自由

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病院探しを始めました

平和記念資料館と原爆ドームで感じたこと

ずっと

ためらってたんだけど…

やっぱり書きます


数日でアメンバー記事にするかもしれません


娘はポーランド南部の

アウシュヴィッツ博物館にいったことがある


収容所の周囲は

見渡す限り何もなく

鉄道の線路のみ

収容所の敷地も

フェンスもそのまま


当時のアウシュヴィッツ強制収容所が

今も維持されている


窓のない粗末な作りの建物

囚人服の人形

硬い木だけの二段ベッドという名の棚

ガス室や焼却炉(これ以上書くのは控えます)


補修はしてても当時のまま保存


当時にタイムスリップしたと錯覚するぐらい

伝わってくる恐怖

残酷さの重みが

広島とは桁違いだと


もちろん原爆の惨状もひどく、絶対にしてはならないことだとわかるが


現代的な街並みの一角に

平和記念資料館と

原爆ドームがある


きれいな建物の中に写真と遺品の展示、映像だけでは表現が軽すぎる


原爆ドームでさえ

当時を思い出すので取り壊すかどうか論争があったなんて


残酷さや悲惨さが軽んじられていき、恐ろしさを伝える力が薄れていくのではないか


いずれ

また同じことが起きるのではないかと


私が40年前に訪れた

ハワイのアリゾナメモリアル


日本軍が真珠湾奇襲攻撃をし沈めた戦艦アリゾナがある




その真上の海上にクロスになるように慰霊碑を建て

真珠湾攻撃で戦死した米兵の名前が記してある場所だ


当時

訪れるのはアメリカ人が多く、日本人はほぼ来ない場所


たった一人の日本人

私はまわりから鋭い視線を感じた


アメリカ軍基地の中にビジターセンターがある


そこで真珠湾攻撃の記録映画を見てボートに乗り

アリゾナメモリアルで降ろしてくれる


慰霊碑の下には

戦艦アリゾナが見える


一部であっても

戦争の傷跡を残すのは

大事だと今もそう思う


でも娘の話を聞き

深く考えさせられました


広島は都会の中


アウシュヴィッツは

クラクフ(街)から

かなり離れた何もない場所


戦艦アリゾナは

アメリカ軍基地の中


戦争は繰り返さないと

誓ったはずなのに


民族や宗教

政治や文化

国民性も違う国々


世代が変わっていくと

取り巻く情勢も

変化する


挑発や威嚇を繰り返す


侵攻し戦争が

始まってしまった


日本も

いつ巻き込まれるか

わからない


難しい問題だわ


国は違っても

平和を望む人のほうが

多いはず


平和への

希望は持ちたい