中国語でドラマを見る-龍族的后裔 #1 | あさひのブログ
「龍族的后裔」(全30話)のあらすじ。
中国語版のざっくり解読なので間違ってるところもあるかもしれません。

[第一集、第二集:姜姓 千古神農]
人々が狩猟生活から農耕生活へと移行し始めた頃。
農耕を広め病を治す薬草を発見した神農氏(氏は部族のこと)の長・炎帝は、暴力で人々を制圧し略奪を繰り返す蛮族の長・蚩尤を倒すため、軒轅氏の長・黄帝と同盟を組んだ。
神農氏の大巫祝(※天の声を聞く占い師で部族になくてはならない存在であった)はしかし戦を回避するために蚩尤に話し合いに行った。だが蚩尤に話など通じずすぐに捕えられた。
大巫祝はひそかに人を使って炎帝に記号を刻んだ 玉璧(占いに使用する美しい石でできた飾り)を送り無事であること、そして蚩尤が戦に備え兵器を改造していることを知らせた。大巫祝が玉璧を使って連絡を取っていると知った蚩尤は、自分たちの偽の動向を玉璧に刻んで炎帝に送った。だが炎帝はそれが嘘だと見抜き 逆にそれを利用して第一陣を打ち破った。

炎帝は自分達神農氏がまず蚩尤と戦って彼を疲弊させるので、軒轅氏がとどめをさしてほしいと黄帝に申し出る。
炎帝は襲って来た蚩尤に敗走するふりをして故郷の九隅におびき寄せようと図った。蚩尤は神農氏を追うか軒轅氏と戦うか迷い、大巫祝に占えと逼るが、大巫祝は自分は神農の巫女なので蚩尤を占う事はできないと言う。蚩尤は自ら野草を使って占おうとする。右手で摘んだ草と左手で摘んだ草、右手の草に天の意思が降りれば神農氏を、左手の草なら軒轅氏を追おう。その様子を見ていた大巫祝は草で占うなら草の生命の源となる水がなければ正しく占う事はできないと言う。蚩尤はそれもそうだと草を川の水につけた。すると右手の草がまっすぐに伸びた。これは神の意思だと蚩尤は神農氏を追撃することにした。

神農氏と蚩尤の戦いは三年続き互いに多くの犠牲者が出た。蚩尤の軍勢が充分疲弊した頃合いを見図って力を温存していた黄帝の軍勢が取り囲む。そうしてついに蚩尤の軍勢を倒した。
捕らえられた蚩尤は炎帝と黄帝の前に引き出された。蚩尤は負けを認めるが、そもそも九隅へ神農氏を追撃に行ったのが敗因であり、大巫祝に騙されたのだと彼女を罵る。大巫祝は確かにあの時、蚩尤が右手に摘んだ草が単子葉類で左手に摘んだ草が双子葉類だと見て水に浸けると単子葉類の葉がまっすぐ伸びることを知って言ったのだと白状するが、しかし右手に単子葉類の草を摘んだこと自体が天の意思であったのだと突きつけた。

こうして炎帝は中国統一を果たした最初の人物となった。炎帝と黄帝はこの後中国大陸で繁栄する漢民族の始祖とされる。
炎帝は姜水(※河川の名前)に居を構え姜姓を名乗った。姜姓は炎帝の子孫なのである。

[第三集、第四集:張姓 天賜良弓]
神農氏と軒轅氏が蚩尤を南へ追いやった後、中原はしばらく平安であったが、未だ狩猟生活を送る北方民族が彼らの食糧を奪いに襲ってくるようになった。
軒轅氏の子孫であるとある部族の長・揮は戦に敗け多くの民を失った。敵を倒せる強い武器が欲しい…。この時代の武器といえば青銅の剣だが希少であり、彼らが使うのはもっぱら木や石で作った棍棒や槍、斧だった。揮は近接攻撃では人数の少ないこちらが不利で、何か一気に遠くの敵を倒す方法はないかと考えていた。

敵が集落に向かってきているとの報せ。揮はすぐに皆を山上へと避難させる。山ではかろうじて水源を見つけたが食糧がない。揮は蜘蛛が巣を張っているのを見てひらめいた。木の皮を剥ぎ細く割いて撚り縄を作り、それを格子に並べて結んで行った。そうしてできた網を使って川へ下り、魚を沢山獲ることに成功した。
皆は木の枝に魚を刺して焙り焼きにして食べた。揮はふと魚を刺している木の枝を見て、この枝が敵にうまく刺されば武器になるのではないかと考えた。しかし木の枝を投げるなら石を投げた方が威力は高いだろう。

揮らが川で魚を獲って食いつないでいると知った敵が川に見張りを置くようになったため魚を獲りにいけなくなった。食糧はもってあと5日…。揮は夜空の星を見て新しい武器をひらめく。木の枝を火で熱して曲げ、木の皮で作った丈夫な縄を結び付けた。その弓で木の枝をつがえ放つと木の枝はいとも簡単に獣の皮を貫通した。揮はすぐにこの新しい弓という武器を沢山作らせた。張というのはこの弓を作る者の事である。
弓の要はその弦であった。木の皮で作った縄はすぐ切れてしまう。牛皮が丈夫で良かったのだが山にいる彼らに手に入れる術はない。大巫祝が囮になって敵を騙し牛皮のベルトと青銅武器を奪う事に成功したが彼女は捕らえられてしまった。
敵は大巫祝を連れて山へ攻めてきたが、揮らは弓と投げ網で戦う。見た事もない武器・弓矢の威力を目の当たりにした敵の首領は負けを認め大巫祝を解放し撤退していった。

揮の部族は弓のおかげで救われた。揮は弓を持つ者に張の姓を名乗らせた。

[第五集、第六集:呉姓 大義譲賢]
西岐を治める部族の首長・姫亶の孫の姫昌(後の周文王)は幼くして聡明で姫亶も目をかけていたが、姫昌は姫亶の三男の子であり家督を継ぐ機会はまずやってこないことを惜しむ。姫亶の長男の泰伯もまた姫昌の天賦の才に気づいており、常に周囲を見ながら最良の選択をしていくのが大丈夫(立派な男)の生き方だと甥を励ますのだった。

西岐は北方民族による略奪に悩まされていた。彼らは遊牧民で騎馬兵なので、歩兵ばかりの中原の村が対抗するにはやはり充分な数の兵馬が必要だった。しかし兵馬を鍛えるには時間が必要だ。そんな折また北方民族が侵略してきたとの報せ。
泰伯や次男の仲雍は断固戦うべきだと言うが、三男の季歴は民の安全のために戦を回避することが肝心なのでいっそのこと食糧や織物を渡してやったらどうだろうと提案する。皆はあきれるが、祝大臣も方法はともかく戦は回避するべきではないかと賛同するのだった。

泰伯は戦を回避する方法を探るため季歴にアイディアを求める。すると弟は彼らの毛皮とこちらの織物を物々交換する市を作ってはどうだろうかと言う。それなら一方的な搾取にならず部族の面子も保てる。その話を盗み聞きしていた姫昌は後日祖父の元へ行き、北方民族との間に市場を作り、彼らが持つ優秀な馬を買い付けひそかに練兵すればいいと申し出た。もちろんその案は伯父と父が話しているのを聞いたからと付け加えたが、姫亶は幼い孫の立派な発言に悦に入り、さっそく泰伯と仲雍を使者として向かわせることに。

泰伯は出発の前に父に面会し、姫昌の国を治める才能は放っておくに惜しく、あの子に将来西岐の采配を握らせるために後継の位を三弟に譲りたいと申し出た。先祖代々家督は長男が継ぐもの…そのしきたりに反する申し出に姫亶は怒りに震えるがしかし姫昌に後を継がせられればと思っているのも事実であった。

泰伯と仲雍は首尾よく馬を買い付けることに成功した。だがその頃姫亶は心労がたたって危篤に陥る。看病する季歴に姫亶は申し訳ない、しきたりを破ることはできないと泣いて詫びる。その言動を不審に思った季歴は、兄が将来姫昌に国を任せたいがために自分に後継の位を譲ろうとしたと祝大臣から聞いて真っ青になる。兄を差し置いて家を継ぐなど不義理にもほどがある、そんな事できるわけがない!だが祝大臣は西岐の将来を考えてのことで、姫亶もその事で悩み続けて体調が悪化したのだと明かす。
ようやく泰伯と仲雍が帰って来た。病床で姫亶は泰伯にやはりしきたりを破ってはならないと息も絶え絶えに訴える。そのあまりの形相に泰伯は父の言う通りにすると約束した。

事情を知った仲雍は兄の選択に間違いはないと支持する。そして二人で西岐を出奔すれば父は季歴を後継にするしかなくなるだろうと話し合う。その話を偶然耳にした祝大臣は慌てて制止するが彼らの意志はすでに固まっていた。二人は無事季歴が後継となるよううまく取り計らってほしいと祝大臣に後事を託すのだった。
翌朝二人が出立しようとした所へ季歴がやって来た。泰伯は不老長寿の薬を持つ賢人に会いに行くと言い繕う。季歴は早く帰って来てほしいと言うが泰伯と仲雍はその言葉には返答することなく背を向け立ち去って行った…。
季歴から泰伯と仲雍が薬を探しにいったと聞いた姫亶は、二人はもう戻ってこないだろうと言い、そして息を引き取った。そして本当に泰伯と仲雍は戻ってくることはなく、祝大臣をはじめ臣下らは季歴に家督を継ぐよう請願した。

泰伯と仲雍は西岐の国境に差し掛かった。明日には西岐を出て二度とこの地に戻ってくることはないだろう…。だがそこへ早馬がやって来て姫亶が身罷ったと告げる。仲雍は父の亡骸に最後ひと目見えたいと戻ろうとするが泰伯が制止する。ここで戻れば全ては水の泡になる、不義理だと言われようが礼を欠くと言われようが国の存続には変えられない、きっと父上も分かって下さるはずだ…。
二人は髪を切って使者に渡し断腸の思いで西岐を離れ母の出身地である梅里(後の呉)へ向かった。

彼らは荒れ地の梅里を開墾し、中原の文化や技術を伝達し人々を導いた。泰伯は人々の勧めでこの地の君主となり皆は敬意をこめて呉泰伯と呼んだ。彼には子がいなかったため死後は仲雍が君主を継いだ。後に姫昌の子・姫発が商を倒し周を建てた。姫発は仲雍のひ孫の周章を探し出し改めて呉の君主に封じた。その後周章は姓を姫から呉に改めた。

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