ども、よしわ村長です
今回は、善和の自治会です
まず、自治会とは何なのか?を簡単に説明しておきましょう!


前置きはおしまい
前述の通り、昭和44年に出来た善和自治会
自治会は3つあります
二俣瀬10区(善和東自治会)
二俣瀬11区(善和下自治会)
二俣瀬12区(善和上自治会)
となっています
この地区割りは、善和区会の3地区(班)が元になっていると思われます
まずは、10区善和東自治会
城生原と石土路の2班があります
まず、城生原(じょうしょうばら)
田の小野より、城生原川沿いに緩い登り坂を東に行くと5軒ほどの集落があります。ここが城生原です
善和橋バス停付近の井手ケ原(いでがはら)から東谷川を登ったところの6軒の集落、東谷(ひがしだに)と言いまして、ここも城生原班に入っています
田の小野から入る道と善和橋から入る道(善和八幡宮経由)は奥で繋がっています。両者の奥を二ツ土手(ふたつどて)と言います。よしわ養鶏場や知的障害児施設善和園(現在は移転)のあるところで、ここの2軒も城生原班に入っています

ついでに、一丁畑(いっちょうばた)は、明治の始め、萩士族(没落士族)が開墾したところです


その後、宇部市有地となり市営牧場となっています

合計13軒
家が離れているのが難点で、回覧を回すのに車を使わざる負えない状況です(^_^;)
城生原と東谷の間にあるメキシコゴルフ、コース(9ホール)の中の山頂に、弁財天様(厳島神社)が鎮座しています
城生原班で守っており、その掃除も兼ねた道普請(みちぶしん、道の草刈り)が、年2回(10月と3月)あります
現在、善和で道普請があるのは、城生原だけ!となっています(他は廃止された)

石土路(いしどうろ)
城生原から更に奥の8軒の集落を石土路と言います

昔、阿知須から登ってくる道(現在は江畑池)があり、阿知須の上流とも言えます
歴史的にも、山口市阿知須の引野の人々が開拓した集落でして、今でも城生原川上流の石土路に水を二手(田の小野側と阿知須江畑池側)に分ける堰があります

車地の人々の開拓した城生原とは、隣なのにルーツが違うのが面白いところです
二ツ土手の2軒も石土路班に入っています
これは、班が、土地を境界にしているというより、親戚などの血縁関係を重視して構成されていることに由来します(城生原や他の班も同様な構成がみられます)
近年、1人暮らし世帯の死去により世帯数が減っていて、現在6軒となっています
高齢化も異常に進んでいて、もはや限界集落の様相となっています
長年、城生原と石土路で、任期1年の自治会長を交互に出す決まりとなっていましたが、数年前より、家の並びで一緒に順番を回すルールに変更されました(自治会長のいない班は班長を出すのはそのまま)
山口市との境界の山の頂上に、貴船様・八王子様(龍王社)という神社がありま

お祭りは12月。ふもとの嘉藤さん(100歳)が、1人で密かに(笑)しているそうです(掃除も管理も)
石土路の一番奥に、宇部で唯一の乗馬場、宇部乗馬クラブがあります


石土路のさらに奥、割坂から男岳(おんだけ129㍍)に登ることができます。

ちなみに、この男岳山頂の南側は善和区会の土地になります
かつては、ほぼ行き止まりで平和な(笑)石土路でしたが、宇部テクノパークへ抜ける道路が開通したことにより、城生原とともに朝夕の交通量が激増しております(^_^;)

10区の最後に、
ここを抜けるドライバーの方へ
高齢者が多いので、
ゆっくり走って下さいね
↑お願いかい!(笑)
おしまい
じゃ、またね〜





