あれから、ずいぶんと時間が過ぎていった。
このところ、ほんの少し行き詰まっているような気がする。
仕事もそうだし、『仮題 サムシング・フォー』のテーマ探しも、
なんだかピンとこない。

時々そんなことがある。
はっきりとした理由はないんだけれど、
なんとなく勘が働かないとか、いつものように前に進めないだとか。


「サムシング・ボロー」をみつけたと思ったその日から
季節も夏へと移り変わっていた。
海の日を迎えた昨日、東京でも梅雨明け宣言が出された。
また、新しい夏が始まる。

そう、夏が始まるというのに、私はどうしたのだろう。
大きな仕事をやりとげたときもこんなことあったな。
達成感で充実している気持ちの後に、
小さな空虚というか。
都会のビルのまんなかにぽっかりと見える青い丸い空を
ただなんとなく見上げたまま毎日が過ぎてゆくようだった。


今日は、調整をお願いして、仕事を休ませてもらった。
昨日まで開催していた展示会の撤収だけ立ち会って、
その後はスケジュールを入れないでいた。
手伝いにきてくれたVJをしている雄二君と二人、
撤収を終えて、そのまま美術館にでも行こうという話になった。

雄二君が恵比寿と品川のミュージアムで面白い展示をやっていると教えてくれた。
まずは品川に向った。
ミュージアムに着くと開催していたのは「ハワイの風」という展覧会だった。
写真、絵画、彫刻、ハワイアンキルトなど展示品はさまざま。
なかでも、庭園展示と特別展にそそられた。

このミュ-ジアムは古い邸宅を改築していて、
ビルの谷間にぽっかりと穴があいたように佇む。
建物の曲線と真っ白い壁が心地よい。
それに加え、庭園と空のスコンと抜けた感じはとても清々しく、気持ちがよい。
朝方まで降っていた雨の露が丸い粒となって
庭の芝やクローバーの上にコロンと乗っかっている。
先ほどから顔を出した太陽の陽射しが、
その粒にあたってキラキラと輝いている。
宝石が転がっているみたいでキレイだった。

庭園には、庭いっぱいほどの大きさもあるカヌーみたいな帆船が展示してあった。
その昔、ポリネシアン民族が、星の動きを指針として
ハワイまで渡ってきたという説を再現したとされるもの。
展示用に制作された船で、船内は平日のみ一般公開していた。

私はこの船の先端に立ち、空を見上げながら深呼吸をしてみた。
ビルの谷間という立地のせいか、時折、風が吹き抜ける。
風が吹き抜けるたびに、4月に訪れたカウアイ島を思い出した。
白い雲が風に流され、ふわふわと動くさまをずっと見上げていた。








つづく








7月16日
莉梨花が一人で、実家の父母に会いに行った。気丈な子だと思った。まだ5歳なのに。
私は麻梨子と留守番。あの人の病気が治らないということを医者に告げられた。
麻梨子はもうすぐ7歳になる。この子に聞かれたら、私はなんと答えればいいのだろう。


7月20日
この3日くらい病院に行ってもあの人は口をきいてくれない。
薬の副作用が強いみたい。
そろそろ麻梨子にもわかってしまうのではないかしら。
もう一度、あの人も一緒に家族団らんなどができたらと思うけど、
それもままならないの。

7月25日
莉梨花から、電話がかかってきた。
とても元気そうでホームシックもなさそう。
おじいちゃんとおばあちゃんがとても良くしてくれていると言っていた。
母さん、私も会いたい。

8月3日
近所のたかこちゃんを連れて麻梨子と一緒にプールに行く。
もう、こういう風景の中にあの人の姿を見ることはないのでしょうか。
どうか、あの人を助けてください。

8月5日
莉梨花は何をしているの。元気にしているかしら。
麻梨子は遊び相手がいなくて少し寂しそう。
今日は麻梨子と一緒に花火大会を見に行った。

8月13日
あの人はこのところ食事をしてくれない。
薬の副作用が強いと言っていたけれど、栄養を摂って少しでも回復してほしいと思う。
私は何もできないの。どうしたらいいの。辛い。
でも、きっとあの人はもっと辛いのだろう。
私がしっかりしなくては。

8月15日
莉梨花が姉の淑子姉さんに送ってもらって家に帰ってきた。
あの子の笑顔をまた見られると思うと少し救われる。

8月20日
母さん、私どうしたらいい?
もう、辛い。
あの人がどんどん別人のように目の前で小さくなっていくのです。
ご飯を食べてほしいと思っても、薬の副作用がかなり辛いみたいです。
何をしても、もうだめなのでしょうか。
何か自分ができることなら、いいのです。
でも、変わってあげることもできない。
痛みを和らげてあげることもできない。
無力な私にできることは何かあるのでしょうか。
家に帰ると、麻梨子と莉梨花が無邪気にしています。
彼女たちの笑顔は私を救ってくれます。
けれど、時に辛い。
この子たちのために笑顔でふるまう力がまだ私に残っているのでしょうか。
母さん、私どうしたらいい?
麻梨子と莉梨花の寝顔を見ると、少しだけほっとします。
でも、涙が止まらなくなります。
よるになれば、明日が来てしまう。
時間が刻々と過ぎてしまうのです。
あの人がまた、小さくなってしまうかもしれません。
病気が進行してしまうかもしれません。
あんなに笑顔がステキだったあの人が、
もう半年以上も笑顔を見せていません。
どうして、あの人だけがあんなに辛い目に合っているのでしょう。
どうして、それを助けてあげられないのでしょう。
もう一度だけ、あの人の笑顔を見たい。



9月28日
あの人は最後に、せいいっぱいの笑顔を残し、遠くに旅立っていきました。
でも、きっととても近くに居てくれるのだと思います。
あの笑顔はあの人の最後の言葉だと私は確信しています。

ねえ、貴博さん。
あれほど、苦しい日々を過ごしていたあなたが、
私に残してくれたのはこのかけがえのない子どもたちと笑顔。
私は何があっても、貴博さんに負けないくらいの笑顔で生きていこうと決めました。
この子たちの笑顔はね、貴博さんにそっくりなのよ。
私の宝物なの。
貴博さんにそっくりなステキな笑顔を大切にしてほしいと思っています。
だから、私はこの子たちとともに、笑顔に包まれた明るく、優しい家庭をつくっていきます。
そして、貴博さんと私と同じくらい幸せに、幸せに過ごしてほしい。
あなたもそう思うでしょう。
私はね、貴博さんの奥さんになれたことを心から感謝しています。





4月4日(日) 「私のサムシング・ボローは何かがわかりました」
母の日記をすべて読み終えた。
涙はこぼれたけれど、笑顔を絶やさないように心がけました。
母の明るさ、笑顔がステキな理由がわかりました。
今日ほど、母と父の元に生まれたことに感謝した日はないかもしれません。
私は、父の分まで注いでくれた母の愛に、
明るく、優しく、おおらかに包まれてきたのだとあらためて感じました。

今回のカウアイへの旅は、これまでになく、
母や父、姉への思いを再認識した旅となりました。
あのHihueの大地に立ち、自分の足で立っている実感。
それとともに感じた、温かく、大きく、やさしいぬくもりのようなもの。
あれこそ、家族から受ける愛に包まれている安心感のようなものだと思いました。
あの景色をポラロイドで写してきました。

私の「サムシング・ボロー」は、母の、そして、父の大きな愛です。
私も一人の女性として、結婚をし、子どもを産む日がおとずれるでしょう。
そんな時がきたら、借りたままとなっている母や父への愛へ、
本当の意味で恩返しができるのではないかと思います。
私は今、とても好きな人がいます。
2年間思い続けているその人は、
父のように、とても誠実で、優しくて、穏やかな笑顔の人です。
けれど、今は残念ながら片思いを続けています。
いつか、母に会ってもらう人が、この人であることを切に願う毎日です。
本当に紹介できる日がきたら、
きっと私は父にも、母にも負けないステキな笑顔でいると確信しています。
それまでどうか、母と父の愛で包んでもらえますか。







つづく





大きなため息をつく。そして、日記の表紙に触れる。
そんなことを何度か繰り返していると、背中越しに
「Ke alaolaulea(ケ アラオラウレアー愛、豊かさや幸せの道となりますようにー)」
とささやく声が聞こえた。はっとして振り返った。

そこには、子どもを抱えてポニーテールをした少しぽっちゃりとした女性が立っている。
にっこりと笑っているその笑顔に、あの日の優しい笑顔の面影が映る。
「アイーナ?」
一段と優しく、聖母のような笑みがこぼれる。
私たちは、子どものやわらかい感触とミルクのにおいを間に携えながら、
ゆっくりと何度もHUGをした。
間違いなく、あの頃のアイーナと同じだった。
いや、あの頃のアイーナよりも、優しい笑みには凛とした強さが満ちていた。


スピリチュアルナイトのエッセンスウォーターをみつけたあの日。
私はアイーナに手紙を書いた。
「できるだけ早く、また会いたい。」と。
すると、アイーナはメールをくれた。
仕事でホノルルに行くことが決まって彼女に連絡をすると、
会いたいと言ってくれたのだった。

久しぶりの再会の喜びに浸り、しばらくは日記のことを忘れていた。
私が滞在するコテージへと戻る。
彼女の旦那さんもやってきて、4人で食事をともにした。
食事をし終えると、旦那さんは赤ちゃんを連れて自宅に戻った。
私とアイーナは、ハイビスカスティを飲みながら、
ゆっくりと今日までの10年の時を埋めるようにたくさんの話をした。
私は、たくさんの仕事が順調に動き始めたこと、
スピリチュアルナイトと昔の恋の話、
母の日記のことなどを話した。

しばらくすると、アイーナは「アクマクア」の話をし始めた。
ハワイでは、古くからそれぞれの家系ごとに「アクマクア」という神がいるという。
アクマクアは守り神であり、先祖のスピリットのようなものが
姿を変えて見守ってくれているという。
アクマクアの化身として代表的なものはフクロウ、カメ、サメなどがあるけれど、
動物以外のものが対象になる場合もあった。
生き物から石、自然現象まで、ありとあらゆるものにスピリットが宿っているとされる。
そして、神聖なものとしてともに存在すると考えられている。
こうしたアクマクアは危険から身を守ってくれたり、気づきを与えてくれるものとして
ずっと大切にされてきた。だから、雨が降ったり、虹が出たりすれば、
それは単なる偶然ではなく、何かのサインとして注意深くとらえたそうだ。


それから、もう一つ「Asking Rule」という姿勢を教えてくれた。
草花を摘む時、木を切る時、葉を取る時など、
どうして摘むのか、切るのかということを草花や木々、葉に話す。
そして、摘み取ったり、切ったりしてもいいかどうかをたずねる。
そうやってたずねた後に、
「摘み取ってもいい」とか、「切ってもいい」とかいう、
何か自然の中に見るサインを感じて確信が持てた時に
初めて人が手を加えてもよいという考え方をも持ち合わせている。


アイーナは、ハワイの教えをゆっくりと語った。
そして、彼女は私に言った。
「ナイトレインボーを見たこと、覚えてる? あれは私たちにとって、運命的なこと。
 あの日からリリーは私の家族と同じなの。
 だからね、あなたがこの大地を訪れたことには大きな意味があるの。
 ゆっくりとね、大地に語りかけてみなさい。そこに答えはあるのよ、きっと。」
アイーナに母の姿を重ねていた。私はアイーナの膝でしばらくすすり泣いていた。



次の朝。
私は迷わず、ナイトレインボーを見たティの生えるあの山へと登った。
もちろん、登る前には「Oli Kahea(オリ カーヘア)」を唱えた。
この場所であの大きな大きな海と空を見つめた日のことを思い出した。
そして、大地を見つめながら、あの日の感覚がよみがえってくるのを
静かに、静かに待った。

それから、夕日が沈む少し前、山を下りてコテージに戻った。
シャワーを浴び、ミネラルウォーターと母の日記をテーブルに置いた。
そして、ゆっくりとそれを広げて、静かに読み始めた。






つづく