標準語とは、NHKのアナウンサーが話している言葉である云々というような面倒な定義はひとまず置いて、このブログでは東京で話されている言葉と考えて下さい。
400年強前に、徳川家康が幕府を江戸に開いた時には、数百人の漁師が住む江戸村があったのみだということですから、ほとんど白地のキャンパスに絵を描き始めるという状態であったと想像します。
支配階級である武士は、基本的には、三河出身の徳川に仕えた人たちですから、彼らの言葉は、三河弁(今の愛知県岡崎市辺りの言葉)であると思います。武士の生活を支える為に多くの商人や職人が江戸に移り住んだわけですが、職人は京都・大阪・堺・奈良のような当時の最先端地からの移住者であったと思いますが、彼らの言葉は、上方(関西)の言葉のはずです。又、商人は、京都、大阪、伊勢(三重県)の人たちですから、彼らの言葉も上方(関西)或いは三重県の言葉です。
庶民と呼ばれた人たちが人口の多くを占めていたいたわけですが、北関東や東北・日本海側出身の人たちが多かったようです。移動の自由が制限されていた時代ですが、他地域から江戸に移住してきた人たちは、たとえ訛りがあったとしても移り住んだ地である江戸で既に話されていた言葉を覚えようとするものだと思います。
支配階級である三河武士達は、将軍やその他幹部が遠慮なく大声で話していた三河弁を使い、商人や職人が関西弁を使っているという新しい街である江戸において、どういう経緯で今のような東京弁?に変化していくのでしょうか?
明治以降になって、徳川幕府が倒れ、倒幕の中心勢力であった薩摩(鹿児島)・長州(山口)・土佐(高知)の士族が明治政府の幹部になるわけですが、彼らは自分達の出身の言葉をお国訛りのままで話していたということです。天皇が京都から東京に移られ、それに連れて、多くの公家が東京に移住してきたわけですが、天皇も公家も京都の言葉を使っていたはずです。
今の東京弁を構成する要素が見当たりません。関西或いは西日本の言葉と関連して然るべきだと考えますが、どうも二つはまるで別物のように思います。
僕は学者でもないわけですが、本件について何か情報はないものか、と考えていたら、次のような情報に出会いました。ノンフィクション作家の高野秀行氏が、日経新聞のコラムで、野村剛史氏の「日本語スタンダードの歴史 ミヤコ言葉から言文一致まで」(岩波書店)において、中世末期(室町・戦国時代)の上方語であると結論づけていて、びっくりしたと書いてありました。
江戸という街の成り立ちを考えると、上方弁(関西)か、或いは三河弁(愛知県北部)しかないという漠然とした感触はあり、野村氏の結論も近いわけだが、今の関西弁と東京弁は違いすぎるよね。中世末期の上方の言葉が東京で変化して、今の言葉になったんでしょうか?