「新十四日派」は2世紀の小アジアに存在した唯一1世紀のキリストの教えを継承した「十四日派」を通して本来のキリスト教の再興をめざすものです。
その十四日というのはイエスが亡くなられたその日の早い時間に行われた「主の晩餐」を記念する
ニサン十四日に由来するものです。
というのは「主の晩餐」を十四日に行なっていたのは、主に「十四日派」だったので、そう呼ばれていた訳です。
そもそも、イスラエル民族がエジプトを脱出したのはニサン十四日であり、その日、全ての家の長子の命を奪うみ使いが戸柱に付けられた子羊の血によってその家を過ぎ越したことを記念して、年に一度イスラエル民族が過ぎ越しのまつりを行なっていたのですから、過ぎ越しはニサン十四日なのです。
この時の子羊の血がイエスの血を表しており、イエスは弟子たちと過ぎ越しをともに祝われたのちに「主の晩餐」を制定なさいましたから、「主の晩餐」もニサン十四日に行なうのが当然です。
出エジプトの時、子羊の血によって長子の命が救われた訳ですが、イエスの犠牲も長子の救いが関係していました。
イエスによって救われた長子とは誰のことでしょうか。
イエスが収税人ザアカイに宿を求めた時、感銘を受けたザアカイが一晩のうちにイエスを受け入れて信仰を表しましたが、この時イエスは次のように言われました。
「今日、この家に救いが来た。この者もまたアブラハムの子であるのだから。人の子は失われたものを探し出し、これを救うために来たのだ」。
(ルカ19:9-10)
収税人の長としてザアカイは金持ちではあったものの、ローマへの税金を悪辣な仕方で集めており、当時のユダヤ人社会では娼婦と同様に看做され、世間から相手にされない存在でした。
それでもイエスはそんなザアカイの中に良いものを見い出されていました。ほかにも、18年もの間病のために身をまっすぐに伸ばすことのできない女を癒されて、「アブラハムの娘」と呼んでおられます。(アブラハムの娘)
また、イエスの衣の房べりにそっと触れて12年もの間苦しんだ流出を癒された女にも「娘よ」と呼びかけて、この時も「アブラハムの娘」という意味が込められていると思われます。(ルカ8:48)
使徒となったマタイも収税人でしたが、イエスが「失われたものを尋ね求め」られたというのはアブラハムの胤として失われていた人々を集められたということなのでしょう。
本来イスラエルの中から集められる「アブラハムの胤」ですが、最も相応しいものであるはずの宗教指導者たちが、神から遣わされたイエスを認めず、それどころか罪に陥れようとし、殺す機会を狙っているという有様でした。
一方、宗教指導者たちから蔑まれていた人々を、羊飼いのいない羊の様だと哀れみを覚えられ、多くのことを教えられました。そしてそのような人々の中に「アブラハムの胤」となる人々を見出されたのです。
「アブラハムの胤」とは、まさしくキリストと共に王また祭司として天で支配するという類稀な特権を得る人々です。
「アブラハム契約」は「あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう」というものですから、「アブラハムの胤」である王また祭司を通して「地のすべての国の民」は「自らを祝福する」のです。
ですから、ほとんどのキリスト教会が教えているように、善人は死んだら天国に行くという訳では無いのです。
その点ではエホバの証人が、天に行く人々と地上で生きる人々がいると教えているのは正しいでしょう。
それでイエスはまず、ご自分とともに天で神の王国を構成する人々を集めておられたのです。晩餐を終えた後、イエスは使徒たちに次のように述べておられることからも分かります。
「わたしの父の家には住むところがたくさんあります。そうでなかったなら,わたしはあなた方に告げたことでしょう。わたしはあなた方のために場所を準備しに行こうとしているのですから」。(ヨハネ14:2)
また、パウロもヘブライ人への手紙の中で、「あなた方は………天に登録されている初子たちの会衆」(ヘブライ12:22、23)と述べています。
子羊の血が長子の命を救ったように、キリストの血もまず人類の中から最初に救われる人々に適用されるのです。もちろんキリストの犠牲は彼らだけに適用される訳ではありません。
「彼はわたしたちの罪のためのなだめの犠牲です。ただし,わたしたちの[罪]のためだけではなく,全世界の[罪]のためでもあります」。(ヨハネ第一2:2)
さて、今年の「主の晩餐」ですが、ユダヤ暦ニサン14日、私たち「新十四日派」は4月21日に行ないます。
ユダヤ暦は太陰太陽暦で、春分の日を過ぎた最初の新月を教暦1月にあたるニサン1日とします。
今年の春分の日は3月20日ですが、その後の最初の新月は4月9日になっています。それで4月9日がニサン1日になりますから、ニサン14日は4月22日になります。
しかし、私たちの暦では午前0時から日付けが変わりますが、ユダヤでは日没から1日が始まります。それで4月22日はユダヤではまだ4月21日なのです。
ユダヤ人の国際機関Chabad.orgによりますと過ぎ越しは4月22日となっているのですが、イエスの時代と同じくユダヤ人は過ぎ越しをニサン15日(4月22日)に行なっているのです。
イエスの時代、ニサン14日は過ぎ越しの「準備の日」となっており、イエスを殺そうとする人たちは「祭りの時はいけない。民の間に騒動が起きないようにするためだ」(マタイ26:5)とその前日のうちに、イエスの殺害を終わらせたのです。
以前のブログでも書きましたが、聖書そのものに混乱を招く記述があって、イエスの時代には、過ぎ越しをニサン14日とする意見と、15日とする意見があったのです。
イエスは過ぎ越しをニサン14日に行なっておられますし、「主の晩餐」を制定されたのもニサン14日なのです。
ですからイスラエルがエジプトを脱出したのも、イエスが「主の晩餐」を制定され、亡くなられたのも同じくニサン14日なのです。
若き日にイエスとともに「主の晩餐」にあずかった使徒ヨハネの影響下にあった小アジアであったが故に、ニサン14日を守っていたのであり、それゆえに小アジアのキリスト教徒が「十四日派」と呼ばれていたのです。
実はエホバの証人も唯一の宗教儀式として「主の晩餐」を非常に重視しており、年に一度ユダヤ暦ニサン14日に行なっています。しかし、今年その日付けは3月24日となっています。
エホバの証人はニサンの月を春分の日に一番近い新月としているので、一番近いのは春分の日の前の3月10日なのでその日をニサン1日としてニサン14日を3月24日としているのでしょう。
「新十四日派」も、記念として行なうようキリストが命じられた唯一の儀式であり、その名前の由来ともなっているニサン14日に行なわれた「主の晩餐」を守り行なって行きたいと思っています。
しかしそれだけを重視している訳ではありません。キリスト教が様々に変質していく中で、唯一キリストの教えを継承していた小アジアの「十四日派」を通して真のキリスト教を探究していくことが目的なのです。
付記 ユダヤ暦は太陰太陽暦ですが、閏年といって19年に7回の頻度で13番目の月があり、
政暦の6番目の月(アダル)の後、ニサンの前に入ります。(ベアダル) ユダヤでは教暦と
政暦の二種類の暦がありますが、通常政暦が用いられています。今年は閏年にあたるので
ニサンが遅くなっているようです。
詳しくは下記を参照してください。