最近、バルセロナで過ごしていた日常の風景が「浮かんでくる」。
バルセロナにいたときは、こっちの地元の風景が「浮かんでいた」。
思い出そうとして思い出すのではなく、浮かんできてしまう。
そんな風に浮かんでくるのは、常に「日常」のこと。
そして、「家」にまつわること。
今日本にいて浮かべるバルセロナの風景は、自分の家の周りの風景。
家の前の道とか、家から大学までの道とか。
家の中そのものが浮かんだりもする。
バルセロナにいたとき浮かんできたのも、家から駅までの、何でもない道だったりした。
あとは自分の部屋とか、自分のベッドの感触とか、そういうもの。
思い出そうとして思い出してるわけではなかったから、不思議だった。
そして、あぁこれが「家」なんだな、とも思った。
帰ってきたばかりの頃のブログを読み返していると、
「忘れたくない」とか「失いたくない」とかっていう思いが伝わってくる。
その気持ちも分かる。
でも、今こうして時が経ってみると、忘れたり失うことなんてもはや不可能なんだと思える。
あっちでの生活は、「浮かんできてしまうもの」にまでなってた。
色々な日常を経験できるっていうのはものすごく貴重。
なぜなら日常って、帰ることのできる家みたいなものだから。
それが生活っていうものなのかな。
でも、そういうかけがえのない日常をいくつも持ってると、常に同時にその全ての日常の中で生活することができなくて、とてもつらくなることがある。
今の私で言えば、逆ホームシック状態になってるのもそういうこと。
それでも、悲しいだけじゃないんだよね。
帰れる場所があるのはきっと幸せなんだと思います。
バルセロナにいたときは、こっちの地元の風景が「浮かんでいた」。
思い出そうとして思い出すのではなく、浮かんできてしまう。
そんな風に浮かんでくるのは、常に「日常」のこと。
そして、「家」にまつわること。
今日本にいて浮かべるバルセロナの風景は、自分の家の周りの風景。
家の前の道とか、家から大学までの道とか。
家の中そのものが浮かんだりもする。
バルセロナにいたとき浮かんできたのも、家から駅までの、何でもない道だったりした。
あとは自分の部屋とか、自分のベッドの感触とか、そういうもの。
思い出そうとして思い出してるわけではなかったから、不思議だった。
そして、あぁこれが「家」なんだな、とも思った。
帰ってきたばかりの頃のブログを読み返していると、
「忘れたくない」とか「失いたくない」とかっていう思いが伝わってくる。
その気持ちも分かる。
でも、今こうして時が経ってみると、忘れたり失うことなんてもはや不可能なんだと思える。
あっちでの生活は、「浮かんできてしまうもの」にまでなってた。
色々な日常を経験できるっていうのはものすごく貴重。
なぜなら日常って、帰ることのできる家みたいなものだから。
それが生活っていうものなのかな。
でも、そういうかけがえのない日常をいくつも持ってると、常に同時にその全ての日常の中で生活することができなくて、とてもつらくなることがある。
今の私で言えば、逆ホームシック状態になってるのもそういうこと。
それでも、悲しいだけじゃないんだよね。
帰れる場所があるのはきっと幸せなんだと思います。