文章を読むことは難しい。
小さい頃から本をたくさん読んできたが、読書が嫌いであった。
密集した文字達を読み、そこから情報を得て情景を浮かべ、それを楽しむと言うのはとても難しいことであった。
自分の通っていた小学校では朝読書の時間なるものがあり、毎朝ホームルームの時間に10分間読書をする。
たった10分であるが、自分にとってはこれは苦行であった。
なにせ目が滑り、寝起きの頭に情報が何一つ入ってこない。
結局小学校6年間で同じ本の同じページ、何なら同じ行を読み続けた。
6年間読み続けた1行に書かれていた内容は未だ頭には入っていない。
国語の時間も苦痛であった。
長い文章を読んだ上で作者の気持ちを考えて20文字以内にまとめるなんてできるわけがない。
せいぜい教科書なんかに載せられて、こんなやる気のない学生に読まれるのが悲しいとか、それくらいしか思いつかない。
そんなわけで大学は理系を選択し、国語なんて2度と受けてやるかと思いながら高校を卒業した。
大学の理系学部を卒業したあとは、大学院に進んで研究を続けることを決めた。
研究というのは日夜大量の論文を読み漁り、自ら論文を書かなければならない。また、研究費を得るために申請書を書く必要がある。研究費を出してくれる方々に自らの研究の魅力を伝えなければいけない。
国語を避けて理系に進んだのに、ここにきて文章を読み書きする能力が問われているのである。
このままではまずいと思い、さすがに読書を始めようとした。
しかし、どんな本がいいか。
昔の自分にとって本の長さは特に関係ない。どうせ同じ行の上を滑り続けるだけなのだから、その本がどれくらい分厚くて何ページあるかなんてのは関係ないのである。
しかし今は問題である。文章から内容を理解する能力を身につけなければならない。
とりあえず映画化された小説を読んでみた。映画は見たことがあるので、とりあえず内容を文章からだけで理解しなければならない状態は避けようと思った次第だ。
映画の内容を覚えているので、一応読み切ることができた。しかしこれは読書できたと言えるのだろうか?
一度見たことがあるものを説明されているだけの文章を読んで、果たして本を読む能力がついたと言えるのであろうか?
とりあえず続けてみようと思い、映画化された本をいくつか読んでみた。
最初は意味があるのかどうかわからなかった私だが、いろんな本を読むことで得られたものがあった。
それは、映画で見た情景が文章では事細かに説明されているということである。
映画は情景を一枚の絵として見ることができるため、セリフがなくともその状況が理解できる。
しかし文章は違う。
伝えたい情景を全て書かなければ読者には伝わらないのである。
文章を書くには、情景を細やかに説明する描写力が必要があるとこの時気づいた。
次第に文章から内容を理解できるようになった。昔見た映画の内容でも、情景を思い出しながら読むことで情景を思い出す手間なく内容を理解することに全力を注げる。(理解するというより思い出すだけ。)
とは言えある程度読んだ冊数も増えてきたので、次の段階に進むことにした。内容を全く知らない本を読んでみた。内容は大学の研究室での日常が淡々と描かれていた。理系の学生である自分にとっては理解しやすいと考えたのである。
この本で得た知見は、文章は書きすぎてもダメだということである。
急に話が変わるが、私は女性である。ここまでの駄文を読んできた貴方は、なんとなく私を男性だと思い込んでいただろう。理系の大学院に進む女性は少ないので、そう思うのは当然なことである。
このように文章は読む側の想像を膨らませることができる。最初に私が女であると書いていれば、貴方は今のような小さな驚きを得ることができなかったのである。
私が女であることで少しがっかりしたり、逆に親近感が沸いた方もいるかもしれない。
詳細を書きすぎることで、親近感を持たせる余地がなくなるのである。
文章というのはあくまでも読者の想像によって成り立つものなのである。
それから私は、文章を読みながらそこに書かれていないことを想像するようになった。
書かれていない情景を思い浮かべ、登場人物に思いを馳せる。
思い返せば、私はいつから本を読むのが嫌いだったのであろう。
小学生の時も絵が多くて想像が広がる本は読み切れていたし、学校の怪談などは面白いと思っていた。
想像が容易い本は面白いのである。
朝読書の時に読んでいた本は、賢いクラスメイトが読んでいた小難しいサスペンスではなかったか。大人の痴情のもつれで起こる犯罪など、小学生に理解できるわけはないのである。
目が滑ると思っていた内容も、内容を理解するために想像を膨らませ、そのためにどこを読んでいたかがわからなくなっていただけなのである。
今になってやっと、国語で習った読み物の奥深さを理解できるようになった。
謝罪を受け入れなかったエーミールの気持ちや、それを受けて必死に集めた蝶の標本を潰したぼくの気持ちが痛いほど伝わる。Kが自殺したのは失恋だけが原因ではないだろうし、エリスを置いて帰国した豊太郎を責めることは、一読者である私にはできない。
自分の経験値が増えると、登場人物の経験を自分の経験と照らし合わせられる。自分が経験していないことも、本を読めば疑似体験できる。
本を読むということは、文章を読むことではない。
自分の想像力を掻き立てるための指標として情報を得ることなのである。
文章を読むことは難しい。作者が思った内容と同じことをその文章から理解するのは心底難しいのである。私にできることは作者の文章を通してあくまでも自分の想像を広げることしかできないのである。
さて、この文章を通して作者である私の気持ちを10文字以内で答えよ。
正解は、「書きすぎて疲れたな。」