教会に居ると穏やかな気持ちになります。
ミッション系の幼稚園に通っていたからかもしれません。幼児期の体験は、後に大きな影響を与えるものですから。
幼稚園では、朝からお帰りの時間まで讃美歌を唄いました。童謡を唄った覚えは、ほとんどありません。
お祈りに始まり、お祈りに終わる。
それが普通だと思っていました。
親戚の女の子が我が家に遊びに来た時、幼稚園ごっこをしました。
私が先生役をした時に、先生の真似をしてお祈りをしたんですね。そうしたら、親戚の子が目をまん丸くして驚いた顔になったのを、今でもはっきりと覚えています。
私も驚きました(笑) だって、幼稚園はお祈りするところだと思っていたんですからね。
その後、幼稚園ごっこはどうなったのかは覚えていません。どうなったんだろう・・・ああ、知りたいな。
でも記憶を辿っても思い出せません。
クリスチャンの先生から、神様のお話を毎日聞きました。
目に見えない偉大なる存在。
幼い私にとっては、目に見えない存在と言うのはオバケと同じで恐かったわけです(笑)
先生は、目を閉じると見えるとおっしゃっていました。目を閉じても見えないよ。私が変なのかな・・・なんて思ったりなんかしてね。
多感な思春期の頃、思い悩むと教会に行きました。私が通っていた幼稚園の教会にです。
でも、辺りをぐるりと歩くだけで、中に入ることはありませんでした。
負の感情を持ったまま、幼いころの大切な思い出の場所に入ることができなかったのです。
楽しかった思い出を「そのまま」を残しておきたいと、思春期の私は思ったのでした。
今、思うと、先生に会ってお話ししてくればよかったじゃないか・・・って図々しく思うけど、当時の私は奥ゆかしい子だったのですねぇ(笑)
ここまで書いてみて改めて感じたのですが、教会は私の大切な思い出の宝箱なのだと思います。
扉を開けると、きらきらと輝く宝ものがたくさんあるのだと。そう思います。
クリスチャンではないけれど、教会に行ったら祈りを捧げます。
「てんにいらっしゃるだいすきなかみさま・・・」から始まり、「・・・イエスさまのおなまえをとおしておささげいたします。アーメン。」
幼稚園の時のままのお祈りの仕方で。









