完全に個人的なことを書きます。

でも、かなり客観的に見てるつもりです。

きっとつまらないです。

でも、自分はすごく自己顕示欲が強いんだと思います。

そして自分を分析するのが好きなんだと思います。笑

色々考えるのが好きなんだと思います。笑

なんか、みんなに知ってほしいと思ってしまう。

自分という人間を誤解して理解してほしくない。

だから自分の考えをみんなに知ってほしい。

でも、特定の誰かを意識するとすごく気が引けるけど。

だから、もしかしたら書くべきじゃないのかなぁという気持ちもあるけど。



さて、本題。

バルセロナに来る前に、少し気になっていたこと。(悩んではいません。)

それは、自分は自分自身を何人として意識するんだろう、ということ。


日本にいるときは、ほとんど見た目が変わらないのに、中身が結構違う、ということにすごい差を感じていた。

でも、こっちに来たら、見た目が全然違う人たちの中に入ることになる。

今まで感じていた差はどうなるのかな、という素朴な疑問。


結論としては、自分をより日本人だと感じるようになっています。



細かく説明する前に、自分の前提としての考えについて。

前も少し書いたけど、私は国家という存在に疑問を持っています。

出発点としては、自分がその存在のせいでたくさん悩まされたから。

なぜ誰しも国家に帰属したがるんだろう?

なんで、国家にアイデンティティを持つ人が多いんだろう?

国家と文化が同一視されてしまうのはなぜだろう?

こんな疑問を抱いてます。



こういうことを考えているので、私が日本人というときの意味は、日本で生まれ育った人間、日本の文化を共有してる人間、という意味です。

決して日本国籍を持つ人間という意味ではありません。


その意味でいうと、自分は決して韓国人ではないなと思う。

そして、自分が韓国のパスポートを持っていることは、とてもおかしなことだなと思う。



もちろん自分のルーツは韓国。

それに疑問を持つ余地はない。

だって、先祖は先祖だもん。

もう事実として先祖は韓国にいたんだもん。


けれども、同時に、なぜ自分みたいな境遇の人たちは、ルーツを保ちたがるんだろう、という疑問もあります。


ルーツがあるということと、ルーツを保つということは、全く別物。


ルーツを保ちたがる理由としては、多分、多くの人が、国家に帰属することでアイデンティティを保てると思っているから、ではないかと思う。

そしてその延長として、日本では、ルーツを異にする人を排除しているから、余計に私たちみたいな人は、自分のルーツにすがるしかない。

だから、ルーツを保とうとしてるのかな?

でも、自分の考えの立場からすると、そもそも国家の帰属意識が自分自身のアイデンティティにつながることに疑問を感じるし、日本政府が自分に日本国籍を与えないのもすごくおかしいことだと思う。

だって、正直、韓国のパスポートを持っていても、つまり、韓国の国籍、市民権を持っていても、日本に住んでいるじぶんにとっては無駄なものでしかないから。

市民権という意味では、日本の市民権こそ、持っていて意味のあるものだと思う。

その意味で、自分の持つべき国籍は、日本国籍だと思う。

一応誤解のないように補足すると、日本国籍を持ちながらも、自分のルーツを韓国や朝鮮半島に感じたければ、それは全く問題ないはず。

だって、国籍とルーツは関係ないと自分は考えているから。



一応自分は韓国語が話せるし、朝鮮半島の踊りも踊れる。


韓国語が話せるのは、自分では偶然だと思ってる。

自分で選択したわけではないから。

気づいたら話せてる感じ。

でも、より多くの言語を話せることはやっぱり得だと思う。

今現在も、韓国の子とコミュニケーションとれてるわけだし。

ただ、それでも、韓国人であることの証明として韓国語を話そう、という感じはしない。

もちろん、話せることで、ルーツを感じやすくはなるけど。

だって、少なくとも自分のルーツが韓国になければ韓国語は話せなかっただろうし。


踊りに関してはどうかというと、これも、決して、自分のルーツを証明するためにやってるものじゃないと思う。


でも、踊りに関しては少し言語とは違った気持ちがある。

自分にとって、踊りというものはかなり特別なもの。

小さいころからやってたし、人生の中で一番頑張ってきたものだし、一番自信のあるもの。

なかでも、朝鮮半島の踊りは一番。

でも、それは、サッカー選手がサッカーを誇りに思うのと同じレベルの話。

決して、自分が韓国籍を持っているからというわけではないと思う。

たとえ踊りそのものがかなりナショナルなものであっても。。

でも、自分の人生の多くを占めるある種の軸のようなものとして、踊りを考えている。

だから、自分は、世界中でサッカーがプレーされてるように、自分の大好きな踊りも世界中で踊ってほしい。

国家やら政治やらそういうものに関係なく。

そして、自分の友達にも見てほしい。

まずは自分の近くにいる、周りの人たちに認めてほしい。

だって自分にとって一番のものだから。

それがわかってもらえないとしたら、悲しすぎる。

そして、今現在あまり理解を得られていない環境だからこそ、理解してほしいという欲求も強まるんだと思う。

(そしてだからこそ自分は自己顕示欲が強いんだと思う。笑 全てにおいてではないと思うけど。)




自分の育った場所は東京であり、ビルばっかで、何でもありすぎて何もないところだけど笑、なつかしみを感じられるのは東京。

そして、同時に、自分の一番の表現方法は、踊り。

特に、朝鮮半島の。

でも、基本的に、何を踊ってても幸せ。

この二つの感情に、国籍なんて要素は関係ない。


なのに、なんでみんなは国家にそんなにこだわるの?

なんで国家のトップは、自分の国家の国益を追求しようとするの?

国家なんていう枠組みはどうして必要なの?

本当に謎です。



でも、こういうことを考えられる自分の境遇に、私は感謝もしています。

ただのほほんと暮らしているよりは、こういう内面的な葛藤があった方が、視野は広くなると思う。

何も悩んでこなかったよりは、色々なことに気づけたんじゃないかと思ってる。

だから、この複雑な環境に感謝してます。笑

だって、この環境だって完全に偶然なものだから。



そしてそんな私は明日サルサのレッスンに行ってきます。笑

やっとこっちきて初めてダンスのレッスンが受けれるので、楽しみすぎです。

多分、学校のカルチャースクール的なのだから絶対物足りないけど。笑

踊って、頭空っぽにしてきます。





補足:

いつか書きたいんだけど、こういう理由で、私は国連に対しても結構疑問を感じています。

もちろんいい活動をたくさんしているのもわかるけど、結局は国益を追求する機関でしかない。。

地位が上に行けばいくほど。

結局は、国家が集まった、国家を基準とした集まりでしかないんだよな~という感じ。

国家連合という名前の方がピッタリなんじゃないかな。笑

現に英語ではNationsの連合って言われてるわけだし。

せっかくスイスでも国連見に行ったので、いつか書きたいな・・・きっとつまらないだろうけど。笑