引越ししまくり和夫の引越し&賃貸物件体験談

国内でいろいろなところに移り住むのもいいですが、海外の好きなところに住んでみたいですね。

 

夢ですが。

例えば、アジアのどこかの国へ行って、現地の中古住宅かなんかに住んだら、どうなんでしょう。

それにはまず、資金が要りますね。

それと、海外に行っても仕事しなくていいとか、あるいは海外でもできる仕事をする。

インターネットビジネスの塾を開いている石田健さんという人がいますが、この人は以前シンガポールに移住していましたね。

その当時から、ビジネスで成功した人がよく海外に移住していて、シンガポールが特に人気があったように記憶しています。

なぜシンガポールかというと、税金が安かったり、街がきれいだったり、住みやすいのかもしれません。

しかしこの石田健さんは、3年程度住んだあとに日本に戻ってきました。

そして、最近もまたインターネットビジネスの塾「石田塾」を開いていて、盛況なようです。

ここまで来ると、お金の心配がないでしょうから、世界中どこへ行っても不自由なく生活できるのでしょうね。

ところでこの石田健さん、意外と素朴な人のようです。

このサイトに書いてありますが、大胆でもあり繊細でもある、気が遠くなるほど稼いでいるのに庶民的な金銭感覚を失くさない、とあります。

石田塾11期を迷っている人へ。塾長の石田健さんとはこんな人です。

これが本当なら、実はお金持ち(というかすごく稼いだ人)というのは、以外にも謙虚でまじめな人が多いんでしょうか?

僕の知り合いにはそういった大物はいないので(笑)、こういうサイトを見るしかありませんが。

しかし、パソコン一つでビジネスできるなら、ちょっと見てみようかな。

まずは塾の受講料が払えるかどうか、検討する必要がありますが(笑)
 

愛媛県今治市の松山刑務所大井造船作業場から受刑者の男が脱走した事件がありました。

 

延べ1万人以上の捜査員を動員し捜索しているにもかかわらず、4月22日現在、まだ見つかっていないようです。

千軒以上あるとされる空き家に潜伏している可能性もあるということです。

 

それほどの空き家があることが脅威ですが、日本全国、空き家や持ち主のわからない土地などが増えていることから、この事件の状況は、日本の高齢化、土地・建物の問題を浮き彫りにしているのかもしれませんね。

 

さて、管理人の70代の大家さん(おじいさん)の話です。

先に、70代のおじいさんと書きましたが、今思い出してみると80代だったかも知れません。


とにかく、ヨボヨボでした。

2階に3畳が3世帯あった(!)このボロアパートの1階に、この大家さんは住んでいました。


いや、本当に住んでいたんです。

昔の下宿みたいですよね。
(あ、今の若い人は知らないか)

昔の下宿というのは、さすがに私も実際に住んだことは無いですが、大家さんか管理人さんがアパート内に住んでいて、住人である学生たちにまかないを作って食べさせていた所もあるような、大家さんがある程度住人の世話係でもあったような世界です(と聞いています)。

つまり、下宿の大家さんと住人たちが、今で言う相撲部屋のお上さんと弟子たちのようなイメージでしょうか。

話を戻すと、ウチのボロアパートでは、大家さんの娘が不動産屋で、仲介業をしていました。

 


そして大家の爺さんが管理人の実務をして、「通い帳」と呼ぶハンコを押すための帳面を支給してくれて、家賃を手渡しで払うとハンコを押してくれる、というシステムでした。

支払日近くになると、住人は率先しておじいさんのところへ払いに行くか、なかなか住人が払いに来ないときには、帰ってきた住人を玄関で捕まえて、「通い帳をお願いします(=家賃を払ってください)」と声をかけるのです。

いやあ、レトロな昭和的な風景ですよね。

このおじいさん、あるとき何かの病気で入院して、そのままアパートには帰ってこなかったので、もしかしたら亡くなったのかも知れません。

しかし、今思うと最後まで「ボケていなかった」んです。
大家の仕事をしていて、ある程度気を張っていたからでしょうか。

いまどきは70代(いや早ければ60代)になると、認知症の心配が出てきて、なるべく予防するようにしますよね。

当時はあまり聞かなかったですが、今ではいろいろな方法論があって

 

 

ボケないように気をつけている人が多いと思います。

このアパートのおじいさんの場合には、時には屋根に上って猫の臭いウンコを掃除したり、大家業に大わらわでした。
 

だからきっと、認知症になどなるヒマもなかったのかも。

思えば、理想的な年の取り方、幕引きの仕方、だと思います。

私も是非そんなおじいさんになりたいです。

クーラーがない、扇風機だけで夏をすごす。

これはどういうことか説明しましょう。

まずその三畳の部屋には、もともとエアコンなどなかったのです。
古い木造で押入れが1間(!)あるにもかかわらず、台所は小さな流しと1口コンロが一つ置けるスペースだけ。
それが全てです。

 



木の床の廊下から入る部屋の入り口は引き戸で、いまどきはほとんど見かけない、例えば体育館の古い倉庫をあけるときのような、棒状の鍵でした。
こんな鍵


窓はもちろんサッシではなく、木の枠と模様のついたガラスで、キュルキュルと手で閉める鍵。
こんなやつです。

こんな鍵たちの部屋なので、冬は隙間風が入り、夏は風通しが悪くて超暑い部屋です。


扇風機だけがあるんですが、もちろんナマあったかい空気をかき回しているだけで、しかも風が当たるところしか涼しくありません。
それでも、扇風機がなければいられないですが。

つまり、汗だくの部屋ということです。

徒歩1分のところに銭湯があったので、1日おきぐらいには入っていたんですが、夏場は「いつ風呂に入るか」が非常に重要です。

というのも、風呂から帰って来ると部屋が暑くてすぐに汗だくになるので(笑)、なるべく寝る前か、涼しくなった時間帯に行くことになります。

その頃、暑い夏に一番便利だったのが、コンビニエンスストアーです。
 

私は、買い物の便利さとは別に、「クーラー」があるためにコンビニに行っていたので、「便利な空調」を借りていた、ということになるでしょう。
 

意味もなく立ち読みをして、涼しくなるまでそこに居て、出てきます。

 



出て来るとまた外は暑いので、少し歩いて別なコンビニに入ります。
いうなれば、コンビニジプシーといったところでしょうか。

あ、これ冬も同じですよ。

また後で書きますが、冬は冬でやはりエアコンがなくて寒く、親戚からもらった小さな電気ストーブだけで過ごしました。
 

従って、冬もコンビニジプシーとして暖を取りながらコンビニを転々として過ごしたのでした。

これって、せっかく部屋があるのに、ホームレスと同じですよね。。。

三畳一間とはどういうものか。

みなさんはきっと、三畳の部屋を見たことがない人が多いでしょう。


四畳半は知っているけど三畳は知らない。

 

そんな人が多いのではないでしょうか。

 

まず大きさから言うと、「布団を敷いたらそれでいっぱい」な部屋です。

 

 

正確には、小さなちゃぶ台ぐらいのスペースは残るので、無理して敷けば布団は2枚敷けるかもしれません(半分重ねて)。

 

言い方を変えると、部屋いっぱいに布団が敷かれている状態。
そして、全てにと手が届く状態、です。

 

私にとっては妙に心地よい空間でした。

 

その三畳の部屋に当時あったのものはというと、

  • 冷蔵庫(!)
  • ちゃぶ台
  • (流しの横に)食器の水切り籠
  • 壁にハンガー掛けされた上着

・・・ぐらいです。

 

そのほかのもの、

  • ふとん
  • 着替え
  • バッグや小さな道具

などは全て、1間の押入れに入れられていました。
 

つまり、部屋の大きさの割りに収納が大きくて、ゆとりがあるのです。

 

ゆとりがある・・・?
 

いや、それだけ生活道具が少なかったということですね。

 

ところでこの冷蔵庫
 

一応製氷コーナーがあり、一人暮らしであれば2~3食分の食材は入れられます。

この冷蔵庫は、近所の古道具屋で3,500円で購入しました。
 

3,500円!

 

いまどき、家族3人でファミレスに行って食事したら、3,500円よりももっとかかりますよ。

 

この冷蔵庫で、私は7年間過ごしました。
マメに自炊もしたし、彼女と半同棲の生活(!)をしたこともあります。

いやマジで、青春時代ですわ。
 

歩いて数分のところに神田川も流れていたので、ホント、かぐや姫の「神田川」の世界ですわ。
(知ってますか?)

 

 

そしてアパートのすぐ裏、徒歩数十秒のところに銭湯もあった!
 

銭湯で体を洗って三畳一間の部屋に帰る、という生活を堪能していました。

堪能というのは、私はそういう生活にあこがれていたのかもしれません。

 

しかし、この生活に一つ大きな問題がありました(当時は問題とは思ってませんでしたが)。


それは何か。

 

クーラーがなかったのです。

 

ああ、クーラーがない。
 

つまり、扇風機だけで夏をすごすわけです。

これがどういう生活か、次回をお楽しみに。。。

古いアパートに住んでいたころの話をします。

当時三畳一間の古い古いアパートの部屋でした。
おそらく、築40年ぐらいじゃないかと思います。

おおよそどういう感じのアパートかと言うと・・・

70代の大家さん(おじいさん)が一人で管理しています。
正確には、その娘が不動産屋で、仲介は娘がやっているのですが、オーナーはおじいさんです。
 


おじいさんは一人暮らしで、そのアパートの一階に住んでて、たまに鉢合わせして挨拶します。
ときおり近所のおばあさんがご飯を作ったり、世話をしに来てくれているようでした。
どういう仲か知りませんが、なにやら仲むつまじい二人ではありました(笑)。

そのおじいさんに月一度、家賃を手渡しで払います(笑)。
そして、「通い帳」と呼ばれていた家賃の支払を記入する帳面にハンコを押してもらいます。

この風景が既にすごいですよね!
私も、書きながら笑いがこみ上げてきました(笑)。
大家さんに対面で支払をすること、これって今でもあるのでしょうか?
このアパートを越した後は、私の場合、家賃の支払は銀行振込みばかりだったので、大家さんに合うなんてこともいっさいありませんでした。

さてアパートですが、当然ながら木造です。
アパートの前の狭い路地は砂利道で、人が歩く幅しかありません。
小さな木戸をくぐってアパートに入ります。

アパートに入ると、湿った木と生活臭が入り混じったにおいがします。
木造アパートに住んだことがある人ならわかるでしょうが、独特の、しっとりとしたにおいで、実は私はこのにおい、嫌いではありませんでした。

というのも、思い起こしてみると、私が2歳ぐらいまで、私の家族はある古いアパートに住んでいました。
そこは薄ぐらい廊下に裸電球があるようなアパートで、歩くと廊下がミシミシ音がして、やはり湿った木のにおいがしました。
そんなところにいたせいか、私にとってはどこか、安心感のあるにおいなのかもしれません。
 


さて三畳のアパートの話です。
そのアパートには、私の部屋を入れて二階に三部屋あり、それが全て賃貸の部屋でした。
後で知ったのですが、全部三畳でした!

そして、そこでの生活とは・・・

続く

皆さんは、引越し何回しましたか?

 

すみません、突然ですが自分では引越し回数が多いと思っている、一人暮らしの長かった男(45歳)和夫です。
 

今は東京都世田谷区砧に住んでいるのですが、これまでの僕の引越し履歴は以下のとおりです。

 

●実家(神奈川県横浜市)

●東京都中野区本町

(車で10分程度の移動)

●東京都中野区本町

(車で20分程度の移動)

●東京都中野区弥生町

(車で20分程度の移動) 

●東京都中野区弥生町

●東京都世田谷区桜ヶ丘

●東京都世田谷区喜多見

●東京都世田谷区祖師谷

●東京都世田谷区砧 ←イマココ

 

いやあ、書き出してみるとすごいですわ!
(すごくないですか?)
実家を出てから、計8回引っ越してますわ!

 

 

まず思うのは、「引越し代がもったいない!」ということ。
いやほんとに。
 

引越し屋さんに頼むかどうか、という選択肢がありますが、例え頼まなかったとしても

・敷金
・礼金
これがあります。
 

部屋代にもよりますが、これまでムチャクチャ不動産屋と大家さんにお金を落としてきた!と言えます。

 

また特徴的なのは、近いころをチョコチョコ動いてることです。
 

例えば、埼玉から東京へとか、東京から千葉へ、などの動きと比べて、中野区内の動きや世田谷区内の動きで、しかも車で10分や20分程度の「ほぼ動いていないジャン!」という程度の距離移動。
 

何でこんなに近場を引越ししまくっているのか?

引っ越した意味あんの?!
そう言いたいですよね。

 

はい、しかしそれぞれの引越しにはちゃんと理由があるのです。
追って説明します。

 

まずざっくり言えば、以下のようなきっかけがあったかな。

(1)それまでより収入(給料)が増えて少し広い部屋へ移動できたこと
(2)「風呂無し」から「風呂有りへ」移動したこと
(3)結婚したこと

※(3)以降でも3回引っ越しているので、やっぱ多いですわ(汗)!

 

 

私は自営業者で、主に家で仕事しています。


いわゆるIT関係ってやつですが、いわゆる「IT土方」とも言えます。
毎日PCに向かって極度の運動不足、肩がこって仕方なく、夜は必ず寝付けの一杯が欠かせません。
 

カラダに悪いことしてますって感じの毎日です。

あ、一日中座り仕事って言うのは、「タバコよりカラダに悪い」とも言えるようですよ。
 

ともあれ、これから私の引越し談義を投稿していきますので、お楽しみに!

怖い話もでできます(心霊ではありませんが)。