序でだから書いておく。日記で1日終わるとか・・・まあそれだけ充実した週末だったということか。本当は振り返ってる暇なんかないくらい忙しいはずなんだけど。

 コンパの後渋谷の駐車場で自転車を組み立て、大学に移動。乗って帰る右膝の余裕はないので駒場東大前から電車に乗る。因みに金曜に定期を図書館に忘れたことで150円かかってしまった。 家に着いたのは10時ぐらいだったと思う。次の日の準備をして12時頃就寝。
 3時半起床。下北沢駅5時30集合。一人は僕と同じ井の頭線の始発に乗っており、もう一人とは下北沢駅5:38発下り急行の先頭車両で合流する。友人のスマホでコースタイムを調べたりしながら地図を作る。それを二人の初心者に書き写させる。他、地図読みの指導などをしていたらあっという間に小田原に着いてしまった。レトロな電車に乗り換えて塔ノ沢駅下車。運賃の支払いで3分ほど電車を止めてしまった。
 まずは阿弥陀寺を目指す。二人の初心者は頻繁に疲れたという。阿弥陀寺までは車道歩きで、そこから山道。あまり歩かれてはいないようだった。ここから50mごとに標識が刺さっている。1日の最後には確か250くらいだった気がする。
 1ピッチで塔の峰着。雨が降り出す。と思ったらすぐ已む。
 道は左に折れ、すぐ車道に出る。15分車道歩き。レインウェアを着ての車道歩きは寒々しいことこの上ない。この車道が1日で最も雨が強かった。
 右手から再び山道に入る。急登。40分で10分休憩。このあたりは地形図上の北への分岐がいくつか廃道になっている。小雨は降っているものの、藪の切れ目に時々箱根を見下ろしながら歩く。何ということもなく明星ヶ岳。二人は余裕そうだった。やはり歩き始めのはポーズだったか。
 相変わらず降ったり止んだりしている。明星ヶ岳からの下りで右膝の痛みがぶり返してしまった。仕方ないので宮城野への分岐で一度休憩し、薬を飲ませてもらう。リーダーなのに情けない。
 明神ヶ岳までまた登る。相変わらず余裕そう。現在位置を聞いても割と正確に答えてくる。最も僕にわかっているところでしか現在位置は聞けないので、僕の地図読み能力が低いだけかもしれないが。
 12時頃明神ヶ岳着。持ってきたガスとコッヘルでお湯を沸かす。が、割り箸を忘れてきていた。こんなに献身的にリーダーを務めてやっているのに、初心者は割り箸を貸すことすら渋ってくる。結局割り箸を半分折ってよこしてくれたが、食べにくかった。初心者も食べづらいとこぼしていた。素直にそのまま貸せばいいのに。
 ここから火打石山(ピークには見えない)までの下りでさらに膝痛が悪化した。現在位置を聞く余裕もない。矢倉沢峠手前の下りで、とうとう先行する二人を止めて待たせてしまった。リーダーなのに。
 何故かこの膝痛は休むと悪化する峠で長めに休憩して、僕を先頭にして金時への登りにかかると、10mもいかないうちに音を上げてしまった。結局初心者の提案で峠からリタイアすることになった。初心者に方針を提案されるのは癪だったが、自分から言い出すことはどうしてもできなかった。だからまあ、あれは仕方なかった。
 下山は30分と掛からない。1日に4本くらいしかないバスを捕まえて箱根湯本まで乗る。800円。1200円の温泉に浸かり土産物屋を冷かして帰宅の途へ。新宿の日高屋で打ち上げをして解散。 

 まとめ:天気は悪かったが初心者にそれなりに楽しんでもらえたのは何よりだった。前日の膝の痛みから中止という考えもチラッと浮かんだが、同行者にスケジュールを調整させた手前、やはりそれはできなかった。充実感を求めて強行突破したこの2日のどこかで、こういう風に無理が出、破綻を来すことは十分考えられたはずのところを、それでも実行に移したのは、無意識のうちにこの2日で得られるであろう充実感と天秤に掛けたうえでのことだったのだろう。だからそれほど悔いはない。ただ2人に迷惑をかけたのは申し訳なかった。
 あとはこの痛みが来週の男体女峰に影響しないことを願うばかりだ。
 1.祖父は少女が祭壇をバラで飾るのを見た。 
 2.私たちはあなたの友人が危機に瀕していることを悲しむ。私たちはあなたが私たちのところにいるのを喜ぶ。
 3.兄弟は隣人がかなりの果物を贈ったといった。
 4.私はあなたが旅をすることを望む。
 5.ガリア人たちはとても勇敢であったと考えられる。ガリア人たちがとても勇敢であったということが伝えられている。 p.54,2-b参照
 6.カエサルは兵士たちが橋を作ることを命じた。カエサルは橋が作られることを命じた。兵士たちは橋を作ることを命じられた。橋が作られることが命じられた。 不定法に主語がないなら不定法の主語=文の主語 
 7.暴君に対して陰謀が用意されていることが伝えられた。 tyranno;与格 文法的には奪格とも取れるが意味は与格ととるのが自然
 8.ハンニバルはローマ人たちが自らによって負かされることを期待した。ローマ人たちは自身が彼によって負かされるとは思わなかった。 victum;vincoの過去分詞
 9.その間にユグルタは細心の注意を払ってすべてを用意し、急ぎ、軍隊を招集した。
 10.畑をよく手入れするとはどういうことか。よく耕すことだ。agrum>ager
 11.アリオウィストゥスは自分と、自身の破滅なしに戦った者はいなかったと自慢した。neminem;§56参照
 12.母は娘がすぐ自分のところへ帰ってくるだろうと思った。
 13.私たちの都市には173,858人の市民が住んでいる。
 14.ガーイウス・ユリウス・カエサルは紀元前100年に生まれ、紀元前44年に殺された。
 15.海は都市から約14マイル離れている。
 16.ハエドゥイー族は何度もゲルマン人と戦った。
 17.アレクサンドロス王の死後2年でその遺体はエジプトに運ばれた。
 18.ローマ人たちは、キリストが生まれる753年前であった、都市が建設された年から年を数えた。
 19.4×4=16,5×8=40
 20.ローマでは毎年二人ずつ執政官が選ばれた。 romae;地格
 12時ごろ帰宅し、ルートを調べなどしていたら2時。寝ようとするも寝られず、1時間ほど横になって3時頃にあきらめて準備を始める。持ち物は水筒、レインウェア、タイヤチューブのスペア、ニャル子の4巻(読む機会はなかった)、デジカメ等。食料は途中で補給することにした。
 4時10分自宅を出発。30分で開始地点の新宿につく。そこから国道20号で大手町まで30分。「大手町」を右折。「日本橋」を左折。「室町三丁目」を右折。以後道なりに国道6号に入って四ツ木大橋まで20分。ここまでは予定より十分早いだけ。
 以後6号線をひた走る。柏までは1度往復した道だからか、読み2時間のところ1時間少々で走ることができた。取手までの10kmもペースは上々で7時丁度取手駅着。駅舎は立派だが何もない。
 もう少し6号線を進んで「294号入り口」で左折。途端に道が細くなる。白山八丁目で右のさらに細い道へハンドルを切る。左右に田畑が広がり、田園情趣のある快い道。右手前方に葬儀場のある交差点で左折。少しだけ上って小貝川サイクリングロード右岸に入る。
 荒川の経験でcrといえばわかりにくいもの、すぐ迷うものとの先入観があったが、小貝川crはとてもわかりやすかった。1km毎の標識もメリハリがついてありがたい(見かける度にこれでまだ1kmか・・・と思わせられるが)。入ってすぐ中洲の公園にわたってしまう橋があること(橋の入り口にゲートがある)と、稲豊橋手前で一端左手の車道に降り、直後の交差点を右折して橋に乗ること以外は特に迷いそうなところはなかった。
http://www1.plala.or.jp/tone_cr/MainK/mainKK.htm

http://www.everytrail.com/view_trip.php?trip_id=444394

を参考にした。特に橋の渡り方は後者のルートをそのままなぞった。

 ただ水街道で補給しようと思っていたのに、crから見える街並みが本格的に街らしくなるのを待っていたらいつの間にやら元の田園風景に戻っていたのは失敗だった。また今回は祝橋でcrを降りるつもりだったが、そのひとつ前の橋の手前から道が白い砂利のダートになり、橋を渡った先も同様だったのでその橋で降りて右へ進んだ。すぐの突き当りを左に折れ、間もなく125号線の高道祖東にぶつかった。crが舗装されていたとしてもcrを行くよりかえって早く着いた。

思ったこと-中洲に渡る橋

思ったこと-稲豊橋(左岸から)

思ったこと-40kmと筑波山

思ったこと-福岡大堰

思ったこと-福岡大堰から筑波山

 高道祖東のファミマで補給。プレミアムチキンは味はケンタッキーに似ているが皮と肉がよくない。皮はあまりぱりぱりしていなくて、肉はコンビニのチキンらしい油っぽさだった。これで50円しか違わないなら僕はケンタッキーを探す労を厭わずにケンタッキーを選ぶだろう。
 ファミマのすぐ裏の県道を東へ。途中1か所一方通行になっているが、少し進むとまた片側1車線の道になる。よく分からない。小貝川crの愛国橋あたりからずっと筑波山が見えて気持ちがよい。
 道なりに進んで県道42号線に移り、暫く行くと坂道が始まる。予想はしていたがやはり堪えた。対向車線を下ってくる自転車乗りの人にすれ違いざま激励の言葉をもらったりしたが、耐え切れずに最後は押して歩いた。神社入り口まで後200mぐらいだったのが悔しかった。時刻は11時ごろ。
 さてなんとなく惰性で筑波山神社まで来てしまったが、駐輪場を探さなければならない。神社の前の土産物屋に聞くと1日200円だという。強欲な土産物屋を肥らせるのが悔しいのが半分、単純に200円が惜しいのが半分で、無料の自転車置き場を探すことにする。少し下ったところで別の土産物屋に聞くとまたさっきの店を紹介された。恥を忍んでただのところはないか聞くとこの辺りにはないとはっきり言い切ってくれた。それでも諦めきれず更に下り、これで結局見つからずにさっきの店に止めることになったら恥ずかしいなあと思いながら「神社入口」まで戻ると観光案内所があった。僕は勝利を確信した。聞くと正面のレストハウスに停めていいとのこと。勿論無料。土産物屋連中がぐるになって200円を貪ろうとしたのとは大違いだ(僕は下山までそう思っていたのだが、後から駐輪場の店とその後僕が聞いた店が系列店だったことに気付いた。他の柵のない店に聞けば親切に無料の駐輪場を教えてくれたかもしれない。・・・それを確かめなかったのは正解だったと思っているが)。全国どこにっても、観光案内所だけは本当に神である。序に水の汲める場所を聞いたら奥のほうでてずから汲んでできてくれた。 

 神社に10円を投げ込み登山開始。登山道にケーブルカーがずっと並走しているのは興ざめだった。道は歩きやすく、人が多い。山ガール、中高年、家族連れと老若男女問わず登っているが、僕ぐらいの若い男だけのパーティーはあまりいなかったような気がする。わざわざこの程度の山に登る気にはならないからだろうか。ケーブルカー終点まで確か少し急いで70分。自転車の疲れは登山中はあまり感じなかった。使う筋肉が違うのかもしれない。
 山頂駅にはおびただしい数の人がいた。特に幼稚園の遠足は4パーティーぐらいいた気がする。ケーブルカーの乗り場には長蛇の列ができていた。萎える。とはいえ、曇ってはいたけれど北側の平野の展望は素晴らしく、麓からの見栄えも考えると百名山も已む無しか、と諦めがついた。
 男体山頂まではすぐ。神社がある。木が遮って南側しか見えず、あまり面白くない。探せば展望台があるのかもしれないが、人が多いこともあってあまり長居はしなかった。
思ったこと-男体から1

思ったこと-男体から2

 山頂駅に戻ってコカコーラのペットボトルを買う。180円。まあ仕方がない。
 女峰に向かう。今までの登山道とはレベルの違う混雑具合だ。渋滞の域に入っている。おかげで少し余計に時間がかかった。
 女峰にも社殿があり、その裏は岩場になっていて、北と東の眺めがとても良い。男体の残念なピークとは大違いである。人も多かった。が、岩場の先は家族連れが入らないので割とのんびりできた。写真を撮ったり、コーラを飲んだりする。できればここで本を読みたかったが、時間も押していることだし自重する。

思ったこと-女峰から1

思ったこと-女峰から2

思ったこと-女峰から男体

思ったこと-筑波山神社周辺

 女峰から筑波山神社への道の初めはちょっとした岩場になっており、ここは本格的に渋滞していた。1人しか通れない道で、登りの人と下りの人をどこで切り替えるか、少し気まずい。こういうところでどれだけ大人なのかが測られるのだろうか。下りの列が消えても登りの列はまだずっと続いていた。萎える。
 このコースは奇岩が多いのが見どころだそうだが、割と何の変哲もない岩にも一々謂れがつけられている。この石の上に神々が集っておさめる国を決めた、とか。
 どこで痛めたのかはっきり覚えていないが、下りの途中で右膝が痛み始めた。降り方が雑だったのかもしれない。でもそれ以上に朝からずっと膝を酷使してきたのが原因だと思う。これは翌日の箱根まで(というか今も)尾を引いた。
 ということで筑波山神社着。かなり長く感じた。この後には最後の一仕事、土浦までのサイクリングが待っている。当初は国道125号線を使おうと思っていたのだが、一応観光案内上に相談したら、なんと筑波山の麓から土浦駅前まで、電車の線路跡を利用したサイクリングロードが通っているという。ちっとも知らなかった。というかこんな都合のいいことってあるのだろうか。ありがたく使わせてもらうことにする。元来た道を戻り(登りであれだけ苦労したのに下ってみるとほとんど平坦だった)、最初の信号で左折すると「筑波山口」。そこはもうサイクリングロードである。
思ったこと-旧筑波山口駅から

 走りやすい道ではあったが、何故か路面の「とまれ」の字が浅く彫られていてタイヤを取られるのにはイライラする。20kmのところを1時間ちょっとで土浦着。16時20分。本来の計画ではまだ余裕のある時間だったが、自転車の分解に時間がかかって渋谷でのコンパに遅れてしまった。



 まとめ:小貝川サイクリングロードは走りやすいし迷う個所がなくて素晴らしい。取手まで輪行して小貝川→筑波山登頂→りんりんロード→土浦とすれば一般向けのサイクリングコースになると思う。リア充はそういうデートサイクリングでもしていればいい。新宿から取手までは特に問題なかった(2桁国道なんだから当たり前だが)。ただ松戸を過ぎたあたりから自動車でヒヤリとすることが多々あった。
 総行動時間12時間弱、充実した1日だった。