サンチャペル雑記帳 -8ページ目

サンチャペル雑記帳

神奈川県二宮町にある教会です

サムソンが、神様から与えられた特別の賜物は力でした。私達も、神様から与えられた賜物をしっかりと知るとき、それを神様の栄光のために使うことができるようになります。

まず、神様の主権を認める。自分が、何に関心があるかを知る。情熱が燃やせて、喜びがある等。

周囲の人々と自分の評価を擦り合わせる。自分のことは、なかなかわからない。しかし、客観的な評価は、自分の理解と異なる。

なにもしなければ、何もわからない。色々やると、何ができて、何が不得手かわかってくる。

あなたにしかできないことがあります。神様の召命と賜物は、変わらないのですから。
私達は、この世に存在しています。しかし、私達がこの世界を動かしているわけではありません。

9月11日のニューヨーク同時多発テロから15年経ちました。ある人達は、テロで世界が変えられると、信じました。

けれども、それは世界を変えたというより、壊して憎しみに満ちたものに変えてしまいました。

だれかが悪いから…と、いうより私達人間の限界を示しました。

私達は、祈ります。それは、世界を造られた方が、この世界を変える力があると信じるからです。

サムソンの背後に神様はおられました。私達の日々の生活の中にも、神様はおられます。

歴史に働かれる神様。History…his story 神の物語。

この世界を、人の憎しみと暴力で変えることは、できません。神様の愛と恵みだけが、世界を変えます。
私達には、目標が必要です。目標無しには、努力が継続できませんし、努力のための努力は、尚更無理です。

実際、目標無しでは、人生をどう進んで良いのか、 わからないと思います。

私の目標は、キリストです。そのために、どうやって生きていくのかを、聖書は指し示しています。座標軸のようですね。

私達の旅は、当てのないものではありません。ゴールは、永遠の御国ですから。
実は、私達の生きるこの世界は、いのちの危険にさらされています。私達が、母の胎内にいるときも、危険とは無縁ではありません。

今も、日々の生活の中で、危険はあります。どうして、そのような世界に生まれてきたのでしょう。何か理由が、あるのでしょうか。

もし、私達が偶然の産物であるならば、私達が幸せを求めたり、人を愛したり、愛されたりすることに意味は見いだせません。

自分の夢や希望は、どこに見つけたらよいのでしょうか。

私達の希望や生きる力は、キリストの内にあります。そして、人は偶然の産物ではなく、神様から使命を与えられています。

互いの弱さや欠けを補い、支え合い、愛し愛されるために、この世に生まれました。

あなたにしか、できないことがあります。私にしか、できないことがあります。最もこの世で、危険なことは、死かもしれません。

しかし、死は勝利にのまれてしまいました。私達は、キリストのいのちの内にいます。
私達の内側で起きている事と、外側で起きている事が、違って見える事が、あります。信仰的な人に見えて、実体は神様から離れていたり、神様から見放されているように見えて、実は、神様にその人が、取り扱われている場合もあるでしょう。

あるようで無いのが信仰・無いようであるのが信仰、かもしれません。

神様に、従う時、私達の思いと神様の思いが一致します。←このフレーズは、昨日のメッセンジャー重田先生からのパクリです(笑)

あるがままの自分自身を、神様に委ね、み言葉に飛び込むなら、私達は、新しい世界を知るでしょう❗