当時の文部省により、文部省唱歌「虫の声」がもたらされ、小学3年の社会の教科書には、煙草が殺虫剤の代わりと載ってたり、3歳の時に、親が購入した英会話教材のこともあり、幼少期から、英会話教室に通って、中学も塾に、通ったり、家庭教師付けられたり、高校は、担任の教員により、罵倒のアクシデントがあり、他、俺が、もう、小学生の頃から、髪の毛薄いことがあり、まっ、高校入学当初は、もう、クラスで1位やらの成績取っても、モテないやろなあと思い、高校通って、学校では、学力上げるモチベーション完全に落ちてた。
ただ、家に帰ったら、成績上げたく、塾に通うことを親に告げ、連れと通ってた、メインは英語だった。
で、30歳の時には、語学の成熟度と、角川の新字源により、道理を心得るになった。
で、1悶着だったのは、温水洋一さん、温家宝元首相、自分に厳しくの意思を止めるチャンス(温いには、厳しさがないの意味になってるのも知った)で、それと、1悶着だったのは、高校の時、理数コース選んでたタメに、曲の感想聞かれ、「なんとなくよかった」と、なんとなくの一言出した分、その当時所有してた、1990年旺文社発行の標準国語辞典には、馬鹿の意味に「なんとなく」の意味もあったこと。
他、その文部省の唱歌の虫の声のタイトルやら書かれた紙を、母の寝室から、発見でき、虫の知らせの分、嫌な予感のなんとなくを庇った。その当時喫煙者になってたのと、聖ジョージとサブラ王女の結婚の様相の絵画を、自宅の図鑑で、発見し、悪竜退治の様相と紹介文あり、その絵の様相と、その年に、明るみになった、自宅にある5月人形の弓を止めてた物のデザインが、黒地に金色の龍のデザインで、当時ちょいワルブームだったので、肺がんか、咽頭がんで他界だろうと今また、載せてる。今のとこ非喫煙者に戻ったが。
で、頭髪具合のことで、温水洋一さんに似たくない理由から、自分に厳しくの意思(小学校の教育の分)を続行させた。現在、どっちだろう?と曖昧にしている。
その厳しくの分、英会話教材捨ててしまって、せっかくEnglish teacherにも名前があるになってた紙を、34歳頃、学校の先生と言えば結婚が遅いの評判の分捨ててしまった。当時、全く甘くなしの1つとして、親がテレビ視聴のボリュームやたらと上げだした、耳が遠くなったからと、その分、小学2年から、自分の名前入りの日記に貼ってあった、キグナス氷河の絵と、COOLの筆跡の紙も捨ててしまった。(現在別物で、同じ様なの書いてる)
それから、その当時、仏壇の絵の様相に仁王様みたいなのもあった。
亡父が神戸製鋼に勤めてた分、社会的成功を夢見てた分は、今宙ぶらりんの心境だ。
このブログ載せてる間に夜が明けた。