サンチャペル雑記帳 -2ページ目

サンチャペル雑記帳

神奈川県二宮町にある教会です

平安が内側にある時、他者と平和があります。分裂が内側に起きると、一致がなくなり平安が保てなくなります。

 

そして、分裂が起きるとき、そこには捕囚が起こりうるのです。心に壁を築くなら、結果として孤立を招き、心の捕囚となります。

 

分裂し、平安が失われた状態は、平和も損なわれます。私達の心は、何に捕らわれているでしょうか。

 

聖書の言葉と祈りにより、養われ心の柔軟性を保ちたいものです。

私達の人生の旅が終わる日が来ます。そして最後に、その人の生きざまが表に現れたりもします。

主にある人生は、始まりがあり終わりがあります。その間のプロセスは、日ごとに連続した日常にこそあります。

非日常が時に人生に訪れますが、その時にその人の生きざまが問われてしまうのではないでしょうか。

主にあって、忠実に日々歩みたいものです。

パウロは、言葉によって伝道した卓越した人ですが、手紙によっても神の計画を余すところなく伝えました。

けれども、その手紙の中で何度も彼は祈っています。もしかすると、自分の理解や言葉による説得では、届かない限界を感じていたのかもしれません。

彼は、祈りの中で…また、神様との交わりを通して、聖化されていきました。私達も、栄光から栄光へ、恵みから恵みへ、主と同じ姿に変えられていきます。

ダビデは、王であり・祭司・預言者・羊飼い・楽者・詩人…イスラエルの英雄でもあります。

しかし、私達と同じように罪があり弱さがありました。もし、本当に悔い改めるならば、私達も同じ赦しを受け、恵みが注がれ、生涯に渡り神を賛美し、仕えることができるのです。

彼の失敗と悔い改めから、学べるのは、失敗を認める、神様に助けを求め戻る、方向を転換する。

生き方を変える・考え方を変える、自分中心の生き方をやめて、神様中心に生きる。これが、私達に必要なことです。

そして、日々の生活で大切なことです。自分の弱さを知り、失敗を繰り返すものであることを認め、神様との関係で、赦される喜びを味わい体験して、生きていく。

それは、いつしか神様への感謝と賛美へとなっていきます。
御霊とは、何でしょうか?もしかすると、彼と呼ぶ方が適切かもしれません。

私達は、元々霊的な存在であると理解することが、できるようになるのは、神様を知り信じた人にしかわからない事でしょうか?

霊と魂と体は、別々でありながら、切り離す事ができないほど密接です。霊が心を支配し、心が統治した状態が神様と正しい関係を持てる状態です。

しかし、肉の思いに体が支配されてしまっている状態は、神様の思いから離れた状態で、本来の私達の状態ではありません。

人の心の中は、霊と肉の戦場です。この戦いに、勝利するには、祈りと聖書の言葉…聖霊の助けが必要です。