女のあそこは未完成 | 牧童の溜息

女のあそこは未完成

♪花の形も
 いろいろあるが
 見れば見るほど
 奇異なもの

女のあそこの形は様々ではあるが、いずれにせよ造形的に美しいとは言えない。美人であれ、ブスであれ、やはりあそこの形は奇異なものである。
造形の神が男を作り、次に女を作ったが胸や尻を大きくしたため材料が足らなくなり、股の間の肉を取りあえずギュッと握り寄せた。つまり女のあそこは造形的には未完の失敗作なのだという話がある。
この話を聞いた時、僕は思わず納得してしまった。
造形的には女のほうが男より美しく創られていても、あそこだけが失敗作だから、裸になっても隠れているのだろう。

ストリップ劇場のかぶりつきには常連のじいさま達が陣取り、踊り子の股に顔を近付けるようにして覗き込んでいる。実に嬉しそうな、幸せそうな顔をしている。踊り子たちは観客に拍手を強制し、大きな拍手がするほうに股を広げる。僕は恥ずかしいとか、馬鹿馬鹿しいな、哀しいななどの雑念に惑わされながらも、やはり拍手する。僕だって見たいからだ。

この年まで生きてきたら、女のあの部分などは今さら珍しくはないのだが、それでもいつも見たくて見たくてしかたがない。
なぜなんだろう。
母胎回帰願望だという説もあるが、もしそうなら女同士でももっと見せ合うだろう。
覗き願望が男だけに強いとすれば、あそこを見るという行為が種族維持のための本能的性行為の中に組み込まれていることになる。男は見たがり、女も本能的には見せたがっているはずなのだ。

ねぇ、貴女だって見せたいんでしょう?本当は。
もし見せたがるのが女の本能ならば、見せたいという本能を、見せたくないという意識へと人間社会は変化させてきたことになる。
もし母胎保護を含め、見せたくないというのが女の本能ならば、見せたくないものを強引に見ようとする男たちによる強・姦が本能的な行為だということになる。