あまりに強烈な

 

「自分」

 

と云うものを持て余していた若き日。

 

 

いや、ほんの最近までそうだったかも知れない。

 

 

いつの間にか

「自分が、自分が」

というナルシシズムが減って行き、

他の人の才能や成功を、

勝手に、心から喜べるようになった自分がうれしい。

 

 

自分や家族、友達は当たり前でも、

たまたま知り合った人や、

見知らぬ人はどうだろう。

 

 

そう。

 

 

家族とまでは云わなくても、

親戚かのように、

赤の他人の幸せが

自分にとって大切に感じられるのだ。

 

 

少なくてもその時間が格段に増えた。

 

 

以前は同じような共感の力を、

世界の痛みに焦点をあて、

それを自分の痛みのように感じ、

機能不全になりそうになった時期もあった。

 

 

今は痛みがあるのを

見て、

感じて、

それを含みながらも、

愛や慈悲と呼べるかも知れない質を

ハートに感じながら、

ともにいられるようになった。

 

 

その場所では

みんなすべてが美しい。

 

 

美しすぎるほどに、美しい。

 

 

ときに「記憶」という、

実際あったかどうかもわからない

蓄積された情報に左右されて、

また自分と外を分けては、

悔しがったり、

怒ったりする日もあるだろう。

 

 

それでも、あなたと私の間のへだたりが、

幻みたいなもんだと云うことを、

私は深いところで知っている。

 

 

それでも、

それでも、

 

私は私を精一杯生きる。

 

 

私は私をやる。

 

 

演る(やる)。

 

 

私はだんたん

私と言う役を演じる、

うまい役者になってきた。

 

 

別の言い方をするとそれは、

 

演じることをやめた、

 

ということ。

 

 

役そのものを生きる、

ということを掴んだと言うこと。

 

 

それでいていつだって、

それは「役」にすぎないことを

知っているということ。`

 

 

2014年7月30日Facebook投稿より

 

 

 

 

スピリチュアルな仕事でプロフェッショナルに

なりたい方は
 

スピリチュアル・プロフェッショナル養成コース 第7期 

詳細はこちらをご覧ください。

 

 

 

 

LINEでつながりましょう!

こちらでは書かないことも書いています。

 

 


できなかった方は 

@somihongo で検索してくださいね。

@を忘れずにどうぞ

 

 

 

「自分らしく豊かに生きる」 


ヒントなどをメルマガでシェアしています!