織田家の廟所・緑色の大仏さまの 桃厳寺から20分ほど 

       あし    あし    あし

名古屋市千種区城山、かって 末森城の在った標高 43mの地に

鎮座している 城山八幡宮

 

      

 

織田 信秀(1510?~1551)が建立した末森城

               ★ 信秀 … 信長・信行(信勝)の父

信長に託すことに不安を感じていた信秀は晩年

信長に【那古野城】 信行には【末森城】を与えるます。

 

神社 を潜り石段を上った左右には、かっての空堀跡があります。

 

     

 

標高 43m 東西 約200m 南北 約160m 二重堀を巡らした空堀

今も良好な形で残されています。

 

 

      

 

合わせて100段ほどの石段を上ると境内へと

右側に 末森城址の碑があり、横の大木はクスノキです。

 

      

 

その左横 

1987年(昭和62年)に造られた 靖国神社遥拝鳥居

奥には 殉国碑・忠魂碑

 

       

 

      

広々とした境内の最後の鳥居(神門)を潜り

八柱の神を祀る霊験頗るあらたかな宮に参拝

二礼二拍手一礼

      

 

信秀の死後 後継を巡り内紛激化

弟・信行(信勝)は、兄の信長と対立

 

まだ歴史の舞台に立っていなかった頃の 柴田 勝家は

信行に仕えていました。

稲生の合戦・1556年(弘治元年) 

勝家は信行を担いで挙兵し信長に反旗するも、合戦は惨敗

この時、勝家は信長の戦いぷりとその器量に感銘。

 

一年後、柴田勝家は

信行が「再び謀反を企てている」との陰謀云々を信長に密告

信長は、信行を清洲城に呼び寄せ殺害

以降、勝家は信長の直臣となり表舞台での活躍となります。

 

悲劇的な最期を迎えた信行(信勝)でした。

末森城は翌年に廃城。

 

城山八幡宮は

現在地より300mほど東北に500年以上前から産土神として鎮座

1936年(昭和11年) 末森城址に遷宮。

 

境内の左側 末社 豊玉稲荷社

 

      

 

あし   あし   あし   していたら、何ヶ所で見掛けたので  カメラ

たまたま出会った地元の方が名古屋の下水道マンホール蓋に

デザインされているのは【アメンボ】だと。

アメンボの周りには水面に広がる波紋が描かれています。

何故 ?

水面をすいすい動くアメンボのように素早く対応するという意味や

綺麗な水を象徴しているようです。

 

      

 

名古屋地下鉄・東山線の本山駅の東改札口から出て 桃厳寺へ

城山八幡宮からの帰路は西改札口から入り名古屋駅へでした。

 

進行方向を間違えて乗った東京の地下鉄

京都での利用は一度だけです。

 

地下鉄利用が多くなってきましたが、やはり景色の見える地上の

バスが良い …と思う私。

車より公共交通機関の方が便利だと思う場所も

多々と実感しています。