相変わらず、どこだかわからない写真を量産していて、進歩がありません。しかしながら、私にとっては円覚寺の写真なんです。
想像力を駆使してご覧になってください(笑)
すみません、画像が多めです。よろしければお付き合いくださいませ。
円覚寺を訪れたのは、この日が2度目。初めて円覚寺を訪れたのも、真夏の暑い日だったっけ・・・・・
炎天下、蝉時雨、熱い風、木々のざわめき・・・あの日と同じ・・・・・・・
円覚寺に初めて来たとき一緒だったKさんは、円覚寺の座禅修行をしたことがある人。
高校時代、夏休みに修行をしたとのこと。県下一の進学校に通っていたKさんは、何を想って円覚寺の門を叩いたんだろう・・・・・
Kさんは、「夜の暗闇の中、外のあちらこちらに座禅を組んだ修行僧を見た」と言っていました。
現在は高校生は3日間の修行ですが、当時は1週間だったとのこと。1週間の修行、どういう感じなんだろう・・・
悟りを開くと言うけれど、具体的に私にはわからない。漠然と感じるものはあっても。
己の道を模索し、単純に言えば自分を高めることなのかしら・・・
普段の生活の中ではありとあらゆるものに囲まれていて、言わば煩悩と無縁に暮らしているわけではない。ここでは無になれるのかしら・・・
禅修行によって、何を得られるんだろう・・・
歩きながら、たくさんの何故?が溢れてきました。
「修行最終日には、僧侶が『痛かったろう。悪かったなぁ。』って言った。」
・・・座禅を組んでいる途中で、ぱーんっと叩かれるあれね。それは、痛いだろうなぁ。

一番こころに残った言葉があります。
「叩く方も、修行なんだよ。」
Kさんは、何を感じ、何を想って、何を得たんだろう・・・・・
Kさんは、細かいことは話しませんでした。特に、その当時の自分のことはほとんど。
進学校ならではの辛さがあったのかもしれない。
辛いとは一言も言わなかったけれど、たぶん辛かったのだろう・・・そう思う。
ここで、自己を内省し自己を確立するために、禅修行をしたのかも・・・たぶん、そう。
このブログをたぶん読むであろうKさん、勝手なこと言ってるなぁ~って言うだろうな(笑)
(私信・Kさんへ 苦情は受け付けませんよ(笑)どうぞお手柔らかにね)
この日、一緒に行った人にKさんの話をしてみました。
すると、「修行、してみたいな・・・」と言いました。
何を感じたんだろう。(私信・Sさんへ 後で教えて)
最後の写真は、モノクロではありません。帰り際に通った道に、木漏れ日が「円」を描いていたのです。わかりますか?幾重もの円・・・・
つかもうとしても、つかめない
つかめそうで、つかめない・・・私の何故
ここでは修行をされた方々が、私がつかめない「何か」をつかんで、ここを去っていくのかもしれない
無知で未熟な私は、何故?の答えは見つからないまま、円覚寺を後にしました。
長い記事にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。












