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大学の図書館が好き。土曜日は人が少ない。家だと集中出来ないから、図書館で勉強をする。なんて真面目なんだと自分でも思う。何を勉強しているかというと、高校の数学とか英語や生物や日本史である。正直、高校の勉強があまり出来ない。今さらながら、勉強をしている。

学力低下が叫ばれている中で、高校数学の微分積分をちゃんと解ける人は社会人でどのくらいいるのだろうか。せいぜい三割程度じゃないのか。つまり、本音では勉強なんて社会に出たら出来なくても良いと思っているに違いない。それで学力低下が困ったものだという。それは確かに国としては深刻な問題だけど、多くの大人は学力が中学程度で止まっていると勝手に思う。だって、英語話せる人はあまりいないから。多くの人にとって何のために勉強をするかと言えば、大学に入る為だし就職する為なのだろう。そんな動機だったら学力が低下して然るべきではないか。

大学生は、授業中に友達とお喋りをし、居眠りをする。サークルに入って恋人を作り、バイトをして遊ぶ。それは別に悪いことではない。ただ、ニートやフリーターと大差はない。むしろニートやフリーターの方が頑張っている気がする。

高校の勉強がまともに出来ないのに、なぜ大学に行っているのか。社会は学歴を重視するが、一部の人を除いた多くの大人の学力はきっと高校レベルより低い。何か変だなと思う。
少し前のAERAの表紙にOASISのリアム・ギャラガーが載っていた。インタビュー記事に「魂を掘り下げない人間は、そこらに生えている木と変わらない」と書かれてあった。

最近、この言葉がいつも頭の中にある。たしかにそうだよなぁって。ただ、なんとなく生きていては駄目なんだ。魂を掘り下げないと。魂の燃焼というか。

もし自分が病気で余命を宣告されたら、痛みの苦しみとは別に自分が消え去ってしまう悲しみを感じると思う。それは魂の問題なのかもしれない。魂を燃焼させて、出来るだけ納得して死にたいと思う。

アーティストだったら、それが表現になるのかもしれない。尾崎豊の「I LOVE YOU」と普通のミュージシャンの「I LOVE YOU」は何かが違う。尾崎は魂を掘り下げて曲を作り、魂を燃焼させて歌っている。

優れた作品には、作者の魂が込もっている。そう考えると、人生の意味の一つは自分という作品を作り出すことなのかもしれない。その為に、魂を掘り下げて自分を変化させる。よく分からないけれど、そんな気がする。
耳そうじは耳かき派?綿棒派? ブログネタ:耳そうじは耳かき派?綿棒派? 参加中
綿棒派。

お風呂上がりは、必ず綿棒で耳を掃除しないと気がすまない。夜中にふと目がさめて、耳を掃除したくなるから、綿棒は常にポケットに入れてる。耳かきは自分でやるのがちょっと怖い。ただ、それだけのことなんですけど。

子供の頃は、母にピンセットで耳掃除してもらってた。耳グイー引っ張られて、メリメリ取られてた。時々、痛くて少し怖かったけど。お猿さんの毛繕いみたいで好きだった。