イギリス映画「キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱」 | ソンブーンのブログ

ソンブーンのブログ

ブログの説明を入力します。

2024年4月14日(日)

 

映画専門チャンネルのムービープラスで放映を録画しておいて観ました。

2019年の英伝記映画。マルジャン・サトラピ監督。ロザムンド・パイク主演。他にサム・ライリー等出演。

夫人のみならず、彼女の娘もノーベル賞受賞者であることを初めて知りました。

僕の本作品の評価は5点満点で3.8です。

 

作品紹介(映画コムより)

キュリー夫人として知られるマリ・キュリーの伝記ドラマ。1903年にノーベル物理学賞、1911年に同化学賞を受賞し、女性として唯一2度のノーベル賞受賞を果たしたキュリー夫人を、「ゴーン・ガール」「パーフェクト・プラン」のロザムンド・パイクが演じた。

19世紀のパリ。ポーランド出身の女性研究者マリ・スクウォドフスカは、女性というだけでろくな研究の機会を得られずにいた。そんな中、科学者ピエール・キュリーと運命的な出会いを果たし、結婚してキュリー夫人となった彼女は、夫の支援で研究に没頭する。やがてラジウムとポロニウムという新しい元素を発見し、夫婦でノーベル賞を受賞する。しかしピエールは不慮の事故で他界し、発見したラジウムは核兵器として利用されるようになってしまう。

夫ピエール役で「マレフィセント」シリーズのサム・ライリー、娘イレーヌ役で「ラストナイト・イン・ソーホー」「クイーンズ・ギャンビット」のアニヤ・テイラー=ジョイが共演。監督は「ペルセポリス」のマルジャン・サトラピ。

 

ストーリー(ウィキペディアより)

1893年、26歳のポーランド女性マリア(フランス風にはマリ)・スクウォドスカパリソルボンヌ大学で科学を学んでいた。だが、自己主張が強すぎる性格ゆえに担当教授の研究室を追い出されるマリ。苦学生で自前の研究室を持てないマリを、自分の研究室に招くピエール・キュリー。彼は、数少ない女性の研究者であり優れた論文を書くが、教授に楯突くことで有名なマリに注目していたのだ。当初は、身体が目当てかと身構えていたマリだが、ほどなくしてピエールと共同研究を始め、1895年には結婚してキュリー夫人となった。

4年がかりの研究で新元素のラジウムポロニウムを発見するキュリー夫妻。その物質が発する放射線を「放射能」と名付け、科学の法則を書き換えたと世間的にも大評判となった。1903年にはノーベル物理学賞の受賞が決まったが、当初の受賞者はピエールのみだった。推薦者に掛け合って妻との共同受賞を認めさせるピエール。だが、阻害されたと腹を立てたマリは、あえて授賞式を欠席した。

1906年、通りを渡ろうとしたピエールは大型馬車に轢かれ、46才で亡くなった。まだ幼い2人の娘と共に残されたマリを、大学はピエールの役職だった教授に任命し、研究室の使用も継続された。ソルボンヌ大学初の女性教授となるマリ。しかし、1911年に、マリは大きなスキャンダルに巻き込まれた。ピエールの教え子で助手でもあったポール・ランジュバンとの恋愛が新聞に載ったのだ。ランジュバンは妻帯者であり、離婚を迫られた妻が記者に話したためで、マリの家は怒った市民たちに取り巻かれた。

同じ1911年、マリにノーベル科学賞の内示がもたらされた。2部門(物理学賞・科学賞)での受賞はマリが世界初の快挙だった。スキャンダルを理由に辞退を勧める声もあったが、マリは堂々とストックホルムに赴き、メダルを受け取った。気弱なランジュバンは妻の元に戻り、事態は鎮静化して行った。

1914年、第一次世界大戦が始まると、マリは長女イレーヌと共にレントゲンの機材を軍用トラックに積み込み、戦場に向かった。負傷すると簡単に手足を切られていた兵士たちは、レントゲン検査によって切断を免れ、マリに感謝した。長年、放射線に曝され続けたマリは健康状態の悪化に苦しみ続けたが、1934年に66才で亡くなるまでパリで研究生活を続けた。