そもそも悲哀の目に遭わないことと今結論づいた。


昨晩の悲哀の教訓からだと、まあ、一応

というのは、小学1年生の時に、文部省唱歌の虫の声という曲。自分に、もたらされたこと、学年、クラス、名前記入、自分でじゃなくあったこと。

で、正直同級生の1人になめられて来てる。

で、悲哀からの教訓として、なめられないことなのだが、今載せたことと、矛盾してる。

いろいろ考えた。文部省が、たしか明治時代に出来たものということと、文部省唱歌もその頃から、確かあるので、俺1人じゃないということ。まだ、その俺の以外の人に出会ってない。


昨晩の悲哀は、凄かった。俺の家族、親戚を総攻めの印象の境地に、至ったのと、俺の心身、成長っぷり、そんな軽んじのための、小学一年の時のセットだったのか、ニックネームまで、付けた方の底意地は、軽んじの意図有りだった様だってこと。


まあ、そんなこんなで、ぶっちゃけ、そのニックネームを付けた相手は天理教の信者というか、家庭。

で、こっちは、つい最近知ったのだが、大工と戦士の神と同じ名字。身バレは、時間の問題だが、まあ、伏せとこう。で、天理教を調べたら、神様を樂しませるためにあるともググって載ってたので、その天理教徒達が、俺の名字の人ら全員楽しませるという訳なので、昨晩の悲哀は、凄かったが、寝て起きて、顔洗ったり、トイレ行ったりして、アメブロつけてる間に、明るい兆しに変わった。良い良い。


続き、もう、夜明けになったので、微妙だが、天理教に関して、陽気な暮らしを、目指してるとかだったはず。で、まあ、気が晴れやか続きなんだろう。その分、悲哀は、少ないんだろう。何が言いたくて続き載せたかって、交代勤務で、夜中仕事の人とか、まあ、例えば、B'zの、確かなものは闇の中という曲とか、知ってても、陽気に、変えちゃうんだろうな。


それから、虫の声の曲がらみ、面白いになんの全く甘くなしが、付いて回るかって、嘲笑。いかんともし難い。