンは薄めてなどいない。ちなみにお茶代わりなので、スタバのトールサイズ350ccに該当するマグカップに入れてガブガブ飲むのが普通。結構旨いのだが、日本では滅多にお目にかかれない)。第2の波は80年代にやってきた。スターバックスを代表とした、いわゆるシアトルコーヒーがそれで、これは焙煎の深いエスプレッソを薄めてアメリカンコーヒー並みの容量にしたもの(前述のトールサイズ)。これが、もはやアメリカどころか、日本を含む世界中に爆発的に普及したのは、どなたもご存知だろう。
そして今回の第3の波の出現。これはコーヒー豆を厳選し、鮮度も徹底管理し、なおかつバリスタが手差し(ドリップ)で一杯一杯淹れるという、本格的グルメコーヒー(ちなみにシアトルコーヒーは出現当初「グルメコーヒー」と呼ばれていた)。で、第2の波と同様、これも現在、日本にも入り込んできている。 ”
となっている。
またこの記事の筆者は
“この第3の波は第2の波と同様、日本にブームを呼び起こすんだろうか……う~ん、ちょっと難しいような気がするのだが?”
と書いているが、この見解について、いまここでは、何とも言えない話しだ。
なぜならこのムーブメントは、そもそもブームとして
流行するような性質ではないと思えるからだ。
件の記事の筆者はさらにこうも書いている
“で、実を言うとこのサードウェイブコーヒー。もともとは日本の喫茶店文化に感動したアメリカ人がそのスタイルをアメリカで展開したものだという。ということは、アメリカでウケるこのカテゴリー、日本では限りなく差異化が難しいことになる。”
ふむふむ、そうなんだろうな、きっと。
例えば同行の両親の感覚によれば、サードウエーブっていったって、
それは彼らお二人が実体験として知っている事とか、自分の足で見つけ、
何度か足を運ぶこの店、そのものであって、
それがムーブメントとしてどうこう、というようなタイプの話しではないわけだ。
また義父がこんな事を言った、
銀ブラっていうでしょう?
あれを今の人は、銀座でブラブラすることとして捉えているようだけど、
そもそもの始まりは、銀座でブラジルコーヒーを飲む、という事の謂いなんだよ。
僕は、へーーーーーーっ!!!と関心した。
そしてそれは、彼ら世代の経験でもなく、
僕にとってはお婆さま世代、大正時代に発する話しなのだそうだ。
これこそ、世代間で伝わる生きた、あるいは生きていた情報の歴史的継承だ。
なんにせよ、経済先進国、とりわけそのなかでも日本人は、トレンド、モード、流行、
または、初もの、最新、舶来品と認知されるものには一定の興味を示す。
過去、鉄砲伝来の時代、銃火器保有数の、最も多かった国は、
他ならぬ日本であった事に、それは顕われてもいる。
そしてその流れが、なぜか、俯瞰してみれば回帰線を辿ってる、
少なくともコーヒーの世界ではそれが起き、認知され始めている、
というのは面白い現象だと思った。
都幾川でコスタリカの夕日を視るが如くにである。

セカンドウェーブコーヒー、
すなわちそれを代表するスタバは、孤独な礼拝堂のような場所だが、
サードウェーブとはすなわち、おやじから、何らかの知的伝導や継承を伴う、
人同士の濃密で対話的な交流を含む場所だ、と理解できる。
サードウェーブコーヒー・ムーブメントの仕掛人と言われるジャック・ドーシーは、
ツイッターの創始者の一人でもあり、
現在、亡くなったスティーブ・ジョブスの次の世代において、
新しいカリスマと目されてもいるという。
彼自身の意図は、サードウェーブコーヒーショップに於いて、自らが開発した
モバイル決済システム・プロダクト『Square』を伝導することにもあるらしい。
『Square』について詳しくは、ググル先生にってとこだが、
それは、個人から個人への交易を活性化する小さな革新的なツールである、と
喧伝されてもおかしくはない感じを持っていたりもする、
しかしながら実際、現時点で僕とはとりいそぎ関係ないような気もしている。
それはいい。
それはおそらくアメリカの広域に点々といると思われる
孤独な、隠れた、一期一会の需要を耕していくだろう。

続いて僕は、
内子町から帰ってきてからこっち、
歴史に対する興味が俄に芽生えた、と前置きして、
ひとつの話しをした。
僕の住む川越の歴史についてである。
前にも書いた事だが、僕は四国と九州で幾人もの農業従事者の知人を得た。
それぞれに、自分のライフスタイルを模索して真面目に生活に向き合う人々だ。
僕が思うに、自らのライフスタイルの創出ほどクリエイティブなものは無い。
それはヒトの行うこと全てを包括するしそれらを統合する概念だから、
まず早計な認識と却下できるヒトはいないはずだ。
事実、彼らの行なう農業は、
農協との関係の枠外に位置する事、
すなわち、農協から指導を受け、
農協の推奨する方法に則って、
農協の販売する薬剤や農耕器材によって行なう「産業」ではなく
あくまで生活を支える自給自足を目的とした、できるだけ自然なやり方、
もっと分かりやすく言えば、
ヒトの手のかからない方法で収量を得ようとする、
自然農法に基づく場合が多い。
ヒトの手のかからない、というのは、
逆説的に、ヒトの手のみに依って行なう事でもある。
僕の兄に依れば、農協とは、その地域において、総合商社と同じであるらしい。
極論、麻薬以外はなんでも扱う、とまで言っていた、
そして、ふつうに生産者として、買い手を得る為には、まず、農協を通さない限り、
不可能な話しでもある、らしい。
だから、ある意味で、いや、実生活において、彼らの自然農法とは、
既存の産業システムに対する、反乱者の態でもあるわけだ。
そしてそういう人々は四国や九州に限らず、当然武蔵の国にもいるはずだと考え、
ググル先生に、「 川越 自然農法 」で教えを乞うたことがある、
一ヶ月前になる話しだ。
そこで検索に引っかかったページは、
エバーノートにクリップしておいたものを改めて視ていま気付いた事だが、
以前にも記事にとりあげたリチャードコシミズ氏の記したものだった。
そのブログとコメント群から一部編集を加え圧縮した知見を、
西のおやじさんと二人の両親に披露した。
内容は以下である。
現在、市場に出回っている野菜は、品種改良や生産性を優先するあまり、
化学肥料や農薬を使用しているため、およそ健康的な野菜とは言えない。
コストカットや生産性、売り上げを優先するあまり、本来野菜が持っている栄養素は失われ、
安くて手軽に食べられる分たくさん食べても、それほど健康的とは言えない。
理想論を言えばキリがないし、本気で有機農業をやれば野菜の価格は今の5倍くらいに跳ね上がるだろう。
だけど、江戸時代は完璧にできていたのだ。
幕末の日本において米の反収は 200kg/10a で人口3000万人を養っていた。
江戸の人口は100万人を超えており世界一の大都市であったのだが、
大きな伝染病の流行はなかった。
糞尿をきちんと処理していた証拠だ。
江戸の長屋ではウンコと尿は、それぞれ業者が引き取りにきて、
それなりのお金になり大家の利権でもあったそうだ。
江戸は「都市」というイメージとは違う美しい田園と共存する風景であり、
外国人にとっては日本の姿は驚くべきものであったようだ。
敗戦とその後のオリンピックから露と消えた糞尿農法。
今ならばより衛生的で不快感の薄い姿でリバイバルできるのではないか。
大川(隅田川)とその上流の新河岸川は江戸の糞尿を
武蔵の国(川越など)に運ぶのに利用され、
江戸中心部から川越の市街まで船が通っていた。
糞尿とともに江戸の文化も川越に運ばれたのが、
今日、川越が「小江戸」と呼ばれる所以である。
川越藩は、「江戸の守り」の役割があったから、
家康の次男・結城秀康の系譜が殿様として幕末まで君臨していた。
さて、その川越あたりは、サツマイモの名産地であるわけだが、
1735年に青木昆陽が「飢饉対策」としてサツマイモの栽培を幕府に進言して、
川越にも定着した。
将軍家冶に川越藩主がサツマイモを献上して絶賛され、「川越いも」と命名されたそうだ。
そのサツマイモの栽培用に江戸から糞尿が運ばれたようだ。
これが、「栗よりうまい13里」の発祥である。川越は江戸より13里の地にある。
肥料としての糞尿は、数十年前まで利用されていた。
東上鉄道(のちに東武の根津嘉一郎の傘下になった。)も堤康次郎の西武池袋線も
汚わいを埼玉に運ぶのに盛んに使われた。
戦争に入ると都市部の汚わいの処理が人手不足で滞り、
改めて汚わい電車が活用された経緯がある。
私RKは、この「元汚わい鉄道」に今でもお世話になっているわけだ。
この大都市の糞尿を利用した農業は、
実に、滋養に富んだ農産物を生産する結果となったわけで、
おそらく、江戸時代の江戸町民、戦前戦後の東京都民は物凄く旨い野菜を
食していたであろうと思う。
それに比べ、現代の化学肥料と農薬に立脚した
「生産性最優先」「手間暇省略コストカット戦略」の農業では、
ミネラル、ビタミンが欠乏した農薬まみれの「不健康野菜」しか生み出せない。
本当の有機農業の復活は、国民の健康回復の切り札である。
健康食品も健康器具も「安心食材」に替わる手段とはなりえない。
以上が僕が知る事になったリチャードK氏の著述の内容である。
それらの知見を披露した上で、僕は自分の考察として言った、
だから、おそらく川越とは、
川を使って肥を運ぶ土地ということから、
かわごえ、となったのであろう、
と。
僕は、思うほどの爆発的リアクションは得られなかったものの、
これは三人の人生の大先輩たちに対して、
実に、ふんにゃり、としたインパクトを与え得たようにも感じた。
義母は、
まあ本当かどうかわかるものではないけど、あなたらしい新説だわねぇ~
とあきれたように淡く笑った。
義父は、
そう言えば、と
江戸前寿司ってやつは、
いまの東京湾に一部廃棄されていた糞尿を餌として
集まるようになった魚を使ってたんだってよ、と言った。
いわば東京湾は、糞尿を餌とした養殖場でもあったのか。
つまり100万人の人類が放つ糞尿は、それなりに自然界を循環していたわけである。
西のおやじさんは、なんというか、気の遠くなるような表情を浮かべてもいたが、
その前説の知見については、おおいに刺激を受けたようで、
実際、彼自身も、現在の生産性と売り上げ重視の一次産業の有り様には、
なにごとか、もの申すべきと感じるヒトの一人でもあり、
戦後食産業の様々な功罪の例を挙げた後に、
そもそもそのような事態を許したのは
他ならぬ自分たちの世代だという
自責の念もあるんだよな~
ということをおっしゃり、
僕の両脇に座る両親も、
そうなんだよ~
我々の犯罪だし罪だよねえ、、、と同調した。
そこで僕は、図らずも、
三人の犯罪の自己申告者に囲まれることとなり、
そ…それじゃあ、僕はまさしくあなた方の被害者なのですね…
と自認を迫られる形となったのが可笑しく、
そこではみんなが笑ったのでもあった。
その後、僕は西のおやじさんから、
近隣のどこやらで、
自然農法とやらをやってるヒトが催す日曜市があるよ、
との情報を得る事にもなった。
都幾川は、いせはらからは、車でも随分足を伸ばす距離にあるので、
機会は限られるだろうが、
ともかく埼玉にもそのようなクリエイティブに取り組んでいる人たちの存在を
感じることのできた土曜の午後であった。









