人間誰にでも父がいて、母がいる。
父親を知らない人はいるが父親がいない人はいないだろう。
そして同じく母親を亡くした人はいても、みんな母親から生まれてきたはず。
私にも両親がいる。…いた。
36歳にして思うこと、それは私は両親の愛情をたっぷり受けて育ったという事。
私は大学1年の時に、父を亡くした。
家族が大好きで、真面目で、何でも一生懸命こなすアボジ(父)。
私の同級生の中は人気があった。
お世辞にも男前とはいえない、そして背も高くなく、でもいつも笑顔のアボジだった。
伏見工業高校ラグビー部に所属していた父は、いつもラグビーの話を楽しそうにしてくれた。
そして母校が大会に出ると大喜びしたり…
そんな優しいアボジではあったが…私にも人並みに反抗期というのがあって…
父親という存在に対して嫌悪感を抱いていた時期があった。それがすこし長かったのかな…
でもアボジはそんな時期でも私をとても可愛がってくれた。
やりたいことをさせてくれた。
いつも励ましてくれた。
いつも見守ってくれた。
いつも見方でしてくれた。
そんなアボジが体調不良の為、検査入院をしたのは私が東京の大学に合格し京都を離れる日だった。
そしてGWに帰省したときにオモニ(母)から聞かされたのは、アボジが末期がんであること、そしてもって半年だということ。
その現実を受け入れられず、私は帰りの新幹線の中で泣いて泣いた。
でも現実が変わることはなかった。
それから3ヵ月後、アボジは帰らぬ人となった。47歳だった。
あれから18年の月日が経ち、私は嫁ぎ二人の子供の親となった。
そして妹も嫁ぎ、二人の子を授かった。
オモニも頑張って生きている。
子供たちは夜空を見ながら、一番キレイに輝いている星を見つけては「ハルベ(おじいちゃん)や!」という。
そして星に語りかける。
もしアボジが孫達を見ることができたら…きっと溺愛したに違いない。
息子が欲しかったアボジはきっとウチの息子を連れて色んなところに出かけただろう。
そして孫の中で唯一の女の子であるウチの娘の指定席はきっとアボジのひざの上だったであろう。
アボジの思い出話をするときりがない。
でも今を生きる私は、アボジが亡くなった後、娘二人を大学に行かせ、嫁がせてくれたオモニを大事にしないといけない。思ってはいるがなかなか…難しい。
母と娘。仲がいいがケンカもする。
そんなオモニの体調が良くない。
早朝から夜遅くまで働くオモニ。一時期からすると10kg程痩せた。
小さくなったオモニを見ると涙が出る。
妹の家にオモニが住むようになり、妹にまかせっきり。
一人暮らしをしていた時は、心配で家に行ったり、電話で話したりした。妹がいるから大丈夫であろうーと思ってかれこれ3週間あってない。
空からいつも私達を見守ってくれているアボジは怒ってるんだろうね。
今からでも遅くないかな。アボジに出来なかった親孝行、オモニにしないと。
今日はオモニが好きな生レバーを買って、妹の家に行ってみよう。