本日は、外部から部隊の支援をうけた。
ベランダに積載中の物資の引き渡し処分である。
日本国政府の下部組織にも粗大ゴミの回収は有料で受け付ける部署はある、
つまりそれが行政の粗大ゴミ回収だが、ココに連絡したところで、
あんまり気乗りのしないお役所仕事につきあう事になるのは目に見えているし、
回収の日にちもお役所都合で限られるわけだし、
仮に費用が安く済んだとしても、そこまでにかかるタイムコストを考えると、たぶんどっこいって感じだろうって思ったし、インターネットで検索して、ピンとくるのがヒットしたし、
ともかくそれは昨日の話しだ。
部隊の呼称は「片付けサポーター」

サイトのデザインも、ヘタにイメージに走ってなくって、
どすこい任せろって感じで好感度隆。
「汚部屋(おへや、と読むみたいだ)の一挙解決!」なるほど、、、強者っぽ。
電話してみると、受話器の向こうで、ガテン系女子の太く明るい声。
翌日にも見積もりに来て、話しがまとまればその場で搬送、という手はずになった。
ゴミ屋敷ってのは聞いた事があったが、「汚部屋」かぁ…
我が家の場合私見では汚屋敷ではないものの、
ベランダはまさしく「汚ベランダ」と化していた。
隊員からも苦情がではじめていた、
はやくアレをどうにかしちゃりいや、と。
いまやろうとおもってるんだっっつうの…と若干の不服な気分ではあったが、
ともかく予定されていた行動に移る日が、今日、来た。
天気も良い。
僕は、日本海海戦の秋山真之さながら、
天気晴朗なれど波高し、の心境で、
頭からアディダスキャップ、上ステューシー長T、
下ユルジャージ、長ソックス、手に軍手装備で、蚊取り線香を首からぶら下げて、
つまりは蚊対策に万全を施し出動した。
BGMは佐野元春
孤独でストイックな男のラブソングだ
まず第一段階として、ベランダから庭に、粗大ゴミの類いを集結させた。
粗大ゴミ大集合。俄に汚庭化。

蚊がおるんは草ぼうぼうじゃけんかのぉ
もう少し蚊の発生が収まったら、草刈りもせにゃいかんねゃ
それはともかくも、まずこのゴミである。
もちろんこれらすべてを無分別に搬出するわけではない。
前日、日本国川肥市のウェブサイトで、今週明後日に、月一の行政不燃ゴミ回収があり、
そこでもかなりな部分を処分可能なことも、また知ったのである。
長辺50cmに収まるかどうかが、ポイントらしい。
それがなんであれそれ以上になると、粗大ゴミとなり、有料化する、らしい。
で、意外と電化製品は、50cmを越える物が意外と少ない事にも気がついた。
なので、作戦の第二段階は、行政の尺度で「粗大」と判定されるゴミを分別して、
見積もり作業をスムーズに行なう為の作業だ。

赤い切り返し素材のパーツが、本部から搬出したベッドのものである。
大昔のベビーベッドの残骸も混じっている。
すなわち、これらが「片付けサポーター」部隊に引き渡すべきゴミであり査定対象となる。
ここまでやって、空はごくごく薄い雲が覆った青空、汗だく、かつ、時刻は11時半である。
シャワーを浴び、食事をとる気にもなれず、
長女隊員には、ご飯と味噌汁、それと明太子で済ませてくれや、と伝え
座椅子に身を投げ出しラスイチの小豆アイスバーを舐めながら、
ひたすら疲労の回復だけを待った。
小豆アイスちゃんとの逢瀬が終わる頃、
通信傍受。
そうだ、コレも待ってた。
予定通り「片付けサポーター」隊は一三◯◯に到着との通信が入った。
再び同様の装備に身を包む。
ピンポンがなる。
「片付けサポーター」隊は、2トントラック一台、隊員は二名である。
一名は「片付けサポーター」隊本部員、
もう一名は別系列の部隊からなる混成部隊であるらしかった。
どんなヒトがくるのかな…
という事について何の予想も持ってはいなかったが、
隊本部員は、今の印象で言えば「メンフィスベル」のマシュー・モディーン、
別部隊員は、もう少し戦場慣れした
「山猫は眠らない」のトム・ベレンジャーといったところだった。
マシューを件の集積現場に通し、ざっと見積もってもらった。
見積もりの尺度は容積である、と聞いた。
で、最も嵩のあるベッドパーツ六が一万
その他の鉄、プラ、その他の雑ゴミ多数が六千で合計一万六千
見積もり派遣費用込み込みの金額で、
僕はマシューに対して若干のブツの抜き差しをしつつ少し話しはしたが、
最優先は作戦の進捗である、その金額で交渉成立させた。
搬出は僕の期待通り、ごく迅速に運んだ。
蚊の侵入を防ぐべく、僕が窓枠中央に座り、マシューがそこを通過する際に自動ドアさながらに窓の開閉を担当。良いチームワークだった。ほぼ7~8往復で、搬出は完了。
ちなみに僕の戦場は一階の角に位置するため、
ドアからトラックまでの距離も最小限度であることも幸いしたようだ。

戦場の玄関でマシューに対して支払いを済ませサインをした。
トムはその背後に控えていたが支払い手続きが済んだ後、自分は別部隊である事を告げた後で、
50円玉を僕に差し出し云った。
これは回収した鉄素材の代金です
僕はその領収書にもサインをする。
なるほどあの鉄が50円になるのですね、とおうむ返しにすると
トムはニヒルに笑った。
風のような挨拶を済ませ二人は帰還していった。
なんと気持ちのいい男達じゃ…
僕の気分もずいぶん軽くなった。
重い仕事がひとつ、
ヒトの手も借りて終えられたからだ。
ありがとう
という気持ちが一万六千
それでも、山猫はまだ眠らにゃい
作戦は第三段階である。
明後日の不燃ゴミに向けての最後の詰めだ。
残ったゴミ達の分別である。
不要、だが曖昧に未分別なゴミを仕分け、
庭における最低限の美観と通常業務、
すなわち洗濯物干しに
支障のない状態へとレイヤーを揚げる作業だ。
いくつか新しいぱりっとした段ボールが必要である。
それに、エコーなども切らしてる。
僕は酒保・ヤオコーに向かい、エコーを4箱1000
それとごく簡単に夕食のおかずと
ブラックサンダー、小豆アイスバー、ゼロコークなどを買い求め、
ご自由にと積んである段ボールを大小三個入手して帰隊した。
時間は3時に届く頃。
僕はできるだけ楽な格好になり、
ゼロコークとブラックサンダー、そしてエコーを喫しながら、
ネットバンキングで振込などを行なうも
残高が心の中でセンチメンタルに両替えされたりもする
そんなとき僕の記憶の三半規管には必ずといっていいほど、
スガシカオ「午後のパレード」が響く
彼は
そこらじゅうキケンのマーク
…というコーラスに答えこれ以上無い無責任さでリフレインする
ごめんなさい
うまれつきのうてんきで
と
続ける事それがパレードのルールである。僕の作戦もルールは同じだ。
ガダルカナルから帝国日本の本土を目指す海兵隊の心境が冠る。
まだ終結してない。
さて、行動に残された時間は二時間、三たび装備を戻して、
ここからはZAZEN BOYSがよかろう
向井秀徳の殺伐たる歌声で、よけいな情緒は無しでよろ
ここから先、僕が目にしたものは、
グーグルグラスでも装備しない限り、記録は不可能である。
軍手装備でスマフォは触れないからだ。
粛々と作業しつつ、
使用価値のあるモノ、
きちんと分別できるゴミ、
現時点では分別しきれない雑廃棄物なものそれぞれを、
常設のゴミ大ストッカーや新しい段ボールなどに仕分け、
ベランダの片隅に固めて置いた。

机と椅子一セットは、配置を検討する必要があるので、
そのまま置いておくことにして、
午後五時には作業を終えた、ZAZENのトラックも終わった。
まずは、明日一日はこれで放置しても大丈夫だ、
じき明後日がくる
きっと来る

その間心の奥でカラカラと回っていたのは以下のような考えである。
戯れに書き記す。
無分別なものほど視るに堪えない物は無いし、
思いも寄らない形で様々なものと再会したりもする
ゴミということをテーマに書き続けるなら、
まず間違いなく、大竹伸朗さんの存在を、ぼくのなかの世界で避けては通れないだろう、
彼はハブのような存在だ、そして同時にこれ以上無いほど孤高の存在だ
大竹さんは、今も愛媛県の宇和島におられるらしい



彼が宇和島の海岸で巨大なゴミとして廃棄された漁船を素材として80年代の末期に展開した西武美術館での個展はいまでもありありと、生々しくその衝撃の記憶を再生できる、ような気がするしその事についてはまた別の機会に書きたいな、せっかくのブログだから。
ひとつ今、銘記しておきたいのは、彼が件の展覧会において記した謝辞のコトバである
世界一美しい宇和島のゴミに感謝します
と大竹さんは書いていた。
僕はそれを読んで、愛媛県出身者として、何とも言えない気持ちになった
それと、もう一方では、いつも、いつもいつも、思い出されるもう一人、
ヤニス・クーネリスさんというイタリアのアーティストと、
彼が中心をなすと看做される『アルテポーヴェラ』と呼ばれる
現代美術のムーブメントについて



ググル先生、というか、正確にはウィキ先生によると…
その特徴を大まかにいえば、絵具やキャンバス、粘土やブロンズなどの、伝統的な美術の画材を放棄して、生の工業的な素材や自然の石や木などを、あまり加工せずに用いる傾向がみられる。こうした傾向は、同時代のアメリカ合衆国のカール・アンドレや、ロバート・モリスなどのミニマルアートや、ポスト・ミニマルのアーティストたち、ブルース・ナウマン、エヴァ・ヘス、さらにはヨゼフ・ボイスなどとも共通する当時の先端的アートの特徴でもあった。
となっている
以前の記事で触れた、同時代における日本の「モノ派」と
微妙に類似する点があったとしても絶対的に異なるその態度は、
私見ではよりポップアートのマインドに近いと感じられる
僕はこのムーブメントについては、
僅かにクーネリスさんの名古屋で行なわれた展示のカタログでしか
その印象を語り得ないが、
ある建物の廃材を生け花のような感覚で構成してみせたオブジェクト群の写真に、
取り憑かれたような気分で見入っていた、
これをなんと称したら良いのか、なまなかにコトバには翻訳できないが、
これもまた別の機会にかきたいな、などなどなど、、、
いまこの時、僕自身は、現代アートとは無縁の人間だし、
このコンテンポラリーすぎる時間の中で展示や売買の対象として
「芸術作品」というものを固定的に作ってみせる勇気もない。
だから、僕にとり、大竹さんやクーネリスさんは、
異界の英雄であり、尊敬と畏怖の対象ではあっても、
憧れの対象にはなり得ない。
なぜなら彼ら自身の現実もまた、
限りなくコンテンポラリーに流れているだけだと思うからだし、
それは何人たりとも同じ線上、あるいは同じ戦場には、いる事が叶わないものであるし、
逆もまた同じである。
そしてそんな僕も、そして誰だって
自分の手の中に、限りなく深い何事かを掬う事ができる。
その何事かを理解しようとするたびに、
上のお二人の英雄の存在がよぎるのは
僕が今何者であろうと、変わらない事実だ
なんらかの尺度なり、なんらかの価値観というものが、彼らの背後にはあり、
それが二人のシルエットで僕の思考に陰をおとしているのだと言えるだろう。
無分別なものほど視るに堪えない物は無い
と書いたが、乱暴に云うと
そのカオスの中にも乱調とともにある種美的なものの存在を見て取ったのが、
大竹さんであり
また一方でクーネリスさんは、
そのカオスに対してよりドライに、
外側の目線でカオスの質感に触れ、
そして、これが僕にとって重要なのだがそれを改めて「分別」し、
さらに乱暴さを増して断定すると、
侘び寂びのような手つきで再構成して見せているような気がするし、
それは、彼がギリシア人でイタリアにおいては外国人であったことが
大変に大きな意味を持つ、とカタログには書いてあったし、
事実彼がギリシアからイタリアに移った時、
最初に作品のテーマにしたのが、道路標識であったことにも如実に顕われてもいるし、
つまりは、外部の視線とは、
ある時間の線上で常に新たなる分別のマインドを得るわけだ。
それは実生活と同様、原理的に終わる事の無いマインドだ
僕は美術評論家でもなく、
ただ自分の記憶と対話しているだけに過ぎないが、
その断りを前置きして云うと、
クーネリスさんの態度には、けして古くならない強さがある、とも感じる。
なぜなら、何度も書くように世界は常にあまりにコンテンポラリーで、
様々なモノを巻き込みながら、
鳴門海峡のごとく
様々な渦を巻きつつ全て繋がって流れていくのであれば、
場所との連結はある種、流れに対する抵抗者の態度も伴う、
諧調の美しさにおいて自然のおりなす野放図な美との差別化を意識し続ける事になる、
これすなわち相当な力仕事である。
大竹さんの作品の魅力はその強烈なマッシブアタックにあるし
そのストロークは、カオス一切合切を美しい諧調にまとめあげる腕力を孕むわけだし
その拳を繰り出し続ける大竹さんを、僕は本当に尊敬する。
また反面、クーネリスさんの態度には、
東と西という対比の上では倒立したような捉え方だが、
美術史という連続した川の流れの前に立脚して、仏僧のようである。
美術史とはまた現代生活という流れのなかのひとつの渦であることも冷静に観察し、
流れてくるカオスに分別を施す、という観察者の視線を看てとる事が出来る
僕はそこに、いまこの戦場において、
強烈な共感を感じ、グッと来る者である。
僕は今ここでコレを書いていて、
日本とイタリアという同じく第二次世界大戦時の同盟国にあって、
歴史的背景というものが、国境なんてカンケーねえし…とか思いながらも
否応関係なく厳然と係っているということを思いしらずにおれない。
そして僕は日本語を解する地球人
全ての流れから無関係では有り得ない存在だ
ひとえに風の前のちりにおなじ
がーん!だ
今日の作戦記念写真
