※六条院・女楽(「若菜・下」巻)

「絶対忘れられない本」「孤島に持っていきたい本」てなんだろう。

たとえば「ハリー・ポッター」シリーズや「不思議の国のアリス」かもしれない。

そうでなければ、おそらくこの本だ。



谷崎潤一郎訳「源氏物語」。

小学生の頃、一番ハマった本だった。

「紫の上」と「源氏」の「三日夜の餅」絡みのシーンの意味がわからなくて、祖母を困らせたのがなつかしい。

大人になると、「源氏物語」は「現代の時勢に合わない」と思うようになり、思い出さないようになった。

「現代社会」と「平安時代の貴族社会」の価値観が違いすぎて、「あの世界」にハマれなくなってしまったのだ。

そのまま歳月が過ぎ、「いいおとな」といってよい年齢になった。

そしていま、再び、「あの世界」にハマっている。

「源氏物語」では、平安時代の貴族の生き方や価値観が、それこそ「現代の純文学」なみのリアルさで描かれている。

じっくり読めば、「あの世界」のなかで生きているように「錯覚」してしまうくらい、紫式部の筆力は克明だ。

「現代社会」のなかで自分が生き抜くための、「力」や「気力」が不足しているときに「源氏物語」にハマるのだったら、それはある種の「現実逃避」的行為にもなりうる。

やはり、あまりにも現代の「価値観」や「生き方」と違うすぎる「雅な世界」がそこにある。

そこに飛び込んでしまったとしても、何も吸い上げずに「現代社会」に戻ってくることもありうる。

でも、たとえば「自己研究」を進め、「現代社会」のなかで「自分らしさ」を表現する手段(「踊り」に基づく「対人能力」の幅など)をある程度「身に付けた」うえで、また「あの世界」に触れてみるのであればどうだろう。

「あの世界」では、「直接的にものをいう」「感情的になって思いのたけを述べまくる」「ずけずけぎすぎすと振る舞う」「すぐに考えを”理論”的にまとめてしまい、その”理論”をいろんな人に理解してもらいたがる」「強く自己主張してばかりいる」といったことは、「下賤のもの」の態度として軽蔑されるところだ。

平安時代の貴族たちは、常に「あいまいに」「あるかなきかくらいに」「はかなく」「遠まわしに」「配慮や気配りをしながら」「優しく心にくく」「ものに紛らわせて」「和歌や中国の故事文献などを引用しつつ」自分の気持ちを伝える。

そうした「奥ゆかしさ」を持ち合わせていればいるほど、「高雅な」「教養ある」人物とみなされ、敬意や憧れを集めるのだ。

現代は、「ジェンダー」の揺らぎがより肯定されるようになってきた、「ユニセックス」の時代。

男性であれ女性であれ、「”自分”を主張してよい」「ハッキリとものを言ってよい」社会になっている。

「タカラジェンヌの男役」のように、「男性」ばりのカッコよさでもってハキハキキッパリと行動し、同性からも共感を集め、成功できる女性もいるだろう。

むかしは、そんなカッコいい現代的な「女性」像に憧れ、自分も胸を張って闊歩したいと思ったこともある。

しかし、「自己研究」を積んだところ、自分の「人柄」や「キャラ」は、「タカラジェンヌの男役」とは少し違うようなのだった。

むしろ自分は、古典的な「女らしさ」を身に付けて、かわいらしく愛嬌をもって相手を立てるやり方を学んだほうが、より多くの人に喜ばれる存在になれる、そんな「キャラ」なのだ。

自分の「キャラ」に合わないものを目指したりすると、必ず「失敗」する。

自分に「合った」ものを目指し努力したときこそ、よりよい「自分」になる道が開ける。

そして、そんな考えをもったところで、もう一度「源氏物語」にハマってみる。

すると、当時の高雅な貴族の女性たちの「価値観」が、すごく「品があり」「美しい」生き方に思えてくる。

「ハッキリものを言わない」「可憐で品がある」「四季折々の自然の移り変わりや美しさに敏感な」女性たち。

そんな女性たちと同じような「価値観」を身に付けたほうが、自分の「キャラ」に合った、より「美しい」生き方ができるのかもしれない。

「容姿の美しさや、立ち居振舞いの優雅さ・可憐さには、常に気を付ける」

「広く和歌を知っていることと、さっとすぐに和歌を詠めること、また筆跡が美しいことも大事」

「季節の移り変わりや自然の美には敏感で、深く感じる心がある」

「箏の琴や和琴、琵琶などの楽器を、折に触れて美しく演奏できる」

「美しい香りを、自分のために調合できる」

「センスある贈り物や行事の引き出物などの手配、また染物や衣装の手配などもできるとなおよい」

だけど、

「ぼやっとしか、ものは考えないようにする」

「考えごとを、論理的にまとめようとしたりはしない」

「ぼやっとしか、自分の考えを人に伝えようとはしない」

こうした生き方のできる女性の方が、「源氏物語」の時代には「人望」があり、

女房たちや公達たちからも「奥ゆかしい」と評価されて、憧憬を集める存在だった。

女性が闊歩するようになってきたと言われる現代でも、

「自分の考えを、妙に論理的にまとめたくなる困ったクセがある」

「自分の考えが自分なりの理論としてまとまると、それを人にも伝えたり理解してもらいたくなる」

「自己主張が強くなり、こだわりの強い厭な女だと思われる」

そんな生き方を押し通したとして、うまくいく人もいるかもしれないが、

「自分のキャラ」に合わないと、やがて行き詰るだろう。

そして「私個人のキャラ」については、むしろ、平安時代によしとされたような生き方の方が、断然合っている。

「源氏物語」を読めば読むほど、そうした「奥ゆかしい」「ぼやっとした」生き方のできる女性こそ、実は「品がある」「美しい」「心惹かれる」女性だという「事実」を「体得」できるようになる。

自分のキャラに合った「品のある」「懐かしくて愛らしい」「賢明な」処世術を、現代に向けて「体得」する。

そんな「目的意識」をもって、また「源氏物語」にハマってみる。

「源氏物語」は、「何度でもハマれる」「永久不滅の」古典。

その「価値観」「美意識」には、現代社会を「賢く」生き抜くための、「品ある」生き方へのヒントがきっとある。

そして、子供の頃の自分の「根っこ」がそこにある。

子供の頃の頭を「活性化」させてくれたものが、「源氏物語」をはじめとする「読書」の趣味だった。

大人になって、ろくにいい本を読まなくなると、頭のなかの大部分が「眠り」についてしまい、全般的にあらゆる「能力」が衰えていく。

自分に合った「読書」、とくに「源氏物語」の世界に再び「ハマる」ことで、「ワタシ史上最高パフォーマンス」が取り戻せるかもしれない。

「踊り」などの大人になってからの「努力」や「趣味」と、子供の頃の自分を「活性化」させてくれた「源氏物語」の「価値観」を合わせて。

もう一度「自分らしく」、そして「よりよい自分へ」。

紫式部に誘われて、「あの世界」にまたハマってみよう。

■「大和絵土佐派」の絵師「土佐光吉」の作品など、安土桃山以降の源氏絵の世界から!


※蹴鞠(「若菜・上」巻)


※蹴鞠(「若菜・上」巻)


※衣配り(きぬくばり)(「玉鬘」巻)


※衣配り(きぬくばり)(「玉鬘」巻)


※野分(台風)後の「秋好中宮」里邸(「野分」巻)


※野分(台風)後の「秋好中宮」里邸(「野分」巻)


※「桐壺帝」は若宮(「光源氏」)の将来を案じ、高麗の相人に運勢を見させる(「桐壺」巻)


※「桐壺帝」は若宮(「光源氏」)の将来を案じ、高麗の相人に運勢を見させる(「桐壺」巻)


※「桐壺帝」の行幸の楽舞で、「頭中将」と共に「青海波」を舞う「光源氏」(「紅葉賀」巻)


※「青海波」を舞う「光源氏」と「頭中将」(「紅葉賀」巻)


※「青海波」を舞う「光源氏」と「頭中将」(「紅葉賀」巻)


※幼い「紫の上」を垣間見する「光源氏」(「若紫」巻)


※幼い「紫の上」を垣間見する「光源氏」(「若紫」巻)


※都落ちし須磨にわび住まいをする「光源氏」が、「惟光」ら従者と歌を詠みかわす(「須磨」巻)


※都落ちし須磨にわび住まいをする「光源氏」が、「惟光」ら従者と歌を詠みかわす(「須磨」巻)


※宇治八の宮を訪れた薫が、箏、琵琶を奏でる大姫君と中の君を垣間見る。撥で月を招く中の君(「橋姫」巻)


※宇治八の宮を訪れた薫が、箏、琵琶を奏でる大姫君と中の君を垣間見る(「橋姫」巻)


※車争い(「葵」巻)


※車争い(「葵」巻)


※「光源氏」の養女「梅壺女御(秋好中宮)」と頭中将の娘「弘徽殿女御」が物語絵の優劣を競う(「絵合」巻)


※「光源氏」の養女「梅壺女御(秋好中宮)」と頭中将の娘「弘徽殿女御」が物語絵の優劣を競う(「絵合」巻)


※娘の斎宮(後の「秋好中宮」)とともに伊勢へ下向する「六条御息所」を嵯峨の野宮に訪れ名残りを惜しむ「光源氏」(「賢木」巻)


※「秋好中宮」の六条院の里邸「秋の御殿」より「紫の上」の「春の御殿」へ、童女に持たせた箱のふたに花もみじを取り交ぜて歌が贈られる「心から春待つ園はわがやどのもみぢを風のつてにだに見よ」(「乙女」巻)


※「空蝉」と「軒端荻」の囲碁対局(「空蝉」巻)


※「空蝉」の寝所に忍ぶ「光源氏」。気配を察した「空蝉」は、傍らに寝入る「軒端荻」を残して部屋を逃れ出る(「空蝉」)


※常陸宮の姫君「末摘花」に想いを寄せる「光源氏」。姫君の気配を伺おうと常陸宮邸の透垣に近づく「光源氏」は、同じく姫に想いをかける「頭中将」と出くわす(「末摘花」巻)


※「光源氏」が都落ちした後、貧しさに耐えひたすら帰りを待ち続ける「末摘花」。都に返り咲いた後、「末摘花」をすっかり忘れていた「光源氏」は、荒れ果てた館を偶然通りがかり、ようやくその存在を思い出す(「蓬生」巻)


※「朧月夜」との出会い(「花宴」巻)


※夕顔の花を所望する「光源氏」のため、花を折り取ろうとする従者に、「夕顔」の侍女から花を載せるための扇が渡される。扇に書きつけられた歌「心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花」(「夕顔」巻)


※「花散里」を訪れる道すがら、「光源氏」の一度逢ったことのある女の住まう風情ありげな館から、にぎやかな琴の音が聞こえる(「花散里」)


※物思いにふける「光源氏」(「若紫」巻)


※雛遊びに夢中の幼い「紫の上」を訪れる「光源氏」。乳母の「少納言」が、「もう奥様なのですから少しは大人らしくなさいませ」と「紫の上」をたしなめる(「紅葉賀」巻)


※「紫の上」を賀茂の祭につれだそうと「光源氏」が手ずからその髪をそぎ、「千尋」と祝いごとをいう(「葵」巻)


※六条院の春の町「船楽の遊び」(「胡蝶」巻)


※住吉に詣でて偶然「光源氏」一行の華麗な行列に遭遇し、身分の差を実感する「明石の上」(「澪標」巻)


※「紫の上」の養女として手放す娘「明石の姫君」を腕に抱く「明石の上」(「薄雲」巻)


※「明石の姫君」の御殿。生母「明石の上」から果物を入れた鬚籠や新年の食物を入れた破子などが贈られる(「初音」巻)


※六条院の新春、「明石の上」の御殿を訪れる「光源氏」(「初音」)


※「蛍兵部卿宮」に見せようと蛍の光で「玉鬘」の姿を照らしだす「光源氏」(「蛍」巻)


※「大宮」の喪に服す「玉鬘」を「夕霧」が訪れ、帝の勅旨を伝えるのにかこつけて想いを伝えようとする(「藤袴」巻)


※「略奪婚」のような形で「髭黒大将」と強引に結婚するはめになった「玉鬘」。「髭黒大将」の長年冷え切った仲の妻は、いそいそと「玉鬘」のもとに出かけようとする夫の後ろから、香炉を火と灰もろともに浴びせかける(「藤袴」巻)


※源氏の四十歳の賀宴で祝いの席につく「光源氏」「玉鬘」「玉鬘の産んだ息子たち」(「若菜上」巻)


※「玉鬘」と故「髭黒大将」の長女「大姫君」と次女「中姫君」が、桜を賭けて囲碁を打つところを、「大姫君」に想いを寄せる「蔵人少将」が垣間見る


※出家した「女三宮」と不義の子「薫」を訪れる「光源氏」。幼い「匂宮」が女房に抱かれやってくる(「幻」巻)


※「夕霧」の夢枕に「柏木」が現われ、笛を自分の子孫(「薫」)に伝えてほしいと歌を詠みかける(「横笛」)


※亡き友人「柏木」の妻「落葉の宮」に惹かれていく「夕霧」。「落葉の宮」の母からの手紙を読んでいると、妻「雲居の雁」が後ろから手紙を奪い取る(「夕霧」巻)


※「朝顔の姫君」への想いを断ち切れない「光源氏」。嫉妬する「紫の上」を慰めるため、雪月夜の二条院で雪転しをさせる(「朝顔」巻)


※「朝顔の姫君」から贈られた薫香を受け取る光源氏(「梅枝」巻)


※夕霧が六条院で催した「賭弓の還饗(のりゆみのかえりあるじ)」に匂宮と薫が招かれる(「匂宮」巻)

■好きな和歌から!

「世の中は 夢かうつつか うつつとも
 夢とも知らず ありてなければ」
 (@よみ人知らず(「古今和歌集」))

「見ずもあらず  見もせぬ人の  恋しくば
 あやなく今日や  眺めくらさん」
(@「柏木」(「伊勢物語」より引き歌)「若菜上」巻)

「片糸を かなたこなたに よりかけて
 あはずば何を 玉の緒にせん」
(@「薫」(「古今集」より引き歌)「総角」巻)

「あふことは 遠山鳥の 目もあはず
 あはずてこよひ 明かしつるかな」
(@「紫式部」(「花鳥餘情所引」より引き歌)「総角」巻)

「深き夜の 哀ればかりは ききわけど
 こと(琴)よりほかに えやはいひける」
(@「落葉の宮」「横笛」巻)

「わが恋は むなしき空に 満ちぬらし
 思ひやれども 行くかたもなし」
(@「薫」「東屋」巻/「匂宮」「浮舟」巻(「古今集」より引き歌))

「白雲の 晴れぬ雲井に まじりなば
 いづれかそれと 君は尋ねん」
(@「浮舟」(「花鳥餘情所引」より引き歌)「浮舟」巻)

「へだてなく 蓮の宿を ちぎりても
 君がこころや すまじ(住まじ)とすらん」
(@「女三宮」「鈴虫」巻)

「おほかたの 我が身一つの うきからに
 なべての世をも 恨みつる哉」
(@「中の君」「寄生」巻/「弁のお許」「早蕨」巻/「浮舟の母」「東屋」巻(「拾遺集」より引き歌))

「わが庵は 都のたつみ 然(しか)ぞすむ
 世をうぢやまと 人はいふなり」
(@「紫式部」(「古今集」より引き歌)「椎本」巻) 

「世の人は 我を何とも 言わば言え
 我なす事は 我のみぞ知る」
(@「坂本龍馬」)

「ある時は ありのすさびに 憎かりき
 なくてぞ人の 恋しかりける」
(@「紫式部」(「源氏物語奥入所引」より引き歌)「桐壺」巻)

「たらちめは かかれとてしも うば玉の
 わが黒髪を 撫でずやありけん」
(@「浮舟」(「後撰集」より引き歌)「手習」巻)

「ここにしも なに匂ふらん 女郎花
 人のものいひ さがにくき世に」
(@「尼君の昔の婿の中将」(「拾遺集」より引き歌)「手習」巻)

■自作の和歌(´-`;)

「誰が夢ぞ 誘ふ通ひ路 吹き閉じよ
 我が身ひとつは 風のまにまに」
(@「somethingspecial4」)

「逢魔が原 夢の通ひ路 閉じやせむ
 恋しき人の 風の移り香」
(@「somethingspecial4」)

「夢が関 恋しき人も 来し路を
 閉じやせむとて けふも過ぎぬる」
(@「somethingspecial4」)

「風そよぐ 秋の夜長の 望月の
 淡き月影 ましませ吾が君」 
(@「somethingspecial4」)

■好きなことわざから!

「船頭多くして船山に上る」

「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」

「沈黙は金、雄弁は銀」

「昔取った杵柄」

「三つ子の魂百まで」

「好きこそものの上手なれ」

「人間万事塞翁が馬」

「柳に雪折れなし」

「柔よく剛を制す」

「禍を転じて福と為す」

「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」

「癖ある馬に能あり」

「玉磨かざれば光なし」

「四十にして惑わず」

「いずれ菖蒲か杜若」

「百聞は一見にしかず」

「仰いで天に愧じず」

「断じて行えば鬼神も之を避く」

「精神一到何事か成らざらん」

「読書百遍義自ずから見る」