日本映画「男はつらいよ 寅次郎恋やつれ」 | ソンブーンのブログ

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2023年7月16日(日)

 

BSテレ東で放映を録画しておいて観ました。

1974年の松竹映画。山田洋次監督・原作。渥美清主演。レギュラーメンバーに加えて、マドンナ役で吉永小百合が出演。サユリストと呼ばれる熱狂的なファンがいたと聞く吉永小百合ですが、本作品を見ると輝くばかりのオーラ・華がありますね。

僕の本作品の評価は5点満点で3.7です。

 

ストーリー(ウィキペディアより)

寅次郎が旅先で見た夢では、タコ社長夫妻が仲人をして寅次郎が結婚し花嫁を連れて柴又に帰ってきたら、おいちゃん・おばちゃんが亡くなっていた。

柴又に帰ってきた寅次郎は、温泉津温泉で知り合った絹代(高田敏江)との結婚を考えていると皆に伝え、さくらとタコ社長を連れて会いにいくが、絹代の元には家出した夫が戻ってきていた。

失意の中、さくらたちを宿に置いて立ち去った寅次郎であったが、旅の途中の津和野で歌子(吉永小百合)と偶然再会する。2年前、寅次郎は歌子に惚れながら、多治見の陶芸家の男性との結婚を祝福して別れた(『柴又慕情』)のだが、それ以来の再会であった。しかし、歌子から思わぬ話を聞かされて、寅次郎は愕然とする。苦労の末に結ばれた夫は前年に亡くなり、未亡人として津和野の婚家で温かみの少ない姑らとともにつつましく生活をしているというのだ。その姿に哀れみを感じた寅次郎は、歌子を一人残していくことに後ろ髪を引かれながら、何かあったらとらやを訪ねてくるように言い残して去る。

10日ほどして寅次郎は旅から帰ってきたが、歌子のことを心配するあまり、「恋やつれ」と呼ばれるほどの状態になってしまう。寅次郎は他人の不幸をあざわらうような家庭だと憤慨して、とらやを旅立とうとするが、ちょうどその時歌子が訪ねてくる。歌子は、寅次郎との出会いに励まされる形で、勤めていた図書館を辞め、婚家とも縁を切る形で覚悟の上京をしたのであった。東京で自分の生きがいとなる仕事を見つけようと、しばらくとらやに滞在することになる。津和野では見せなかった笑顔をとらやでは浮かべる歌子を見て、寅次郎は涙ぐむ。

歌子には、一つ心に引っかかるものがあった。父・修吉との確執である。夫の葬式にも参列せず、優しい言葉をかけてくれなかった父に、歌子は失望していた。さくらは、そんな歌子の言葉を聞いて、修吉の家を訪れ、現状を報告する。その際の修吉の態度を見て、修吉の心の中に歌子への愛情を読み取る。歌子は、心身障害児や老人の世話をする施設で働いて、他人のために役立つ仕事をすることを目指していたが、そこに至るための資格などの壁が高いこともあって、自信が持てないでいた。さくらは、博とともに、修吉なら何と言うだろうか、会ってみたらいいのではないかと言うが、歌子ともども実行には踏み出しにくい雰囲気が漂う。ところが、その翌日、寅次郎が単身修吉を訪れ、歌子に謝罪するように単刀直入に申し入れる。何もかもぶちこわしにするような寅次郎の行動にとらやの人たちは大いに怒るが、そこへ修吉が訪れる。寅次郎の「厳しい批評」[2]に心を動かされたのだ。修吉は当座の生活費と着替えを持ってきた建前ではあったが、歌子の謝罪を受け、「謝るのはたぶん私のほうだろう。私は口が下手だから、なんて言うか誤解されることが多くてな。しかし私は、君が自分の道を、自分の信ずる道を選んで、その道をまっすぐに進んでいったことをうれしく、私は本当にうれしく…」と涙をぬぐい、「もっと早くお父さんに会いに行けばよかったのに」と言う歌子、寅次郎も含めて、一同が涙する。

寅次郎は、歌子が幸せをつかんでいく様子を見て、自分の役割が終わったことを感じる。父と和解して実家に戻った歌子を訪れ、仕事のことを尋ね、伊豆大島『藤倉学園』で働くことにするという報告を受けると、歌子の家、そしてとらやを「安心半分、傷心半分」[3]で、静かに去る。

歌子からとらやに、伊豆大島の心身障害児の施設での充実した生活を知らせる手紙が来る。最後は寅次郎との再会を願う文章で締められていた。[4]寅次郎は、山陰の海岸を訪れる。そこには偶然、夫や二人の子どもと戯れる絹代がおり、ここでも寅次郎は自分が関わった人物が幸せでいる姿を見届けて、満面の笑みを浮かべるのであった。