私にとって「美」とはもう
絶対的に内的体験で、

 

目に見えるものから
呼び起こされることもあるけれど、

 

何にもなくてもそれはいつだって、
ここにあるもので、

 

自分や他人や世界を構成している源であり、
最小単位だと信じている。

 

 

私が「美」とするものは、

 

「これが美しい物だ」

 

「私は美しいでしょ?」

 

「今美しい状態です、私」

 

みたいなものの中に、
確かにみつけやすかったりすることも、
あるのだけれど、

 

(かえってみつけにくいことも)

 

実際にはそういう主張のようなものから
自由であることで、
体感できるものだ。

 

 

世界に溢れている美しいはずのものは、
醜いものとの対極に存在しているものも多く、

 

醜いものを嫌ったり、
こうでなければ美しくない、
という精神から来ており、

 

それは「美」と呼ぶには、
あまりに「私」が入りすぎている。

 

 

それがモノだとしても。

 

 

それは確かに、「美」の
一端を表していないとは云わないが。

 

 

そしてホンモノの「美」にはいつだって、
それらすべてが含まれているんだ。

 

 

色や形、音、それから
個人的な記憶から来る内的物語の体感や

 

「特別な」何かや誰かである
必要性を超えて、

 

それはいつもそこにある。

 

 

「私」はそのことに圧倒されそうになっては、
ただそれこそが己と世界の真実だ
と云うことを思い出す。









 

 

 

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