動形容詞難しすぎ。絶対的奪格のときも訳わからんと思ってたが、こんなに早く上が現れるとは。こんなものを独習してる人たちは素直にすごいと思う。
1.ヘルウェーティイー戦争が終結したとき全ガリアから使節達がカエサルのところへお祝いをいいに集まった。 絶対的奪格、confecto>confecio gratulatum;gratulorの目的分詞Ⅰ
2.逆境においては最も強いものがそれぞれ最も安全である。 quaequeとfortissimaが同格
3.誰もが自分自身を最も気に掛ける。
4.もし誰かが幸福なら、いつでも誰かが彼を羨む。
5.クロイソスは自分自身よりも幸せなものは誰もいないと言った。
6.私たちの誰も罪を犯しはしない。私たちは人間であって、神ではない。 nostrum;部分の属格
7.お前たちのどちらがこれをしたのか?なぜなら一方がこれをした事が明らかだから。私たちのどちらもしなかった。私たちはどちらも無実である。 部分の属格たくさん
8.敵らはお互いがお互いの妨げとなった。 文全体の主語はhostes。aliusも主格だがaliiと相俟って副詞のように考えるといいようだ
9.ソクラテスにはまさに罪の意識は全くなかった。しかし彼は1つの逃亡の機会も探さなかった。
10.間違う事はどんな人のものでもある。愚か者以外は間違ったまま留まるのはいかなる人のものでもない。
11.ある人はキケロがある本の中で自らの名誉を歌った事を伝える。
12.若干の邪悪な男たちが国家の基礎を破壊した。
13.ある人たちが美徳と考えるのと同じものを別の人たちは愚かさと呼ぶ。 quasの性数はvirtutesに一致している。しかしeandemはquasではじまる節を受けているのにstultitiamに引かれて女性単数。後ろの単語に引かれて性と数を一致させてしまうのはよくあることで、「それがローマ人のやり方」なのだそうだ。eandemをeasdemで置き換えるのはこの場合不自然でeasdem resなどとすればまだあり得るとの事。
14.多くの危機があなたたちに負われなければならないだろう。 eruntはsumの三人称複数未来
15.私にはこれほど多くの手紙を書く時間がない。 属格だから動名詞でも目的語をとれる例
16.敵らは都市を攻め落とす事と川を渡る事について絶望した。 動形容詞による動名詞の代用
17.長い旅をした親たちは私たちに会う事を熱望している。 p.68,3bによってnostri videndorumになるところがvidendiになっている。属格なので動名詞を使ってnos videndiとしても可
18.商人は長い旅をしようとして友人に自分の家を番をされるべきものとして渡した。 facturus;facioの未来分詞 p.67,2の例 こういう場合「(目的語)を~されるべきものとして」と意味を取るとよいようだ。まあ和訳としてはもう少し分かりやすくした方がいいかもしれないが。domum suam amico custodiendamを動形容詞句ととるのはtrado的に不可で、動詞によって目的語に同形容詞と不定詞のどちらをとるのが自然かが決まっているらしい。
19.富は上手に使われなければならず、悪用されてはならない。
20.(畑を)耕す技術はかつてローマ人にとって(軍隊の)指揮の技術よりもなじみが薄いという事はなかった。高貴な男たちが耕す事から戦い、祖国を守る事へと呼び出されるのはまれではなかった。 昔のローマは農耕社会だった頃の風潮が残っていて、高貴な人でも平時は自ら畑を耕し、ひとたび戦になれば指揮を執った、ということらしい
21.植民地を建設する三人委員会が選ばれた。 p.68,3a
22.私はそれを見るのを熱望している。 動名詞句
23.敵には武器を取る機会が与えられない。
24.親たちによって子供たちは気にかけられなければならない。
いまのところ授業では16課ぐらいまでしか終わらなさそうである。その先自分で訳を拵える自信はさっぱりないが、できれば最終章まで完成させたい。どうしよう。
1.ヘルウェーティイー戦争が終結したとき全ガリアから使節達がカエサルのところへお祝いをいいに集まった。 絶対的奪格、confecto>confecio gratulatum;gratulorの目的分詞Ⅰ
2.逆境においては最も強いものがそれぞれ最も安全である。 quaequeとfortissimaが同格
3.誰もが自分自身を最も気に掛ける。
4.もし誰かが幸福なら、いつでも誰かが彼を羨む。
5.クロイソスは自分自身よりも幸せなものは誰もいないと言った。
6.私たちの誰も罪を犯しはしない。私たちは人間であって、神ではない。 nostrum;部分の属格
7.お前たちのどちらがこれをしたのか?なぜなら一方がこれをした事が明らかだから。私たちのどちらもしなかった。私たちはどちらも無実である。 部分の属格たくさん
8.敵らはお互いがお互いの妨げとなった。 文全体の主語はhostes。aliusも主格だがaliiと相俟って副詞のように考えるといいようだ
9.ソクラテスにはまさに罪の意識は全くなかった。しかし彼は1つの逃亡の機会も探さなかった。
10.間違う事はどんな人のものでもある。愚か者以外は間違ったまま留まるのはいかなる人のものでもない。
11.ある人はキケロがある本の中で自らの名誉を歌った事を伝える。
12.若干の邪悪な男たちが国家の基礎を破壊した。
13.ある人たちが美徳と考えるのと同じものを別の人たちは愚かさと呼ぶ。 quasの性数はvirtutesに一致している。しかしeandemはquasではじまる節を受けているのにstultitiamに引かれて女性単数。後ろの単語に引かれて性と数を一致させてしまうのはよくあることで、「それがローマ人のやり方」なのだそうだ。eandemをeasdemで置き換えるのはこの場合不自然でeasdem resなどとすればまだあり得るとの事。
14.多くの危機があなたたちに負われなければならないだろう。 eruntはsumの三人称複数未来
15.私にはこれほど多くの手紙を書く時間がない。 属格だから動名詞でも目的語をとれる例
16.敵らは都市を攻め落とす事と川を渡る事について絶望した。 動形容詞による動名詞の代用
17.長い旅をした親たちは私たちに会う事を熱望している。 p.68,3bによってnostri videndorumになるところがvidendiになっている。属格なので動名詞を使ってnos videndiとしても可
18.商人は長い旅をしようとして友人に自分の家を番をされるべきものとして渡した。 facturus;facioの未来分詞 p.67,2の例 こういう場合「(目的語)を~されるべきものとして」と意味を取るとよいようだ。まあ和訳としてはもう少し分かりやすくした方がいいかもしれないが。domum suam amico custodiendamを動形容詞句ととるのはtrado的に不可で、動詞によって目的語に同形容詞と不定詞のどちらをとるのが自然かが決まっているらしい。
19.富は上手に使われなければならず、悪用されてはならない。
20.(畑を)耕す技術はかつてローマ人にとって(軍隊の)指揮の技術よりもなじみが薄いという事はなかった。高貴な男たちが耕す事から戦い、祖国を守る事へと呼び出されるのはまれではなかった。 昔のローマは農耕社会だった頃の風潮が残っていて、高貴な人でも平時は自ら畑を耕し、ひとたび戦になれば指揮を執った、ということらしい
21.植民地を建設する三人委員会が選ばれた。 p.68,3a
22.私はそれを見るのを熱望している。 動名詞句
23.敵には武器を取る機会が与えられない。
24.親たちによって子供たちは気にかけられなければならない。
いまのところ授業では16課ぐらいまでしか終わらなさそうである。その先自分で訳を拵える自信はさっぱりないが、できれば最終章まで完成させたい。どうしよう。
さて、写真もインポートしたしFBを書くとする。
ワンゲルでは新人錬成の定番となっている日光・男体女峰。企画の時期柄、例年残雪に悩まされているようである。となればそれをトレースする僕としても、やはり些かなりとも雪のついた時期に行かなければ、本当のトレースとは言えないはず。そういう意識が働いていたのか、ともかくこの晩秋に催行する運びとなった。
7時10分大学出発。渋谷まで徒歩。今回は寒さ対策で衣類が重い。下は夏用ズボンが2着、上はアンダーウェアにジャージが2枚、そして厚手のフリース。できればタイツも揃えたかったが部と相談して買うことになっていたので断念した。ガスカートリッジも残量が心配だったので一応使いかけを二つ持つことにした。それでもそんなに重く感じなかったのは、この半年の僕の成長だろうか。
銀座線で表参道。千代田線に乗り換えて北千住。北千住から東武日光行の最終列車まで2回ほど乗り継ぐ。この間にニャル子さんの5巻を読み終えてしまった。6巻も買っておくべきだった。読み切るのにかかる時間を考えるとライトノベルはコストパフォーマンスがいいとは言えない。23時頃東武日光着。途中ラーメン屋で腹ごしらえしてから(駅から近いのに観光地ずれしてなくて気に入った)30分ほど歩き、東照宮の境内へ。ちょっと登山口を探すのに手間取ったが、地形図をよく見ればそこに書いてある通りだった。トイレを済ませ(感動的に綺麗だった。さすが世界遺産)、駐車場の横でマットを敷いて就寝。下界の野宿で初めてシュラフを出したが、シュラフに入ってしまえばむしろ暖かいくらいだった。流れ星が見えた。
寝過ごして5時半起床。6時出発。膝の調子は悪くない。天気も上々。緩やかな道を淡々と登っていく。そろそろ稚児が墓手前の分岐かなと思っていたら稚児が墓が現れる。分岐点も合流点もは完全に見落としていた。ペースはかなり早い。
が、この後妙に怠くなってペースが落ち、女峰までエアリアのコースタイムを切ることはなかった。頑張ればもっと早く登れるはずだが、頑張る理由もない。単独行の欠点。
八風と名のついたガレ場からは景色が最高だった。




黒岩は西面のガレ場をトラバースして巻く。黒岩の札の立ったところまで行くとすぐ目の前に深い渓谷が切れ落ちていて迫力がある。
ここから多少雪が残っているが全く歩行に支障はない。ちらほらと降っても来たが濡れも積もりもせず問題なし。ハングした鎖場とやらは、下が崖になっているわけでもなく、鎖を頼れば楽に通過できた。
ここから唐沢小屋まですぐの様でわりと距離があった。まあそれでも到着。立派な小屋だが周囲にごみが散乱しているのは残念。ガレ場で道を外してちょっとまごついたりしつつ、12時過ぎに女峰着。今日は天気はいいのに標高2200m位から上は雲がかかっていて、女峰もガスの中だった。お茶を沸かしたりして粘っていると帝釈から男体までの輪郭が微かに見えて少し元気が出た。


帝釈までの吊尾根はガスが晴れてきて両側に邪魔な木もなく遠くまで見通せた。こういう場所はアルプスとかでないとなかなかないけれど僕は大好きだ。本当に気持ちのいい時間だった。エアリアには危険マークがついているがそれほど切り立ってはいない。雪も今までよりは不快が何ら問題はない。が、1週間遅かったら状況はだいぶ変わっていただろう。

帝釈山頂は寒かったのですぐ後にした。ここから富士見峠まで長い下り。今山行で最も雪深い区間だった。それでも踏み跡がはっきりしていて少し滑るのがめんどくさい位のことだった。アイゼンとかは特に必要ないと思う。
雪のせいで余計にそう感じるのかもしれないが、この区間に限らずエアリアの下りのコースタイムは短めに設定されていると思う。中高年は1.5倍くらいで考えるとよいのでは。富士見峠につくと既に3時過ぎ。ここでテント泊も考えたが明日のために鷹の巣まで行っておくことにする。小真名子まではまずガレ場。が、特に問題なし。間もなく山頂。西側がよく見える。

南面なのにかなり雪の付いた斜面を下って30分ぐらいで鷹の巣。樹林帯で風の弱い好サイト地。ただ平地の面積的に、登山道にはみ出さずに4人以上用のテントを張るのは難しいと思う。登山道上に張れば45人用ふた張ぐらいは行けるだろうか。倒木をどかせば何とかなるかもしれない。
米を焦がしたり、地面に落としたりしてカレーが0.5合位になってしまった以外は特に問題なく就寝。夜はレインウェアの上以外すべて着込んで寝た。それなりにあったかかったが腕だけは組んでおかないと冷たかった。要対策。それにしても9時間は長かった。
のんびり撤収して6時20分出発。雲一つない快晴。大真名子への登りはかなり雪がついている。が、特に問題はない。途中景色がよく、山頂からの眺めも素晴らしい。






千鳥返しは梯子鎖等連続するが特に下が急になっているわけでもなく怖くはない。槍の穂先に比べれば可愛らしいものだ。その穂先にしたって大キレットにくらべればまだ可愛いのだから、9月の個人合宿で得た経験値が改めて実感される。
大真名子の下りもやたら長い。向かいの男体山との比較でおおよその標高がわかりそうに見えるが、さっぱりあてにならない。コースタイムを大分上回って林道につく。

ここで男体への道を間違える。普通の人なら絶対に間違えないと思うからどう間違えたかは書かないけど、僕は間違えた。まあ標識に従えばよい。
志津小屋も立派。二荒山社務所の名前で、こちらからは危険だからなるべく登らないようにとの張り紙があった。特に危険個所があった覚えはない。入山料がほしいからかと勘繰ってしまう。そもそも登山道整備のためといって入山料を集めているようだが、大人1人につき500円も徴収したらどれだけ整備できるだろう。エスカレーターの建設費用でも積み立てているのだろうか。まあ登山道整備が名目とはいえ一緒に配布するお守りの実費ぐらいは差し引くことだろう。そしてその実費とやらが480円ぐらいなのだ。
そんなことを考えていたら山頂についてしまった。小屋からちょうど2時間くらい。雪はついていたが登山者の数も多いし、特に問題はなかった。ただよく滑った。
山頂は神だった。総合的に判断して、いままで僕が立ってきた山頂の中で5本の指には入るだろう。






寒いのに1時間以上ぼんやりしていた。今日のコースタイム合計はたったの7時間10分なのに時刻はもう1時を回っている。ちょっと急ぎ目で下山にかかる。
下山はとにかく長かった。エンジン音や遊覧船のアナウンスなど、下界の音が聞こえてくるのに5合目にさえ一向につかないのでうんざりした。まあ1200mもあるのだから仕方ない。ここのコースタイムもやはり短めに感じた。
そんなこんなで特筆すべきこともなく下山。

バスが来るまでの20分ほど、ひたすら中禅寺湖を眺めて余韻に浸っていた。予想に反してやってきたバスは空いていた。が、中禅寺温泉ではあり得ないくらい人が並んでいて、バスの助手席を全部使っても全体の5分の1も乗せられていないようだった(バスは何故か観光バスだった。立ち席の付いた路線バスならもう少し乗せられると思うのだが。いろは坂が危ないからだろうか。まあ、中禅寺温泉から1100円も出して1時間立ちっぱなしではやりきれないだろうが)。残された観光客たちはあの後どうしたのだろう。バスは30分に1本しかなかったと思うが。増便はあったのだろうか。

途中いろは坂は紅葉がきれいだった。というか、日光にこんな素晴らしい渓谷があるとは知らなかった。もっと事前に調べておくべきだった。
東武日光から直ぐに普通列車に乗って帰京。下今市で30分ほど電車が止まり、その間振り替え輸送でJR今市駅まで行ったり、切符がないとだめなことを知って引き返したりで我ながら馬鹿だと思った。もっと考えてから行動すべきだった。
まとめ
心配していた膝の痛みはそれほど影響せず、寒さも雪も何とか凌げた。ただ上にも書いたが1週間違っていたら状況はだいぶ変わっていたと思う。今回がそうでないという保証は出発前には一切なかったわけで、今回も見切り発車の結果オーライといういつものパターンだった。などと言いつつ、部の方で雪上訓練をしたら、来年の残雪期には赤城山とか武尊山に単独で行ってみたいなんて思ってたりする。少なくとも今回の成功で雪山を侮ることはないよう自戒したい。
とにもかくにも、これ以上ないくらい楽しい山行だった。

ワンゲルでは新人錬成の定番となっている日光・男体女峰。企画の時期柄、例年残雪に悩まされているようである。となればそれをトレースする僕としても、やはり些かなりとも雪のついた時期に行かなければ、本当のトレースとは言えないはず。そういう意識が働いていたのか、ともかくこの晩秋に催行する運びとなった。
7時10分大学出発。渋谷まで徒歩。今回は寒さ対策で衣類が重い。下は夏用ズボンが2着、上はアンダーウェアにジャージが2枚、そして厚手のフリース。できればタイツも揃えたかったが部と相談して買うことになっていたので断念した。ガスカートリッジも残量が心配だったので一応使いかけを二つ持つことにした。それでもそんなに重く感じなかったのは、この半年の僕の成長だろうか。
銀座線で表参道。千代田線に乗り換えて北千住。北千住から東武日光行の最終列車まで2回ほど乗り継ぐ。この間にニャル子さんの5巻を読み終えてしまった。6巻も買っておくべきだった。読み切るのにかかる時間を考えるとライトノベルはコストパフォーマンスがいいとは言えない。23時頃東武日光着。途中ラーメン屋で腹ごしらえしてから(駅から近いのに観光地ずれしてなくて気に入った)30分ほど歩き、東照宮の境内へ。ちょっと登山口を探すのに手間取ったが、地形図をよく見ればそこに書いてある通りだった。トイレを済ませ(感動的に綺麗だった。さすが世界遺産)、駐車場の横でマットを敷いて就寝。下界の野宿で初めてシュラフを出したが、シュラフに入ってしまえばむしろ暖かいくらいだった。流れ星が見えた。
寝過ごして5時半起床。6時出発。膝の調子は悪くない。天気も上々。緩やかな道を淡々と登っていく。そろそろ稚児が墓手前の分岐かなと思っていたら稚児が墓が現れる。分岐点も合流点もは完全に見落としていた。ペースはかなり早い。
が、この後妙に怠くなってペースが落ち、女峰までエアリアのコースタイムを切ることはなかった。頑張ればもっと早く登れるはずだが、頑張る理由もない。単独行の欠点。
八風と名のついたガレ場からは景色が最高だった。




黒岩は西面のガレ場をトラバースして巻く。黒岩の札の立ったところまで行くとすぐ目の前に深い渓谷が切れ落ちていて迫力がある。
ここから多少雪が残っているが全く歩行に支障はない。ちらほらと降っても来たが濡れも積もりもせず問題なし。ハングした鎖場とやらは、下が崖になっているわけでもなく、鎖を頼れば楽に通過できた。
ここから唐沢小屋まですぐの様でわりと距離があった。まあそれでも到着。立派な小屋だが周囲にごみが散乱しているのは残念。ガレ場で道を外してちょっとまごついたりしつつ、12時過ぎに女峰着。今日は天気はいいのに標高2200m位から上は雲がかかっていて、女峰もガスの中だった。お茶を沸かしたりして粘っていると帝釈から男体までの輪郭が微かに見えて少し元気が出た。


帝釈までの吊尾根はガスが晴れてきて両側に邪魔な木もなく遠くまで見通せた。こういう場所はアルプスとかでないとなかなかないけれど僕は大好きだ。本当に気持ちのいい時間だった。エアリアには危険マークがついているがそれほど切り立ってはいない。雪も今までよりは不快が何ら問題はない。が、1週間遅かったら状況はだいぶ変わっていただろう。

帝釈山頂は寒かったのですぐ後にした。ここから富士見峠まで長い下り。今山行で最も雪深い区間だった。それでも踏み跡がはっきりしていて少し滑るのがめんどくさい位のことだった。アイゼンとかは特に必要ないと思う。
雪のせいで余計にそう感じるのかもしれないが、この区間に限らずエアリアの下りのコースタイムは短めに設定されていると思う。中高年は1.5倍くらいで考えるとよいのでは。富士見峠につくと既に3時過ぎ。ここでテント泊も考えたが明日のために鷹の巣まで行っておくことにする。小真名子まではまずガレ場。が、特に問題なし。間もなく山頂。西側がよく見える。

南面なのにかなり雪の付いた斜面を下って30分ぐらいで鷹の巣。樹林帯で風の弱い好サイト地。ただ平地の面積的に、登山道にはみ出さずに4人以上用のテントを張るのは難しいと思う。登山道上に張れば45人用ふた張ぐらいは行けるだろうか。倒木をどかせば何とかなるかもしれない。
米を焦がしたり、地面に落としたりしてカレーが0.5合位になってしまった以外は特に問題なく就寝。夜はレインウェアの上以外すべて着込んで寝た。それなりにあったかかったが腕だけは組んでおかないと冷たかった。要対策。それにしても9時間は長かった。
のんびり撤収して6時20分出発。雲一つない快晴。大真名子への登りはかなり雪がついている。が、特に問題はない。途中景色がよく、山頂からの眺めも素晴らしい。






千鳥返しは梯子鎖等連続するが特に下が急になっているわけでもなく怖くはない。槍の穂先に比べれば可愛らしいものだ。その穂先にしたって大キレットにくらべればまだ可愛いのだから、9月の個人合宿で得た経験値が改めて実感される。
大真名子の下りもやたら長い。向かいの男体山との比較でおおよその標高がわかりそうに見えるが、さっぱりあてにならない。コースタイムを大分上回って林道につく。

ここで男体への道を間違える。普通の人なら絶対に間違えないと思うからどう間違えたかは書かないけど、僕は間違えた。まあ標識に従えばよい。
志津小屋も立派。二荒山社務所の名前で、こちらからは危険だからなるべく登らないようにとの張り紙があった。特に危険個所があった覚えはない。入山料がほしいからかと勘繰ってしまう。そもそも登山道整備のためといって入山料を集めているようだが、大人1人につき500円も徴収したらどれだけ整備できるだろう。エスカレーターの建設費用でも積み立てているのだろうか。まあ登山道整備が名目とはいえ一緒に配布するお守りの実費ぐらいは差し引くことだろう。そしてその実費とやらが480円ぐらいなのだ。
そんなことを考えていたら山頂についてしまった。小屋からちょうど2時間くらい。雪はついていたが登山者の数も多いし、特に問題はなかった。ただよく滑った。
山頂は神だった。総合的に判断して、いままで僕が立ってきた山頂の中で5本の指には入るだろう。






寒いのに1時間以上ぼんやりしていた。今日のコースタイム合計はたったの7時間10分なのに時刻はもう1時を回っている。ちょっと急ぎ目で下山にかかる。
下山はとにかく長かった。エンジン音や遊覧船のアナウンスなど、下界の音が聞こえてくるのに5合目にさえ一向につかないのでうんざりした。まあ1200mもあるのだから仕方ない。ここのコースタイムもやはり短めに感じた。
そんなこんなで特筆すべきこともなく下山。

バスが来るまでの20分ほど、ひたすら中禅寺湖を眺めて余韻に浸っていた。予想に反してやってきたバスは空いていた。が、中禅寺温泉ではあり得ないくらい人が並んでいて、バスの助手席を全部使っても全体の5分の1も乗せられていないようだった(バスは何故か観光バスだった。立ち席の付いた路線バスならもう少し乗せられると思うのだが。いろは坂が危ないからだろうか。まあ、中禅寺温泉から1100円も出して1時間立ちっぱなしではやりきれないだろうが)。残された観光客たちはあの後どうしたのだろう。バスは30分に1本しかなかったと思うが。増便はあったのだろうか。

途中いろは坂は紅葉がきれいだった。というか、日光にこんな素晴らしい渓谷があるとは知らなかった。もっと事前に調べておくべきだった。
東武日光から直ぐに普通列車に乗って帰京。下今市で30分ほど電車が止まり、その間振り替え輸送でJR今市駅まで行ったり、切符がないとだめなことを知って引き返したりで我ながら馬鹿だと思った。もっと考えてから行動すべきだった。
まとめ
心配していた膝の痛みはそれほど影響せず、寒さも雪も何とか凌げた。ただ上にも書いたが1週間違っていたら状況はだいぶ変わっていたと思う。今回がそうでないという保証は出発前には一切なかったわけで、今回も見切り発車の結果オーライといういつものパターンだった。などと言いつつ、部の方で雪上訓練をしたら、来年の残雪期には赤城山とか武尊山に単独で行ってみたいなんて思ってたりする。少なくとも今回の成功で雪山を侮ることはないよう自戒したい。
とにもかくにも、これ以上ないくらい楽しい山行だった。
