躾の厳しさ。と厳しいの意味そのものが、厳しいの意味が国語辞典で、どういう意味になってるか、なんせ、俺30歳になるまで知れなかった。

躾のと載せたのは、うちの親父、昭和36年三省堂の国語辞典持ってたけど、「辞書に触るな!」って言う親父だった。

で、その30歳までに、大学中退しましたが、卒業の意図はあったが、小学(ここまで綴ってこのブログ読まれるとでも?と1990年旺文社発行の標準国語辞典に載ってた、厳しいの意味の一つ、全く甘くなしを想定したが、備忘録のため綴る)4年の時に、家庭科の先生が、自分に厳しく人に優しく!と突然(今晩鼻っ柱を折るをググったとこ、びっくりの意味も載ってる)家庭科の時間に、言って、卒アルにも載ってた(個人的には、30代前半の頃、温水洋一さんに似ないため[その旺文社の標準国語辞典によると、温いに厳しさがないと載ってるので]、いろんなもん失くしてしまうだろうけど、自分に厳しくを続行した)。彦の字、1990年角川書店の新字源には、美男子の総称と載ってるの同じ30歳の時知り、ひこ、げんと読めるので、厳の発音とかけて、その後そのまましたが2022年初夏の頃、生活苦に耐えられず、夏場を除いて自分に温くとした。

大学中退に至った理由は、俺が小学生の時に、見とれるの意味を知らなかったことと、親がちょっとを軽んじる親だったこと。その見とれるを知らなかったが、ために、小学生5年の朝日ってタイトルの分に、そう自分で書いてた。それが、つい最近まで、残ってた。捨てた。


それから、大学復学後、サークル入って、出会った男に、「言われたからって何?」に対して「すなおやん」と言えなかった事。


他、博識いうことなら、アニメも詳しいやったのに、オタク評で、攻撃された。大学生同士で。


他、同じように、正しさ、で自信あるもん同士で、プライドを持ってるか持ってないかが、分けた。

他、暴力はあかんと、小学校の時から、教わっときながら、その気満々と、ダメな、もんは、ダメと、やる気なしなのと。なんで離れられんかったかは、結局俺の小学校の時からの教育上に因る、寂しさ経験で(?)それか、もう1人大体常に居たので、そのもう1人が(離れたら寂しい)と、以心伝心してたか。