東近江市五個荘に在る 石馬寺

縁起によると

594年(推古2年) 聖徳太子は霊地を求め繖山(きぬがさやま)

辺りに来ると、馬は歩みを止め進まなくなってしまいました。

傍らの松の木に繋ぎ、山に登ると瑞雲(めでたい印の雲)が

たなびく光景が広がっていました。

「霊地はこの地にあり」と下山すると、木に繋いであった

馬は、傍の池に沈み石と化していたそうな。

 

石と化した【聖徳太子の馬】が、現在もその姿を留めていると

言われる古池・石馬の池

【石馬寺大門址】の少し手前右側に在ります。

 

         聖徳太子の馬が化石となった姿です

 

 

335段だそうです。

上り易い高さですが、角が丸く余り踏まれていない所は

苔が薄っすらと、下りは滑りそうで要注意です。

 

 

 

行者堂跡・閻魔堂跡 沢山の石仏が見られます。

その先、かっては複数の頭塔が存在していた辺り苔むした石垣に

往時を偲びながら かんのん坂と名付けられた石段を上がって行きます。

 

 

三方に分岐した地 亡者の辻

真っすぐ進むと、雨乞いの霊験あらたかな 雨宮龍神社

磐座そして本殿の彫刻が素晴らしいとのことですが、

石段と山道、まだまだ続くなんて距離的にも時間的にも

分り難いし、天気も何となく…と、大分気持ち揺れ動いたけれど 

パスです。

 

左側は、石馬寺の鎮守社 六所神社

 

とりあえず、今回の目的地である石馬寺 → へ進みます。

此処は、始終苦(四十九)坂

 

 

途中で、ウバユリの枯れ姿を見かけました。

花期は、7月~8月頃で大ぶりの白い花が見られますが

その頃には葉が枯れていて、つまり歯の無い百合で

姥百合と名付けられたとか。

今は、種も無くなり殻だけですが、これはこれで何となく

風情のある姿です。

 

 

 

石段を上り切り見る境内、切り株の苔むす様が良い感じです。

先ずは、境内から巡って行きます。

 

                     収蔵庫

               本堂と不動堂を参拝

 

右側に在る建物で拝観受付です。

 

 

先ず、石庭

パンフレットには

禅風の中に石馬の縁起を描いており、石馬寺の顔の

ひとつとなっています。

しばし現実を忘れさせ、見る人の心を癒やす空間です…と。

何を表しているかよく解りませんが、それでもほっ~と

癒される光景でした。

 

 

…と、寺の方が

収蔵庫の扉を開けて下さり「どうぞ」って

本堂の明かりも付けましたから…と。

 

収蔵庫に一歩入って、圧倒です。

中央に、座高・274cmの大きな【阿弥陀如来坐像】

両脇に【十一面観音立像】左(179cm)  右(170cm)

                  … などなど

そして、白洲 正子氏絶賛の【大威徳明王牛上像】

顔・手・足が六つ(六面六臂六足)

世間に蔓延る悪を抑え鎮める佛さま

今にも立ち上がりそうな迫力が感じられる水牛でした。

 

 パンフレットより撮

 

国の重要文化財に指定され主に平安時代に作られた仏像さまを

心行くまで堪能です。

 

本堂

 

 

本堂には鎌倉時代の運慶の作と伝えられる

十一面千手観世音立像、脇立の毘沙門天立像、池蔵菩薩立像の

3躯は非公開で涅槃物のお軸が掲げられていました。

昨年(令和5年) 70年ぶりの御開帳が開催されたようです。

この御開帳は、一代の住職が生涯一度だけだそうです。

 

本堂の入口の内側の上方に掲げられた【石馬寺の扁額】

カメラ  禁止ですが、

 

 石段途中に在った寺標

聖徳太子直筆の扁額【寺 馬 石】の書体と同じです。

 

本堂内にあると言われる【是非にと思っていたもの】は、

見つけることが出来ず寺の方に案内を乞うてやっと …

後方の薄暗い中に置かれている小さなお厨子に納められていました。

 

 絵葉書より撮

                   

聖徳太子自作だと言われている 合掌像(3歳)と馬上像(22歳)です。

 

18日(日)

近江市五個荘の清湖雛に会い御都繖山(ぎょとさんざん) 石馬寺へ

曇天そして小糠雨が時々そしてたまに青空と不安定な天気でしたが

久し振りに、五個荘を楽しんできました。