米国映画「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」 | ソンブーンのブログ

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2024年2月26日(月)

 

NHK-BSの映画番組「プレミアムシアター」で放映を録画しておいて観ました。

2015年の米伝記映画。ジェイ・ローチ監督。ブライアン・クランストン主演。他にダイアン・レイン、ヘレン・ミラン等出演。

第2次世界大戦後、ソ連との対決が決定的となり、米国では本格的な共産主義者排斥運動が活発化。所謂「赤狩り」です。ハリウッドでも赤狩りが行われ、当時最高の脚本家であった主人公も裁判にかけられ、刑務所に入れられます。出所しても仕事もなく、家族への嫌がらせもあり、大変な思いもしますが、見事に復活し、名誉も回復されるという展開です。主人公が実在のトランボンに本当によく似ているので感心しました。

僕の本作品の評価は5点満点で3.9です。

 

作品紹介(映画コムより)

「ローマの休日」など数々の名作を生んだ希代の脚本家ダルトン・トランボの波乱万丈な人生を、テレビシリーズ「ブレイキング・バッド」で知られるブライアン・クランストン主演で描いた伝記ドラマ。脚本家トランボはハリウッド黄金期に第一線で活躍していたが、冷戦の影響による赤狩りの標的となり、下院非米活動委員会への協力を拒んだために投獄されてしまう。釈放された後もハリウッドでの居場所を失ったトランボは、偽名を使用して「ローマの休日」などの名作を世に送りだし、アカデミー賞を2度も受賞する。逆境に立たされながらも信念を持って生きたトランボの映画への熱い思いと、そんな彼を支え続けた家族や映画関係者らの真実を描き出す。共演に「クィーン」のヘレン・ミレン、「マレフィセント」のエル・ファニング、「運命の女」のダイアン・レイン。「ミート・ザ・ペアレンツ」のジェイ・ローチ監督がメガホンをとった。

 

ストーリー(ウィキペディアより)

ダルトン・トランボは、その才能によりハリウッドの俊英の1人に数えられるようになっている脚本家である。しかし、彼はアメリカ共産党員として積極的に活動していることから、コラムニストのヘッダ・ホッパーや俳優のジョン・ウェインなどのエンターテイメント業界における強硬な反ソ連の人物から軽蔑されている。

トランボは、ハリウッド映画における共産主義のプロパガンダに関して下院非米活動委員会(HUAC)で証言するよう召喚された10人の脚本家のうちの1人となった。彼らは質問に直接答えることを拒否し、下級審で議会侮辱罪で有罪判決を受けたとしても、最高裁で多数派を占めるリベラルな判事たちがそれを覆すことを確信している。トランボたちの行動を支持するトランボの友人で俳優のエドワード・G・ロビンソンは、彼らの弁護士費用調達のために、ヴィンセント・ファン・ゴッホの1887年の絵画『ペール・タンギーの肖像』を売却する。しかし、リベラル派とされるワイリー・ラトリッジ判事とフランク・マーフィー判事の予期せぬ死去により、トランボの上訴する計画は叶わぬこととなった。1950年、トランボはケンタッキー州アシュランドの連邦矯正施設で11か月間服役する。

「ハリウッド・ブラックリスト」の対象が拡大し、より多くの共産主義者や共産主義シンパが業界から排除される中、トランボとその仲間たちは、自分の仕事を守るために彼らとの繋がりを否認するロビンソンとプロデューサーのバディ・ロスによって見捨てられる。トランボは刑務所から釈放されたが、依然としてブラックリストに載っており、彼の経済状況と家庭生活はますます逼迫していく。彼は友人のイアン・マクレラン・ハンターに『ローマの休日』の脚本を渡し、ハンターが脚本の名義と報酬の一部を得るという手段をとる(最終的にはハンターがアカデミー原案賞を受賞する)。のどかな湖畔の家を売り、都会の家に引っ越した彼は、低予算のキング・ブラザーズ・プロダクションでペンネームを使った上で脚本家として働き、ブラックリストに載っている仲間の作家たちにB級映画の脚本執筆の仕事を回してやる。彼は妻のクレオと10代の子供たちに仕事を手伝わせ、家庭内不和が大きくなる。トランボがペンネームで原作を書いたキング・ブラザーズの映画『黒い牡牛』がアカデミー賞を受賞したが、トランボはそれが自分によるものだとは言えない。ブラックリストに載っている友人のアーレン・ハードは貧窮の中、癌で亡くなる。一方、キング・ブラザーズを脅してトランボを解雇させようとするヘッダ・ホッパーの同調者らの試みは完全な失敗に終わる。

業界ではトランボがゴーストライターとして脚本を沢山書いてきているという疑惑が浮上するが、彼はそれを肯定しないように注意を払う。1960 年、俳優のカーク・ダグラスが彼の大作映画『スパルタカス』の脚本を書くよう彼に依頼し、オットー・プレミンジャー監督は彼に『栄光への脱出』の脚本を依頼する。ホッパーはダグラスを脅してトランボを降板させようとしたが、ダグラスとプレミンジャーの2人はトランボが脚本を書いたと公表する。1961年の初めまでにブラックリストの効力は、米国新大統領ジョン・F・ケネディが『スパルタカス』を称賛するほどまでに下落し、トランボたちは自分たちの名前で仕事を再開出来るようになった。10年後、ハリウッドからの正当な賞賛を漸く勝ち得たトランボは、ブラックリストが如何に彼らを、即ち、自分たちの主張を守って仕事を失った人たち、また、仕事を守るために自分たちの主張を曲げた人たちを犠牲にしたかについて語った。