2017年4月20日。

作曲家 曽根幸明が他界しました。


公言していませんでしたが

私の父。大好きな父です。


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15年の闘病生活での幾度となる危機も

3月から異変を感じ入院して

危篤になってからの長い戦いも


一度たりとも生きることを諦めない父は

最期まで本当に強い人でした。



父のとんでもない生命力に、私たち家族は

生前、何度力をもらったかわかりません。


完全に半身不随でも、父は片手で譜面を書き、

毎日日記をつけ、リハビリをして、

ピアノを弾こうと、脳が壊れても作曲をしようと

何度も挑戦していました。


また

好きだった洋楽をよく口ずさんでいました。


ゴルフをしている夢を見たと

朝寝ぼけながらよく話していました。


片目が失明しても

毎日見る時代劇や野球を楽しみにしていました。


耳があまり聞こえなくなっても

私のラジオやピアノを、歌を、

いつも聞いてくれていました。


とにかく

母の名前をいつも大声で呼んでいました。



脳梗塞、心筋梗塞、バイパス手術、

前立腺ガン、敗血症、帯状疱疹、糖尿病など

数々のことをくぐり抜け 生き抜いて、

私達は父のことをもはや

不死身の男”と呼んでいました。笑



車椅子でも、身体が動かなくなっても、

父がそこにいるだけで、笑っているだけで

私達はずっとずっと父に守られていたんです。




15年の介護で父を支え続けた、いつだって

とびきり明るく可愛く芯のある偉大な母と、


強く、大きく、破天荒で、お調子者で、

自分勝手で、でも気遣い屋で、子煩悩で

声がデカくて、優しく、明るく、懐深く、

どんなキツイ経験をしてきても生き抜いた

ただただ忍耐の男。偉大すぎる父です。




今の時代、作曲家 曽根幸明を

知っている人は少ないだろうし、正直私も

皆様に知ってもらっていた頃の父については

そんなによく知らないけれど←


これだけはわかります。

は素晴らしい音楽家です。

素晴らしい人間です。何よりの誇りです。


歌謡曲も、演歌も、カントリー曲も

全て父の曲が大好きです。




父を誇りに思っていること、

命あるうちに公言しようと

何度も思っていたのに


言葉にしたら、

それこそ亡くなってしまう気がして

最後まで生き延びることを信じたくて

変な意地で言葉にできませんでした。



とても後悔しています。 



同じ屋根の下あんなに毎日笑い合っていたのに

本当にいなくなってしまったのかなって

今もたまに信じられません。


父に、会いたいです。




1度くらい、意地を張らないで真っ直ぐに

父から音楽を教わっておけば良かったとか


時に介護に嫌気がさして

優しい言い方ができなかった事とか


何より私自身、父が生きている内に

父のように知名度を上げられなかった事



謝りたいことだらけですが、

それ以上に感謝の気持ちが

私の身体でも収まりきらないほどに


父を尊敬しています。



父への想いは、コンプレックスも含め

深く深く沢山ありすぎて複雑で

今はまだ上手く言葉にできないけれど


父の代表曲の一つ、

藤圭子さんの「夢は夜ひらく」を

4月27日、32歳の誕生日ライブで

初めて歌ってみようと思います。


父が褒めてくれた、まだ流通されていない

最新のアルバムもそこで販売します。


まだまだ無名の未熟者ですが、

泣いてばかりの弱っちい自分が恥ずかしいですが

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私もいち音楽家として決意を込めて。

勇気を出します。




▼4/27(木)20:00〜

渋谷 7th Floorにてワンマンライブ

どうか見守っていただけたら嬉しいです。


チケットご予約は

soneyukie.info@gmail.com


または

会場への電話予約(03-3462-4466)

でお待ちしてます。



これが父への恩返しと信じています。





そして今後も、曽根幸明の名前を連呼したり

むやみに前面に出すつもりはありません。

もちろん話していなかったことを

少しずつ話していけたらとも思いますが、


父とか関係なく、私は私として

きちんと良い音楽を作れる人になりたいから。

そこは変わらず頑張ります。



でも、

地球が反対に回ろうがどんな事があろうが

は父の血を分けた娘です。

誇りを持って進むつもりです。

必ず歌い続けます。



病院のベッドの上で

”宇多田ヒカルさんに

負けないように頑張ってね”

と父から言われてしまい


話が大きすぎて2人で笑いながら

”勘弁してよ笑”と冗談で返しましたが、

気持ちだけは本当にそのつもりで頑張ります。

私にとっても大尊敬の宇多田さんに

いつかお会いできるようになるくらい、

私も諦めず頑張り続けるつもりです。


父は 私が売れるのを

ずっと待っていてくれたから。

必ず歌い続けます。



自分のためや 全ての曽根家、私たち家族

のために父はあれだけ戦ったのだから。

もう戦わなくていいんだねって、

ダディありがとうって、聞いててねって、

私も強く生きていかなきゃと思います。




そして、父があそこまで頑張れたのは

間違いなく、我が母がいたからです。

介護も人への愛情も温もりも

明るい声も 太陽みたいな笑顔も、

あそこまで一生懸命出来る人はいません。


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私はリハ後、父の最期に走って駆け付けても

数秒の差で間に合わなかったけれど、

最期は母と2人きりになれたのなら

本当に良かったなぁと思っています。



父を誰よりも愛し支え抜いた真っ直ぐな母を、

今度は私たちが守ります。

しっかり者の兄と義姉(奥様)と、

愛しい姪っ子と。

ゆっくり立ち上がっていきます。





誰もが経験することではありますが、

きちんと自分の言葉で伝えたくて

私情をBlogにしたこと、お許し下さい。



これから私も、父としてだけではなく

音楽家としての曽根幸明を、

曽根幸明とゆう人間を、昭和の音楽を

もっともっと知りたい。

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この本も読み手としてはちゃんと読めてないし、

他にも色々な所から私の知らなかった父を

勉強して更に知っていけたらと思っています。



83年間の父の人生で

大変お世話になった皆様へ、

改めてお礼を申し上げます。

本当にありがとうございました。


父と親交のある皆様や

父の曲を愛して下さった皆様へ感謝を込めて

そのうち曽根幸明を偲ぶ会を

企画するつもりです。


落ち着いたら、またご報告致します。




シンガーソングライター

曽根由希江


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最後に写真載せます↓

しかし昔の父かっけぇなぁ。。
色男が過ぎるわ←
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↓幼稚園の卒園式に歌いに来てくれた父
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↓兄と
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↓父が撮ってくれた私
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↓私なんてカケラもない頃の父
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↓いつも優しい父に生意気な娘でした
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↓家は違うけど、今も毎日私はこのピアノを弾いています
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ダディ、本当にお疲れ様。
ただただ、ありがとう。